Back

周縁から放たれる「ただ、そこにある音」
oono yuuki bandの新作『まわり道、風の三角』

09 July 2025 | By Hajime Oishi

自身が率いるoono yuuki bandではインスト主体による独自の音世界を切り拓き、ソロ名義ではシンガーソングライターとして奥深い歌世界を築き上げてきたoono yuuki。ポストハードコア~エモを原点としながら、ミニマル音楽~エレクトロニカやフォーク、映画音楽を横断するその音楽性は唯一無二のもの。特定のシーンに属することのないそのスタンスも含め、どこか「孤高の人」という印象がある。

今回リリースされたoono yuuki bandの新作『まわり道、風の三角』には、2023年の前作『GREENISH BLUE, BLUISH GREEN』とも異なる音像が広がっている。90年代のUSインディー・パンクの混沌としたムードを漂わせつつ、「平熱感」と表現することもできるであろう独特の静けさが全体を覆っているのだ。

ジャケットを飾っているのは旧日本海軍によって大正11年に作られた針尾送信所(長崎県佐世保市針尾)の跡地。失われつつある日本の風景と結びつきながら、oonoは「現代のフォークロア」を奏でようとしている。孤高の音楽家、oono yuukiの世界に迫るロング・インタヴューをお届けする。
(インタヴュー・文/大石始)

Interview with oono yuuki

──oono yuuki bandとしての活動は2000年代後半から始まったわけですが、それ以前にはエーテルやメモリーズなどのバンドでも活動されていましたよね。バンドと並行してソロでの活動も続けていますが、oonoさんの活動のなかでバンドとはどのような存在なのでしょうか。

oono yuuki(以下、O):エーテルやメモリーズは18歳から22歳までの4、5年やったんですけど、結局挫折してしまって。まったく世に出ることがなかったというのと、バンドが解散した後にメンバーが亡くなってしまったんですね。それもあって人と一緒にやることへの憧れと執着はずっとあると思います。

──シンガー・ソングライターがバンドセットでライヴをやる場合、ふだん弾き語りでやっていることの拡張版という形でやるケースがほとんどだと思うんですね。でも、oonoさんは弾き語りとバンドで曲も違うし、音楽的な方向性も違います。バンドとソロの活動の違いについてはどう意識されているのでしょうか。

O:何なんでしょうね? 自分でもあまりわかっていないかもしれない。バンドの真ん中で自分が歌う姿ってあまりしっくりきていなくて。歌えるものなら歌いたいんですけど、十代のころ、そういうことをやろうとして挫折したんじゃないですかね。今もバンドでライヴをやるときはメンバーが弧を描くように立つようにしていて、真ん中を空けておくんです。中心がないほうがやりやすくて。

──バンドの場合、ギタリストやアレンジャーの意識のほうが強いんですか?

O:役割の違いは確かにあるかもしれないですね。バンドのときは全体でひとつの塊になればいいかなと思ってます。自分がそこまで前に出ることもないし。

──oono yuuki bandと自分の名前をつけていながら、oonoさんはいつもステージの端のほうに立っています。その感じがおもしろいですよね。

O:確かに。最初から別のバンド名をつけていれば話はややこしくなかったんですが、そのころはバンド名をつけることもできないぐらいバンドに挫折してたのかもしれないですね。

──oono yuuki bandも2013年、一度活動を休止します。そのときの心情はどのようなものだったのでしょうか。

O:持病があったんですが、当時は原因や治療法がわからなくて。しばらく活動をお休みして、体調が戻ってくるとともにバンドをまたやりたいと思うようになりました。

──その時期、ペンギン・カフェ・オーケストラやエンニオ・モリコーネのような室内楽的な音楽を聴くようになったそうですね。

O:そうですね。もともとスティーヴ・ライヒみたいなミニマル・ミュージックは好きだったんですけど、そのころからペンギン・カフェとかモリコーネを聴くようになりました。音がアコースティックで優しかったからじゃないですかね? なかでもモリコーネが作ったマカロニ・ウエスタンのサントラはでたらめな室内楽みたいなおもしろさがあって好きでしたね。

──2023年にはバンドとして11年ぶりのアルバムとなる『GREENISH BLUE, BLUISH GREEN』をリリースします。バンド休止中の2015年から2020年にかけて作られた楽曲が入っていますが、あらためて聞き返してみると、弱ってた時期の楽曲とは思えないぐらいテンションが高いですよね。

O:弱ってたからなおさら、そういう曲調になったのかもしれないですね。自分をポジティヴにさせようとしていたのかもしれない。 1930年代のアメリカの黒人音楽をよく聞くんですけど、底抜けに明るくて。現実での生活はそうとう厳しかったはずで、それと同じかもしれないですね。

──『GREENISH BLUE, BLUISH GREEN』はピアノが楽曲の中心になっていますよね。

O:そうですね。前作では自分ひとりでピアノから作った曲が多かったです。あと、ギターの樺山太地くんが2015年に入ってきて、すごい才能だなと思って。ギターは樺山くんに任せて、自分はピアノを弾こうと思っていました。

──『GREENISH BLUE, BLUISH GREEN』で印象深いのは、VIDEOTAPEMUSICがディレクションした収録曲「Barei」のミュージック・ビデオです。oonoさんが育った高知市春野町の草競馬跡地で撮影されていますね。

O:高知県にはインディー競馬場がいっぱいあったみたいで、その跡地が今でもいくつか残っています。あそこは河川敷の森みたいなところで、最近になって草競馬場の跡地だったと知りました。

──このミュージック・ビデオのなかでは高知で活動するカポエイラグループの方が登場しますが、白い被り物を被っていますね。以前oonoさんにお話を伺った際、いざなぎ流(注釈)の祈祷神楽のイメージがあったとおっしゃっていました。

註釈:いざなぎ流/高知県の北東部、香美市物部町に伝わる民間信仰。陰陽道や修験道、仏教、神道などの要素が混在し、祭儀は太夫と呼ばれる神職によって執り行われる。

O:そうですね。高知にはいざなぎ流とかいろんな祭りや儀式が行われていて、僕自身、小さいころから精霊のような目に見えない存在に惹かれているんですよね。

──お母様の出身地がいざなぎ流の伝わる物部町なんでしたっけ。

O:うちの母の地元は物部の隣の香北町というところで、そのあたりでもいろんな民俗芸能や祭りが行われていたみたいです。大昔にはお面をつける祭祀があったりとか。父親は新聞記者だったので、そういう地域の祭りの取材をよくやっていたんですよ。僕も話だけは子供のころから聞いていました。

──そうした祭りの記憶はoonoさんの表現にどのような影響を与えたと思われますか。

O:そういうことに興味を持った結果、民俗学や文化人類学に興味を持つようになりましたし、中心と周縁(註釈)について考えるようになったので、大きな影響を受けていると思いますね。さっきバンドでのライヴのとき「中心を作らない」という話をしましたけど、そこの考えにも繋がってくるのかもしれません。

註釈:中心と周縁/文化人類学者の山口昌男が著書『文化と両義性』などで提唱した概念。社会は「中心と周縁」によって構成される組織の上に成り立ち、社会の中心は「周縁的な存在」によって常に揺さぶられるとされる。

──そうなんですか! それは驚きました。では、oonoさんはご自分が周縁的な存在であると自覚されているのでしょうか。

O:そうありたいなとは思っています。母の実家があった場所は高知のなかでも山間部ですし、僕自身、「中央」に対して馴染めない感じがずっとあるんですよ。

──その感覚はいまだに?

O:はい、いまだにあります。

──中心的なものに対する周縁という意味でいえば、いわば「オルタナティヴ」ということでもありますよね。

O:そうかもしれないです。(oonoがこの日Tシャツを着てきた)Jawbreakerも中心に対する周縁であり、オルタナティヴでもあると思うし、だから好きなんですかね。

──なるほど。バンドにせよソロの弾き語りにせよ、oonoさんの音楽には何かフォークロア的な匂いがすると思っていたんですが、いろんなことが腑に落ちてきました(笑)。

O:意識してそうしようと思っていたわけではないんですけど、今現在見えなくなったものだったり、過去の歴史や昔生きていた人たちのことにはずっと興味がありますね。戦争遺跡についてずっと調べてた時期もありましたし。

──先ほど話に出た草競馬場の話にも繋がってきますね。

O:そうですね。そういう人たちが確かに存在したということに惹かれているんだと思います。

oono yuuki

──では、新作『まわり道、風の三角』についてお話を伺えればと思うのですが、oonoさんのnoteに制作の裏話が書かれていますね。そちらによると、2025年の元旦の段階でできていた曲は2曲。「去年までは全く曲が出来なかった。出来なかったというよりも、録音するために机に向かうこと自体が難しかった」のだとか。

O:そうですね。机までが遠かったですね。鬱状態というか、机まで行けなくて。

──曲を書くことに対して、あまり前向きな気持ちになれなかった?

O:いや、曲はできたと思うんですけど、単純に身体が動かなくて。後ろ向きに何かに引っ張られるような…すごく抽象的な話になっちゃうんですけど。

──最初に録音したのがベースだったそうですね。

O:昔一緒にバンドをやっていて、その後亡くなったベーシストの友達が作った曲が出てきたんですよ。年末にそれを初めて聴いてみたら、すごくかっこよくて。時間が一気に25年ぐらい巻き戻ったような感覚があって、当時の感覚が自分の中に残っていることに気付きました。それでベースから曲を作り始めたんです。

──その音源に触発されたような感覚?

O:それもあると思います。それと同時に、自分が20年以上前にやってたバンドのライヴ音源も出てきたんですね。それが昨年の年末で、それで霧が晴れたような感覚がありました。

──noteには「いいも悪いも無くただそこにある音みたいなものに惹かれたのは、今回ほとんどの曲をベースから作り始めたことも関係しているかもしれない」と書いています。「ただそこにある音」とはどんなものなのでしょうか。

O:今回のジャケットの電波塔みたいに、ただそれが存在しているような感じというか…あまり感情が込められてなくて、手の届かない感じの、ちょっと怖い感じですかね。

──その前の段階でなかなか曲作りに向かえなかったというのは、その曲がなぜ存在するか、その存在理由みたいなことを考えてしまって曲作りに向かえなかったような感覚だったのでしょうか。

O:うーん、どうでしょうね…それもあるかもしれないですね。曲が自分のものだと考えると、なかなかできなくて。「ただ、そこにある音」っていうのはちょっとだけ他者化されていて、自分から切り離されている感覚かもしれないですね。 自分から切り離されると、曲ができてくるというか。

──oonoさんの場合、弾き語りのときは他者化できない自分そのものであるわけですけど、バンドという場は自分自身から切り離されていて、どこか他者化された表現をやる場所なのかもしれませんね。

O:あ、確かに。それはありそうです。ありがとうございます、カウンセリングみたい(笑)。でも、確かにそんな感じかも。

──noteには「ベースから曲を作り始めると、予期せぬフレーズが生まれる事がよくあった。自分で弾いているのだが、自分からはだいぶ離れた音がするというか、体が欲している音を体が勝手に弾くというか、そんな感覚だ」と書いてますが、その感覚とも繋がりそうな話です。

O:確かに。自分から離れた音になると、途端に扱えるようになるんですよ。今回はあまり自分の感情に近すぎるものを作りたくなかったのかもしれない。

──前のアルバムはどこかテンションが高かったけど、今回は全体的に平熱感を感じました。ある種客観的に作っているからこそ、そうした温度感で統一されているのかもしれませんね。

O:それもあると思います。あと、具体的なイメージもあって、そこに向かっていったような感覚もあるんですね。あまり火力は強くなくて、ずっとヒリヒリチリチリと何かが燃えてるような感じというか。

──今回の作品ではデモだけでなく、実際の録音でもoonoさんがベースも弾いていますよね。12年間ベースを担当していた新間功人さんが脱退したことが大きな理由だとは思いますが、ベーシストの方に弾いてもらうという選択肢もあったと思うんです。自分で弾いたのはなぜだったのでしょうか。

O:今回の作品では友達の遺品のベースを使おうと思っていました。だったら自分で弾きたいなと思って。僕にそのベースを送ってくれた別の友人も「いつかこのベースで作品を作ってほしい」と言ってくれていて、その思いに応えたいという気持ちもありました。

──お友達の供養みたいな気持ちもあったのでしょうか。

O:うーん、それはあまりないですかね。その友人は異常なぐらい音楽を聴いてたんですけど、演奏もちょっと普通じゃなくて。そういう人のことを埋もれさせたくなかったんです。さっき見えなくなっちゃってるものの話をしましたけど、友人の存在を世に出したいという思いはありました。

──その方がこの世界に確かに存在したということを、oonoさんの身体を通じて表現していくというか……。

O:そうです、そうです。

──「かつては存在していたものの記憶とイメージ」が今回の作品のテーマのひとつになっていると思うんですが、その意味では収録曲の2曲目「道の幽霊」にもそうしたテーマが描かれています。この曲についてoonoさんは「今ある道の上にもうなくなってしまった古い道が幽霊のように浮かんでいる、というようなイメージです。2つのメロディから作っていき、何度も形を変えて出来上がった曲」とコメントされていますね。

O:具体的なモチーフとなる道がどこかにあるわけじゃないんです。どこであってもいいですし、今では埋め立てられてしまい、ビルが立っているところにも道の幽霊はいると思うんですよ。かつての痕跡というか。

──8曲目「凍れる(feat.浮)」では「今すぐ音を凍らせて」というフレーズが繰り返されていますが、この曲ではアメリカ人の美術史家・哲学者、アーネスト・フェノロサが奈良の薬師寺東塔のことを「凍れる音楽」と表現したことがモチーフになっていますね。

O:アーネスト・フェノロサは音楽が凍っている様を建築に例えられたと思うんですけど、音っていうのは時間がないと存在できないわけで、まったく時間が存在しなかったら音の認識ってできないと思うんですね。知覚できるようになる以前の音の素みたいなものがそこら中に漂っていて、それに時間を与え、並べることで僕たちは音楽を作っている。そんなことを考えながら作りました。

──この曲で浮さんを招いた理由とは何だったのでしょうか。

O:浮さんが自分の曲を歌ったらどうなるんだろうと以前から思うことがあって。実際曲を作ったこともあったんですけど、本人には言わず、結局自分で歌いました(笑)。今回は頼めそうだと思ってお願いしました。

──今回のアルバム全体に漂う平熱感と浮さんのトーンは絶妙に合いますよね。

O:はい、浮さんならその感じを出していただけると思っていたのでとても嬉しいです。彼女の曲との距離感は独特だなと思っていて。手の届かないものを歌っている感じというか。

──旧日本海軍が大正11年に作った無線塔「針尾送信所」(長崎県佐世保市針尾)の写真がジャケットを飾っていますが、どのようにして針尾送信所に辿りついたのでしょうか。

O:戦争遺跡を調べているときに知ってから、いつか行きたいなとずっと思っていました。NRQの中尾勘二さんがこの辺りが地元らしくて、詳細な昔の話とかを聞かせてくださって。これはもう行くしかないなと。

──写真家の篠田優さんと3日間、無線塔の周りをぐるぐると回ったそうですね。

O:そうですね。3日間、一度も見慣れることがなかったですね。いつ見てもギョッとさせられるんです。人知を超えた感じというか、いいも悪いもなく、「ただ、そこにあるもの」というのはこういう感じかなと思いました。

──仏像だと「人々を守っているんだな」とその存在理由がはっきりしてますけど、今となっては針尾送信所の存在意義ってよくわからないですもんね。

O:そうなんですよ。中心と周縁の話じゃないですけど、無線塔の周りを周り続けるというのは不思議な経験でした。

──oonoさんはnoteにこんなことも書いてますよね。「自分が作る曲の拍子に、3とか5とか7とかがよく出てくるのも、無意識に安定したシンメトリーなかたちを避けて回転する方を選んでいるのかな、とも思ったりする。安定を避けるというよりも、『回転することで安定する構造』を作りたい、と言った方がよいのか」と。無線塔の周りを回るという行為とこの話も繋がるような気がしてきました。

O:もちろん8ビートや4ビートで好きな曲はいくらでもあるんですけど、どっしりと安定した構図っていうのは二元論的な感じがすることもあって。だからなのか、自分が何か作るとすると、変な拍子になることが多いですね。6拍子の曲が途中から5拍子になったり。普段演奏しているリズムとは違うので、メンバーは本当に大変だと思います。

──でも、神楽の囃子や古い民謡には4分の4拍子に収まらない拍子が当たり前のように出てきますよね。特に学校教育を通じて西洋音楽的な4分の4拍子が浸透する明治以前、そういう拍子のものは多かったのではないかと思います。

O:まったくおっしゃる通りだと思います。明治以前の古いリズムについては僕もすごく興味があるんですよ。調律の話にしたって、今は440ヘルツに統一されてますけど、無数に音階があったと思うんですよね。

──針尾送信所の話に戻ると、実は無線塔のなかでは「風がごうごうと吹き荒れていた」とnoteに書いていますね。

O:そうなんですよ。無線塔は高さが136メートルあるんですけど、風がいろんなところから入ってくるので、なかで突風が渦巻いていたんです。低い音も高い音も入り乱れていて、しかも長いリバーブもかかるんですよね。風の音を聴くために作られた装置と言ってもいいぐらいのすごい音でした。

──外から見ると「ただ、そこに存在している」感じではあるものの、中ではゴウゴウと突風が吹いている。その感じって今回の作品そのものでもあると思いますし、oonoさん自身、そういう方でもあるような気がしてきました。

O:そうですかね……でも精神自体はめちゃくちゃ反抗的だと思います。学校も苦手でしたし(笑)、中央的なものに対する反発心もあります。

──そして、アルバム最後の「O」でその炎が一気に外に噴き出すと。

O:この曲ではこれまであまりにも尊敬しすぎてできなかったbloodthirsty butchersやfOUL、eastern youthからの影響を一回出してみようと。昔やっていたバンドの感じでもありますね。

──今回の作品作りの起点には昔のバンドの音源と亡くなった友人の方の音があったわけですが、そこに戻っていく構成になっているわけですね。

O:そうですね。この曲は一番最後にできたんですけど、昔やってたバンドのフレーズも入っています。ここで1周した感覚はありました。もちろん今一緒にバンドをやってるメンバーのことは大好きだし、この人たちだからこそこういうことができるわけですが。

──そして、7月14日には10代のころからoonoさんが影響を受けてきたeastern youthとの対バンも控えています。

O:はい、畏れ多くも。eastern youthのことが好きすぎて(一緒にやることに)怖さがあったんですけど、今はもう「自分たちの音を出そう」という気持ちになっていて。どんな日になるのか、今からとても楽しみにしています。


<了>



Text By Hajime Oishi


oono yuuki band

『まわり道、風の三角』(CD)

LABEL : Lemon House Inc.
RELEASE DATE : 2025.6.25
購入はこちら
Open Room

1 2 3 84