「もし自分がサークルの外に出てもこれまで繋がっていた人達との縁が断たれるわけではない。むしろそこからまた別の世界へと繋がっていき最終的に一つの輪になっていく」
クレア・ラウジーが新作『a little death』に込めたシームレスな時代、シームレスな私
クレア・ラウジーのニュー・アルバム『a little death』は、あるいは《Thrill Jockey》移籍第一弾として大きな話題を集めた昨年の『sentiment』に少し距離を感じていた従来の彼女のリスナーにとって、再び刺激的な手応えを感じる作品になっているかもしれない。ここには、彼女自身のヴォーカルもなければ、加工された声もない。生活音、環境音をサンプリングして挿入し、荒々しいノイズに仕立てたり、逆に蒸留させるように研ぎ澄ませたり。その一方でピアノやギターなどの生楽器の音色は加工されないまま聞こえてくる。メロディらしいメロディは確かにほとんどないが、時折流れてくるフレーズはどこかに郷愁感を漂わせたもので、聴く人ひとり一人の耳に寄り添うような優しげな佇まいを放っている。これは明らかに、テキサスで数々のエモコア・バンドのサポート・ドラマーとしてキャリアを始め、自主制作で作品を発表し、さらにはジェンダーの境目で苦悩しながら、スタイルを模索し続けてきたクレア・ラウジーそのものだ。
新作『a little death』は過去作『a heavenly touch』(2020年)と『a softer focus』(2021年)に続くトリロジー3作目(3部作の最終作)とされ、非常に多作家で知られるクレアだが、この2作品は制作メソッドなどにおける共通点があるという。詳しくは今回のインタヴューで語ってくれているが、それはクレアにとって過去と現在地とを結びつけるための確認作業のようなものであり、これより先に進むことを告げるエンド・クレジットであり、その新たな一歩となりうる作品でもあることを証明することとなった。アルバムには、3月にリリースされたコラボ作『no floor』に続き、モア・イーズが本名名義のマリ・モーリスとしてヴァイオリンで参加。さらに6月リリースのコラボ作『quilted lament』に続き、グレッチェン・コァスモーがクラリネットで、また、本作のマスタリングも手掛けるアンドリュー・ウェザーズがラップ・スティール・ギターで貢献している。さらに、クレアの『a softer focus』を含む過去作にも関わっているアレックス・カニンガムもヴァイオリンで力を貸し、この9月にニュー・アルバム『Tender / Wading』を発表したコロラド州出身のマシュー・セイジのプロジェクト、エム・セイジもクラリネット、エレクトロニクス、ピアノで参加……とこれまでのクレア周辺で共闘してきた仲間が集まった。しかしながら、クレアは言う。これもまた一つの側面にすぎない、と。
『sentiment』、そして、そのリミックス・アルバム『sentiment remix』に続いて《Thrill Jocley》からのリリースとなるニュー・アルバム『a little death』は、これまでの彼女のキャリアと現在地とが地続きになっていることを指し示す重要作だ。だが、電子音楽家、実験音楽家として、エモーショナルだけどアンビエント、エレクトリックだけどオーガニック……それは確かに個性だが、今の彼女はおそらくもう全く別の地点にいるに違いない。それがどこかは誰にもわからない。きっとクレア自身にも。来日時から1年ぶりに彼女と話をしたのでお届けしよう。
(インタヴュー・文/岡村詩野 通訳/竹澤彩子)
Interview with claire rousay
──昨年、アルバム『sentiment』をリリースしたあと、あなたはこれまでにないほどに注目され、多くの場所でパフォーマンスをし、高い評価を得ました。あなたはあの時の気分として、とても「elated」で、一方で極めて複雑な気持ちになったとのコメントも残しています。あの作品があなたに気づかせてくれた多様な気づき、発見について、あらためて聞かせてください。
claire rousy(以下、c):そうですね、今回の新作に関しては自分の元の古巣に帰るような、自分の昔からのパターンや音楽制作のスタイルに立ち返っています。前作は歌やヴォ―カルやメロディが全面に打ち出したもので、そっちのほうが私のカタログにおいては異質で、例外的な作品だったと思います。また近い将来『sentiment』路線の音楽を作るっていうのは現時点ではなかなか想像がつかないですね。とはいえ、前作みたいな作品はあれが最初で最後とも決して思わないんです。実際、ああいう形の作品を作ったことで得るものもすごく大きかったと実感しています。自分が普段やってるような音楽におそらく馴染みがないリスナー層にもリーチしましたから……というわけで、今回は再び昔ながらの等身大の自分に立ち返ってみようと言うところからスタートしてます。
まあ、自分にとっては昔から馴染みのある音ですが、『sentiment』がきっかけで私の音楽に興味を持ってくれた人にとっては今回のほうがむしろ馴染みがないんでしょうけど(笑)。そのへんは自分でもすごく興味ありますね。前回と同じくらいの数の人が聴いてくれるのか、これはさすがに変わり種すぎて実験的すぎてついていけないってことで離脱者が続出するかもしれません(笑)。ただまあ、ツアーに関しては心身ともに疲弊しきってしまいました……そもそもツアーだけでも大変なのに、前回は慣れないことをしていたので尚さら大変でした。自分にとっても初めてのことだらけで、毎回その場で臨機応変に対応しなくちゃいけなくて、毎回学びの連続みたいな状況でしたね。今回はもっとリラックスして本来の自分により近しい馴染みのスタイルに戻ってるみたいな感覚です。それはアルバムのレコーディングにしろツアーの方法にしろ、ありとあらゆる面において元の自分の慣れ親しんだスタイルに帰ってるみたいな感じです。それこそパフォーマンスにしろ行動範囲にしろ、自分が今やっている音楽にしろ、すべてにおいて自分の慣れ親しんだ環境に再び身を置いているみたいに感じています。
──去年の来日時、あなたは多くのファンと交流しオーディエンスからのサインや写真撮影にも応じ、交流を深めることを積極的にしていました。ある種フレンドリーでチアフルなムードは、ともすればポップスやロック・ミュージック特有の熱量高いヒロイズムを孕んだものでもあったように思います。もともと、エモコア系のバンドのサポートなどもしていたとはいえ、それまでの電子音楽家/実験音楽家としての活動とはまた違うムードに戸惑いもあったのでしょうか。
c:何て言うか……ただもうすべてがシュールで不思議な体験でしたね。『sentiment』以前のツアーでも何度となくそういった経験をしてるんですけど、昨年のツアーに関してはこれまで以上にそれを実感する場面が多かったです。日本でライヴをする頃にはある程度耐性がついていたはずなんですけど……とはいえ自分の音楽を聴いてくれる人たちとのやり取りを通じて、その違和感がものすごく顕著に浮き彫りになったように感じたのが印象的でした……それは決して悪い意味ではなくて。ただ、間違いなくこれまでに感じたことなかった感覚ではありましたね。もともと少人数のニッチでマイナーな音楽の愛好家の前で自分の音楽を演奏するのに慣れてましたから。ポップやインディ・ロックのライヴみたいに、その場にいる全員が曲を知っていて、お目当てやお気に入りの曲があってそこに来ているという設定が自分にとってはまるで異世界にいるみたいで、そういう前提のもとにライヴを観に来てくれる人達と交流してるっていうのがさらに新鮮な体験でした。
自分が普段やっているのは40分間ただひたすら音楽だけで、途中でMCを挟んだり、演奏を止めたり、歌ったりすることもなく、ただひたすらえんえんと音を鳴らし続けるスタイルなので……そもそも立ってること自体に慣れていないというか。それまでずっと観客も主に着席スタイルで、しかもエレクトロニック・ミュージック中心のセットをやってたので、ステージに立ってること自体に慣れていなくて……というか、それまでもステージに立ってはいたものの、ほぼ直立不動でパフォーマンスしてましたから。前回のツアーではあくまでも「自分にしては」っていう括弧つきにはなりますけどアクションが多くてフィジカルでしたし。それとライヴ後に観に来てくれたお客さんと話したり、これまでのライヴで感じたことのないほどたくさんのエネルギーを感じましたね。
──日本と海外ではパフォーマンスに対する反応の違いは明確なのですか。
c:そうですね、イギリスやヨーロッパやあるいはアメリカでもわりと似たような雰囲気でしたね。ライヴの後に声をかけてくださったり、レコードを買ってくださったり……ただ、こういう種類の音楽について深く理解して心酔しているまた違ったところでの興味というか。ある意味、実験的なエレクトロニック・ミュージックを聴くときに近い姿勢を感じました。着席型のコンサートなんかがそうですけど、自らその空間に入り込んでいって、そこで起きている音に集中して聴き入ろうという積極的な姿勢というか……いずれにしろ自らコミットしようという意志が働いているわけです。日本ではその反応が実験的なエレクトロニック・ミュージックだけじゃなく、歌ものに対してもそういう反応が起きて、それは日本以外の地域では見たことのない初めての光景だったのですごく興味深かったです。しかも、曲に向き合うときの集中力の度合いがさらに強いというか、それがすごく印象深かったですね。
──とはいえ、ある種ポップスとしての高い評価を得た『sentiment』リリース後には、それを解体するようなリミックス・アルバムも発表しましたし、スロヴァキアの伝説的な漫画家、ヴィクトル・クバルのアニメーションのスコアを再構築した『The Bloody Lady』も発表しました。あなたは自分のやってきたこと、身につけたことを自ら壊すようなことをやっているようにも見えますが、これは無意識で自然なことなのでしょうか。それとも、それほど『sentiment』から得たものは、あなたにとって大きかったのでしょうか。
c:そうなんです。私としては『sentiment』ですら、リリース前は多くの人にとっては理解しがたいもので反応もパッとしないだろうと予測してたんですよ。しかも、歌が入っていないほうの曲のほうにむしろ多くの反応があって、それをきっかけに実験的な音楽に興味を持ってくれる人達が出てきてくれるんじゃないか? と予想してたんです。ところが、自分の予測に反して、多くの人達が歌の方に関心を持ってくれて、しかもすごく気に入ってくださって。それは自分にとってすごく新鮮な体験でした。それから……というか、そもそも常に同時にいろいろなことに取り組んでいるのもあり……『sentiment』のツアーの中にも、ものすごく実験的でチャレンジングな音楽を作っていましたし……ホテルでも、日本滞在中もPCで実験的なエレクトロニック・ミュージックを作っています。常に何かしら作っている状態なので……なので、『The bloody Lady』のスコアにしろ今回の新作にしろすべて同時進行で手掛けていたんです。脳味噌の中にいくつも部屋があるみたいな感じです。それがポップ・ミュージック的な形で現れることもあれば、スロヴァキアのアニメーションみたいな実験的な形で現れることもあるし、ミュージック・コンクレートや、あるいはエレクトロニック的な形で顕在化することもあるんです。
いずれにしろどれも独立した世界のものとしてパラレルに同時進行していて、それぞれが違うタイミングで作品として表に出てきてるみたいな感じです。その点、自分はすごくラッキーだと思っていて。色んなアイデアを同時に抱えて、しかもそのすべてを扱えるだけのエネルギーと余白があるってことですから。とはいえ、どれも自分の中では全くの別物なんです。実際、ライヴで『sentiment』の曲をやった後でホテルに帰って『The bloody Lady』のミックスをしたりとかしてました。自分の頭の中では完全に切り分けられているんです。
──『The Bloody Lady』は元々スロヴァキアの作曲家がオリジナルの音楽を手がけていました。今回新たに独自にサウンドトラックを手がけるにあたり、どの程度そのオリジナルを参照したのでしょうか。
c:それがまったく知らなかったんですよ。この作曲家の方もそうですが、この映画自体も今回の件がきっかけで初めて知りました。しかも、その背景もすごく興味深くて。というのも、1980年代はまだソビエト連邦の時代だったじゃないですか。だから、あの時代にソビエトの影響下にあった共産主義国のアートやカルチャ―ってこれまで西側諸国にはほとんど伝わってきてなかったんですね。最近になってからようやく発掘されたみたいな感じです。映画や音楽なんかはとくにそうで、確実にあの時代に存在していたはずの作品なのに、その作品の存在もそれが制作された歴史的背景について知ろうとしようにも、それ自体ものすごくリソースが限られているんですよ。自分も今回のお話しがあって初めてこの作品について知り、映画やサウンドトラックはもちろん美術や色彩担当に至るまでクレジットにある情報をくまなく漁りました。それが本当に豊かな歴史とカルチャーの宝庫で、それまで存在すら知らなかった新たな世界への扉が開かれたみたいでした。しかも、時間を遡って過去の作品に取り組むというアイデア自体がすごく刺激的ですし、ものすごくインスピレーションをかき立てられて……。今回のことがきっかけであの作品と出会って、あの作品の制作者だったりその周辺の人達についても知るようになったんです。
そもそもあのプロジェクトは元々ベルギーの映画祭での一度限りのライヴ・イベントでの演奏のはずだったんですよ。それがレコーディング・プロジェクトに発展して、今では世界各地に広まっています。しかも映画のストーリー自体もすごくユニバーサルに訴えかける内容で、セリフが一切なくてすべてアニメーションの映像だけで進行していくんです。それもあって、昔の間に新たなスコアをつけるという今回のプロジェクトとも最初から親和性があったというか、普通にセリフのある映画にスコアを付けるよりもすんなりいったと思いますね。
──様々なプロジェクトがあなたの中で常に同時進行していること、もともとのアイデンティティ=電子音楽家/実験音楽家としての側面が基盤にあることなど、レーベルの《Thrill Jockey》もそんなあなたの特異な制作アングルとポジションを理解しているようにも思えます。
c:そうなんです、そこは本当に心から感謝しています。私が作ってる作品ならジャンルや形式は問わないと言ってもらえて。そこまで信頼して任せてもらえるケースは稀だと思うので。その点に関して自分はすごく恵まれていると思います。ただ、『sentiment』のツアー中から次は思いっきり実験的な方向に振り切れたアルバムにしたいという話はレーベル側に伝えてあって……ちょうど今、今回の新作のツアーに向けて準備してる最中なんですけど、今朝、PCの空きスペースを確保するためにファイルの整理をしてたら、ポップ・ソング系のデモ音源が大量に出てきて自分でも驚いたんですよ(笑)。ただ、こういった音楽表現は自分にとってまだ馴染みがないので作品の形に昇華するまでには時間がかかると思いますが、ただ、曲も素材もまだまだ大量に残ってるので、いつかまたポップ寄りの音楽が再浮上する可能性は大いにあると思います。
そういうわけで、色んなことを同時進行で進めていくのが好きなんですよ。自分の内側にあちこちに散らばってる小さなものを一つ一つ拾い上げていくみたいな感じで……しかもそのどれも自分の中に共存しているわけです。まるで私のパソコンの中身そのまんまです(笑)。無数のファイルが存在してて、まるで中身の違うファイルが隣同士に並んでるんです。なので今後、再びポップ方向に向かう可能性は大いにあると思います。まだ自分にはその準備ができてないというだけで。それと今回の新作が3部作の完結編ということもあり、まずはこの3部作のほうを先に完成させたかったのもあります。このアルバムを完成させたら、今回の手法はひとまず終了になります。音楽の系統というよりは、この音を作り出すために使っていたメソッドをいったん封印したいというか、別の方法を試してみたくて。このアルバムはその有終の結びになったと思います。
──私には『sentiment』を制作したことで、あなたは電子音楽家、実験音楽家としてさらに強くなった、より先に進めたように感じています。実際に、そうした手応えが、どのように新作『a little death』に反映されたと思っていますか。
c:手応えというか、率直な実感としては、『sentiment』でたくさんの方々に注目してもらってツアーできたことで、経済地盤が安定したというのはあります(笑)。その基盤ができたおかげで、もうちょっと気持ちに余裕をもって作品に取り組めるようになったように思います。それとツアーを通して毎晩のように同じ曲を演奏して歌ってということをずっとやってきて、レコーディングよりもツアーの比重が大きかった時期が長く続いたこともあり、やはり自分は『sentiment』的な音楽よりもこっち系の人間なんだなってことを改めて実感しました。というのも、エレクトロニック・ミュージックだと即興の要素が絡んでくるじゃないですか。ライヴなんかになるととくに。それでも歌モノになると、どうしてもやっぱり毎回同じ曲を歌うっていうスタイルにならざるをえないわけで……そこで内容を少しアレンジしたり変えたりすることもできるし、実際にそういうこともしているんですけど、途中で少し脱線して自分の好きなことをやってから、そこからまた本流に元に戻るみたいな構造で、大筋の部分は変わらないわけです。
それとライヴで変化を加えるときにも、エレクトロニック・ミュージックの方が自分にとっては自由度が高いし、ツールに関しても使い慣れてるのもあって。いつもエレクトロニック・ミュージック系のツールを中心に音を作ってるので、そっちのほうが自分には扱いやすいんです。ステージ上でもチャチャッと変化を加えることができる。その結果、普段ポップ・ミュージックでは聴かないような音が紛れ込んでたりするわけです。というわけで、経済面での安定というのは本当に大きいですね。そのおかげでツアーを終えてこうしてLAの自宅に戻って、そもそも一般向けしにくい、枚数自体もそんなに刷らないレコード作りに注力できたりするわけです(笑)。それは本当に大きかったと思いますね。
──さきほど少し触れてくれましたが、『a little death』は過去作『a heavenly touch』(2020年)と『a softer focus』(2021年)に続くトリロジー3作目とされています。つまり、かなり前から構想していて、むしろその間にイレギュラー的に『sentiment』の制作があったというようにも感じました。実際のところ、制作の順序、あなた自身の3部作のアイデアの流れはどのような感じだったのか、詳しくおしえてください。
c:自分一人でエレクトロニック系の音楽を作り始めたのが2020年とかで……カセットテープや自作のエレクトロニック系の機材なんかを使ったりして曲作りを開始したのが2020年……もしかしたら2019年かもしれません。ちょうどコロナのロックダウンの前あたりです。それもあって自宅の生活音とかインターネットから拾ってきた音をカセットテープに録音して、それを加工することに夢中になってたんですよ。だから、いわゆる音符ではない音というか、要するに環境音みたいなものから曲作りをスタートさせるようになっていったんです。そのフィールド録音だったり環境音だったりサンプルの土台の上に音を乗せていくみたいな形で曲作りをスタートしているので、本来メロディではない音符を持たない音がメロディやハーモニーの特性を左右しているような形になります。
『a heavenly touch』も元々はアメリカのインディー・カセットレーベルの《Already Dead Tapes&Records》から60本限定のカセットテープとしてリリースされていて。その後『a softer focus』を、こちらはヴァイナル盤として出しました。この作品は、前作の制作スタイルをさらに発展させたもので、フィールド・レコーディングの音源の上に音を重ねるという手法を使っています。ただし、『a softer focus』では生楽器を取り入れるようになって、外部からミュージシャンを呼んでエレクトロニック音やフィールド録音の音源の上にヴァイオリン、チェロ、ピアノを重ねてもらう形でサウンドスケープを描いていきました。『a softer focus』のリリースのタイミングで『a heavenly touch』がヴァイナルでリリースされてより多くの人の耳に届けられることになりました。
さらにお気づきかもしれませんが、どのタイトルもすべて「a」+「〇〇」の形式で3文字の構成になっています。『a softer focus』の後にも、その後も似たような制作スタイルで何作か作りましたが、どれもその2作ほど自分の中で共鳴し合わなかったんですね。あの2枚はエモーションの部分での結びつきが強くて、あの2作で採用したフィールド・レコーディングの手法にも個人的にすごく思い入れがあるんです。どこまでも自分自身が作った作品という感覚がものすごく強くて、どこまでも自分らしい音楽だと感じています。ただ、今回のアルバムの制作に入った時点ではこれが3部作の一部になるとは思っていませんでした。『a softer focus』を出した時点でも、3部作という意識はなかったんです。でも今回の新作を作っているうちに、先述の2作と同じような制作方法でで、フィールド・レコーディングで作った音源の上に友達に演奏してもらうなり、自分で弾くなりしてアコースティック楽器を重ねる手法を使っていたのもあって、あの2作と同じような感情が自分の中に沸き起こってきました。あの2作を作ってからもう4、5年になるんですが、このアプローチというか制作スタイルがきっかけで、この3作が自分の中で強烈に結びついてることに気づいたんです。そこから3部作としての流れを作っていきました。回を重ねるごとにアコースティック楽器の種類が強化されていってる感じですね。
『a softer focus』のときは楽器の種類も限られていましたが、今回ピアノ、ギター、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、サックスと、少なくとも自分にとってはかなり大規模な編成で、前作よりもはるかに豪華で大掛かりなものになっています。3部作のどれも同じ感情であり手法を元にしていますが、プロダクションやアレンジの面で徐々にスケール感が増しています。最初は全部一人で作っていたところから『a softer focus』では他のミュージシャンにも参加してもらっているんですけど、今回はそれよりもさらに多くのミュージシャンに参加してもらって、そのぶん自分はアレンジやミックスのほうに注力してアコースティックとエレクトロニックのバランスを時間をかけてじっくり調整していきました。それと『sentiment』を作ったことでギターが弾けるようになったので、今回はギターが大活躍しています(笑)。
──タイトル『a little death』は、フランス語の「la petite mort」(オーガズムの比喩)のように思えて、実際はあなたがかつて暮らしていたテキサス州サンアントニオのワインバー《Little Death》に由来しているそうですね。あなたはここで2021年に最初の録音を行っていますが、つまりは、現在はロサンジェルスに暮らすあなたが、当時のアルコホリズムのピーク期を振り返る内容のようにも、自分の原点を見直すかのようにも、あるいは過去の人生の変化を象徴する1枚のようにも思えます。3部作の最終作ということで、そうした活動初期の集大成的なニュアンスを込めた部分もあったのでしょうか。
c:ああ、確かに……決して意図していたわけではないんですが、すごく鋭いご指摘ですね……今そう言われて、自分の頭の中で一気に繋がった感覚がしました。実はこのアルバムの最初のフィールド・レコーディングは、私が『a softer focus』のプロモーション時にインタヴューを受けたワインバーで録音した音源なんです。アルバムの取材を受けながら同時に録音もしていて、まさにそこから今回のアルバムがスタートしてるんですが、それが本作のタイトル・トラックにもなっています。ちょうど今回のアルバムの制作を開始した時期とも重なってるので、音的にも作業スタイルにしろ自分が思っていた以上に無意識のうちに繋がっているのかもしれませんね。最初は気づかなかったんですが、録音の日付を見てみると、たしかに2021年の『a softer focus』のリリース時期と重なっていますし、今作の音源もその頃に録音したものなんです。当時、あのバーに入り浸ってましたから……。
当時、実は私は本当に自堕落なダメダメな時期で、あれでよくここまで無事に生きのびてこれたなって思うくらいなんです(笑)。アルバムのタイトルは単純にバーの名前から取ったものですが、今回の3作を通して音作りの方法や使ってるツールは引き継いでいるんですけど、ミックスやレコーディングをしているときの癖や習慣は今では継続していません。最初に作品を作り始めた頃は毎日のように飲んだくれていましたが、ミックスを仕上げて完成させる頃にはお酒をやめていて、同じ作品でもその制作過程は前半と後半でまるで違う体験になっています。とはいえ、3部作すべてに共通して重なる部分が残っていて、それがこの3作を一つの大きな作品として結びつける上で重要な役割を果たしていると思います。同じ制作方法や感情の流れに基づいているので、そこから3部作としての一体感が生まれているように思います。単にアルバムのタイトルと音作りの手法という部分だけに留まらず、もっと大きな枠組みで繋がってる構造にしたくて……そして、たしかに一つの終わりを迎えたようにも感じています。今回のプロセスにおいて実際どれだけのものが完結しているかはわからないですけど、確実に一つの終わりみたいに感じています。
──あなたは小文字の“claire rousay”表記です。それについて、以前あなたは自分のちっぽけな存在を強調する意味もあると話してくれましたが、今回のタイトルの『a littele death』も、ひとり一人の人間の死みたいなものだったり、名もなき人が日々亡くなってたりする状況を受けて、小さい存在に対して目を向けようとするような意識みたいなものも感じられます。
c:そうですね。それもあるかもしれません。小文字を使っているのは矮小化すると言うのとはまた違いますけど、何か大きなものを切り離すような……自分の作ったすべての作品を自分名義で出すようになったとき、大文字の自分の名前に違和感を覚えたんですよね。その身の丈に合わないものから、自分自身を切り離すような感じです。でも、その名前だけでこの作品の中に込められている感情のすべてが包括できているとは思っていません。小文字の表記を使っているのはおそらく自分自身へのリマインドでもあります。ほんの些細な小さなものがどれだけ大きな重みを持つのかを認識していたい。別に普通に大文字表記を使うこともできますけど、それだったらそこに何かしら意図があるとは普通は考えないわけじゃないでしょうか。ただ、外部の人とやりとりする際に小文字を使ってもらうようにお願いするとなると、そのことが突如として大きな意味を持ち始めます。とくにジャーナリズムにおいては特殊な書式や表記の使用は避けられる傾向にありますから。
小文字の表記は「これは取るに足らないことなんだ」と自分自身に思い出させるための手段でもあります。世界には小さなことから多くを得られる瞬間が往々にあります。それに自分の日常の多くは些細な普通のことから構成されていたりもします。私の音楽もありふれた日常の中の音だったり、家の中の生活音だったり、自分が普段接しているごく限られた世界の小さなスペースで出会った音から作られています。こうしたありふれた小さなものの中から何かしらの大きな気づきを得る才能を持っている人って世界中の至るところにいると思うんですよ。その誰もが表現者として音楽を作って発信する機会に恵まれているわけではないので。だからこそ自分が飛行機に乗ったり、こうして自分の考えを話したり作品を発表する機会を与えられてるときにも、その向こう側にいる日々の生活をただ必死に生きている人達の存在があることを常に心の片隅に留めておきたいんです。もうまさに……今、仰られた通りです。
──アルバム『a little death』に収録されている「somehow」の後半にフィーチャーされている独白について伺います。「約2年前の4月頃、無職で家もなく、失恋もして…という状況だった。せめて好きな音楽でも聴きたいと思ってライヴに行こうと思ったけど、ディスカウントやゲストで入れてもらえることもできなかった」みたいな一人語りになっていますが、あれは誰の発言なのでしょうか。
c:ふふふ。では、もっと詳しく話しましょう。確か2年前だったと思います。ちょうど今ぐらいの時期で、たぶん4月……仕事もなくて、家もなくて、精神的にもズタボロの状態で。そしたら自分の住んでる町でコンサートがあることを知り。自分が日々の生活していくために最低限必要なものすらまかなえない状態だったけど、せめて音楽だけでも良質なものをって思って……。でも、ほんとにお金が一銭もなかったから、400だか500だかわからないけどチケットに必要なお金を工面できないかと思って、どうにかしてコンサートに行けるように。それでアーティスト本人に直接メッセージを送ってみることにして。そしたらディスカウントしてくれるかもしれないし、ゲストリストに載せてくれるとか何かしらの枠に入れてくれるかもしれないっていう願いを込めて。それでInstagramでメッセージを送ったら、一日待っても返事がなくて。次の日にInstagramをチェックしたら、相手が知らない人からのメッセージをブロックするっていう設定に変えてて。そのとき「ああ、なんかもう、これよりも下はないくらいどん底だよな……」って。そこからはもう、この先この人のコンサートに行こうとか、グッズを買って応援しようなんて二度と思うまいって。あれから2年経って、自分はここにいいて……っていう、実際の話。そして、そう、その「二度と応援しまい!」と思わせたアーティストとはクレア・ラウジー、私のことなんですよ! しかも仕込みじゃなくて、あれって実際の音源なんです(笑)。
──えーっ! その発言をしたのは誰なんですか!
c:これは『sentiment』のツアーでプラハに訪れたときに、会場をまわってお客さんにマイクに向かって話してもらった声を録音してたときに、その“彼女”がこの話をしてくれたんです(笑)。つまり、一人の私のオーディエンスの女性なんです。しかも、その日はたまたま私の誕生日(笑)。なんだかもう、ぶっ飛んでる出来事ですけど、どうしても自分の作品にあの音源を使いたくて(笑)。普段はライヴが終わったらたいてい削除しちゃうんですよ。でも、これに関してはあまりにもツボすぎて、あまりにも衝撃的かつクレイジー過ぎて(笑)。何が何でも作品に使いたいと思って、ネットで彼女を探して使っていいか確認したところOKしてくれて。しかも自分の名前もクレジットに入れてくれってことで、「voice」として彼女の名前がクレジットされているんです(笑)。でも、実際に彼女が話してくれたときのそのまんまの音源。そのあと自分の過去のインスタの履歴を探して確認したら、実際にそういうやりとりがあったんですよ(笑)。
──そうしたクレイジーな側面もありつつ、作品自体は夕暮れ時に録音したフィールド・レコーディングを中心に構成された、穏やかな漂流と潜む不安を表現した美しい内容です。ポップな感性と作曲の鋭さを組み合わせ、抽象的な音を具体的な感情に変えるのが特徴です。スタジオ外の生活音を基に、ヴァイオリン、クラリネット、ピアノ、アコースティック・ギターなどを織り交ぜています。感情的な深みを強調し、告白的から会話的なトーンへ移行する構造で、非常に広がりのある、心理状況の変化をも伝えます。
c:そうなんです、できるだけ多くのアコースティック楽器を取り入れるにはどうしたらいいのか探ってて……最初はトラックを中心に作ってて、ギターがこんなに多くフィーチャーされるとは思ってなかったんですよ。というか、ミックスしている最中ですら「今回はギターが少ないな」って感想を抱いてたくらいです(笑)。とはいえ、蓋を開けてみたらギターがかなり使われています。それにピアノもたくさん使われていますね。ピアノは2020年頃から常連みたいな楽器です。そう、最初はとにかくアコースティックの音を多く取り入れるにはどうしたらいいか?って発想からスタートし……だいたいいつも個々の短いパーツを作って組み合わせて長編に仕上げるスタイルで制作しているんですけど、たいてい10分から15分くらいの長さになってそれがレコードやカセットの片面にちょうど収まるみたいな。ただ、今回はそのパターンではなくて、アルバム全体が一つの長編みたいに感じられるようにしたかったんです。それで最初は音の断片から作っていったんですけど、その時点ではテクスチャーやフィールド・レコーディング、エレクトロニック・サウンドを中心に作っていったと思います。最初にその土台を作った上で、その上をアコースティックな楽器がふわふわと浮いているような感覚にしたくて。フィールド録音やテクスチャーを主体にした音が全体を紡いでいく中で、間で曲が始まったり止まったりする展開が入ったとしても、アルバム全体が一つの長い作品のように聴こえるような構成にしたかったんです。
それからアコースティック楽器が奏でるメロディ部分によって曲ごとの差異を出していきたかったんです。そうすることによってどの曲も全体として調和していくように……と同時に曲順から生まれる流れやストーリーを意識しながら、全体がまとまって聴こえるように並べていきました。ただ、そしたら今度はすべてが同じ曲に聴こえてしまうという新たな課題に直面して(笑)。それでアコースティックの楽器をどう足していくか、どういうメロディを足していったらいいのかを探っていきました。サウンド・コラージュ的なテクスチャーを主体にした音の上にアコースティックの小さな音がふわふわと立ち昇っていくみたいに……それによってセクションごとにメリハリを出すみたいに。アルバムの中盤に1分にも満たない短い曲が登場するんですけど、それがアルバムの前半と後半を分けるインタルード的な役割を果たしています。ただ、おそらく今回のアルバムの中でアコースティック楽器が場を掌握する曲は唯一その曲だけですね。残りの曲に関してはピアノでもヴァイオリンでもアコースティック楽器は主体ではなく、あくまでもその場に漂っている感じです。ただ、その中盤のアコースティック・ギターによる曲ではギターが全体をリードする形になります。それはアルバムの前半と後半を区切るために意図的にそのような配置にしています。
──アルバムにはm.sageの他、この春にあなたとコラボ作を出したモア・イーズやグレッチェン・コァスモー、アンドリュー・ウェザーズ、 アレックス・カニンガムら、あなたのこれまでの活動、作品ではお馴染みの面々が参加しています。テキサス時代を振り返る内容だと欠かせない仲間たちですが、彼らと今でも交流しこうして繋がっていることはどのような意味があると思っていますか。
c:これに関しては自分の中でルールがあって……一緒に夕食を共にできない人とは音楽を作らないっていう。この人と一緒にゴハン食べたくないって思うような人と一緒に音楽を作るとか普通に無理に決まっていますよね(笑)。音楽以外でも友人として長く深く付き合っていけるような関係であることが大前提です。このルールも友人で今回のアルバムにも参加してもらってるアレックス・カニンガムから何年も前に教わって、自分もそれにならうようになったんです。自分の音楽に深く関わってくれる人を選別する上ですごく役に立つ基準だと思います。というのも、今回演奏で参加してくれている仲間の多くが自分のパートを自分で作曲していたり、私が再構築する前の段階の即興演奏を提供してくれてたり、制作プロセスにかなり深いレベルで関わってくれてるんです。だからこそ密なコミュニケーションであり、お互いに信頼し合える関係でないと成り立たないんです。
もちろん、まだ曲ができてない時点で演奏して音だけ送ってもらった音源をそのまま自分の作品に組み込んでいくこともあります。もちろん、話し合いながら一緒に作っていくこともあれば、あるいは自分が送ったトラックに合わせて演奏してもらった音源をそのまま使うこともあります。どの人も友人としてもコラボレーターとしても長い付き合いになりますし、すごく理想的な関係で一緒に音楽を作ってきてることを実感しています。自分が一緒に音楽を作っている人達は音楽とは関係なく普通に親しくしている昔からの友人達で、その長い期間の中でお互い人生のいろんな局面やフェーズを経験して、お互いに支え合いながら乗り越えてきたという歴史がありますから……コラボレーション相手として、これほどまでに最強で心強い人達はいないと思っています。音楽だけでなく、お互いの人となりを知っているからこそ、深いところにまで踏み込んでいくことができる。それもあって、ごく親しい仲間と毎回一緒に作る形に自然と落ち着いちゃってますね。しかも、年月を重ねるごとにますます絆が深くなっていくのを感じています。それもあって、結局、毎回、毎度お馴染みのメンツになってしまうんですけど、すごく心置きなくできるし、きっと10年後も同じ顔ぶれで一緒に音楽を作っているだろうことが容易に想像できます。もちろん、そのときどきの人生によってテーマや状況は変化していくと思いますが、音楽的にますます濃く深くなっていくんだろうと確信しています。
──そうした仲間たち……あなたと志を同じにする電子音楽家、実験音楽家とは今、どのような部分で共感しているといえますか。問題共有、これからの希望や未来に向けて、何か共闘しているところはありますか。
c:そもそもアメリカでこういう音楽をやってるってことだけで同じ苦労を共にしている共闘関係にあります(笑)。今回のアルバムに参加してくれている人達みんなアメリカ在住のアメリカ人で、この地で実験音楽をやってるっていう時点で相当厳しい(笑)。いや、ほんとにそうです。ただ普通にミュージシャンとしてやっていくだけでも苦労するのに、さらにオーディエンス数も相当限らているこういう種類の音楽にこれだけの心血を注ぐって、本当に心からこの音楽を愛していないととてもじゃないけどやっていけないんです。私達みんなに共通して言えることは、たとえ誰からも聴かれなくても、この音楽にただひたすら膨大なエネルギーとありったけの愛情を投入し続けるであろうということです。そういう人達と自分は一緒に音楽を作っていきたいんですよ。紛れもない正真正銘の愛です。それは誰もが持ってるものではありません。ただ、少なくとも私のまわりにいる人達はみんな確実にその愛を持っています。
──今あなたが暮らすロサンジェルスはアメリカでも有数の開かれた町の一つですが、それでもそこに現在の厳しい状況を感じることがあるのでしょうか。
c:そうですね。ただ違う形での苦労といいますか……今はこういう音楽をやってる人口も増えて、ある程度許容されていると思います。ただ、それはそれで自分の活躍の場が減るという新たな悩みも発生するんですよね(笑)。誰も関心がないっていうのも大変ですけど、限られた枠に対して関心のある人が多い場合、なかなか自分のところにチャンスが巡ってこともあるわけで。ただまあ、インターネットのおかげで、今はどこに住んでいてもいろんな場所の人と繋がることができるので、そういう意味では世界中のどこにいてもそんなに変わらないんじゃないかとも思うんですけどね。もちろん、ロサンジェルスやニューヨークなんかの大都市のほうが興味を持ってくれる人が確実に多いんでそうけど。ただ、正直、そのへんに関してはテキサスにいた頃とそこまで大きな差は感じていません。テキサスにいた頃と唯一の違いを挙げるなら、LAでは実験的な音楽関係のイベントのすべてに自分が出演するようなことはなくなったってことぐらいでしょうか。自分もたまにお客さんとして観に行ったり、それもまたすごくいいです。
──あなた自身、ロサンジェルスでライヴのレジデンシーをつとめたり定期的に仲間とイベントをやったりはしてないんですか?
c:いや、こっちではあんまりライヴをやってないんですよ。たまに人に頼まれて出演する程度で。そもそも家にいるときは外に出かけること自体がそんなにないんですよ。せっかくロサンジェルスに住んでるんだから、本来ならもっと積極的に外に出ていくべきなんでしょうけど……たまに人が集まる場所に行くと、「なんでここにいるの?」ってびっくりされて、「今こっちに住んでるんだよ」って答えると、「えっ、そうだったの?」って驚かれるくらい(笑)。私自身、あまり外に出ていかないタイプではあるんですけど、ただ、ここのコミュニティ自体はすごくいい雰囲気で、音楽をやってる仲間もたくさんいます。音楽をやっている人が多く住んでいる地域のあるあるとして、みんなツアーでしょっちゅう家を空けてるから地元にいないことのほうが多いっていう(笑)。自分がこっちであまりライヴをやらない理由の一つも外でさんざんライヴをしているからで。家にいるときはあまりライヴをしたいとは思わなくて、むしろ観る側になってイベントやライヴを楽しむ方が好きなんです。友達と一緒にライヴに行ったり、友達の演奏を観に行ったりすることはありますけど、自分が演奏することはそんなにないですね……ライヴに関してはツアー中もうさんざんやらせてもらってますから(笑)。せめて家にいるときには、自分がパフォーマンスするよりも受け手側にまわって楽しみたい感じなんです。
──アンビエント・ミュージックは近年新たな側面を迎えています。あなた自身は、アンビエント音楽の今後の可能性をどのように考えていますか。
c:確かに昔に比べてだいぶ受け入れられるようになってきてるとは思います。とくにパンデミック中あたりから……いや、もしかしてそれ以前から兆候があったかもしれないですけど、とくにパンデミック中にストリーミングなどを通じてリラクゼーション音楽みたいなものを聴く層が一気に増えましたよね。そこから、これまでこういう種類の音楽に一切関心を持たなかった人達に扉を開く形になって……しかも、単なるリラクゼーション音楽みたいなものではなく、もっと豊かで広がりのある世界であることが認知されて、それまで知らなかった音楽に対する新たな見方に出会うきっかけになったと思います。短く駆け足の曲を聴き慣れていた人なんかはとくに、ゆっくりと時間をかけて一つ一つの音とじっくり向き合っていく音楽が存在しているだなんて、まったく未知の体験ですよね。そういう音楽に興味を持つ人工が増えたことから、その人達経由でポップの世界にまでじわじわと浸透していってるような……それは単にマーケット的な側面に限らず、より多くの人にとって昔に比べて身近なものになっていったのではないかと。
それまでは実験音楽という限られたニッチなコミュニティの中で寵愛されていた音楽が、その限られた小さなコミュニティの中だけのものではなく、もっと幅広い層にとってアクセスしやすいものになったと思います。ただ、これは自分のまわりにいる友達同士の間でよくネタにされるんですが、「ねえねえ、あのインディ・ロックの誰々がどうやらクレアのファンらしいよ」だの(笑)、「クレアって、実はインディ・ロックのアーティストの人達から人気者らしいよ」だの(笑)。ただ、それって実験音楽をやっている仲間の間ではわりとあるあるで、ポップやインディ・ロックだったり普通にアクセシブルな音楽を作ってる人がものすごくクレイジーな実験音楽を聴いていたりするんですよ(笑)。 最近は、自分が好きな音楽だったり影響を受けたものや好きな音楽を気軽に共有できる時代になったこともありますし。インディ・ロックだったらインディ・ロックという閉じられた世界の中で完結している時代ではもはやなくなりましたよね。ブライアン・イーノがヴォーカル・アルバムを作るって発表したときもそうですけど、自分と同じサークル内ではなく、まったく別の世界にトライしてみようっていう流れになってきてると思います。
いやでも、ほんとに、意外なところでこういう変わり種の音楽を愛聴している人が増えてる気がしますね。特に映画監督とか映像関係者に多いですね。音響的な演出効果を求めて奇妙な音楽を探してるような印象です。ファッション界もそうで、ファッション・ショーでも奇抜な音楽が重宝されているような印象です。以前よりもずっと受け入れられるようになってきていて、「そういうもの」として定着しつつある気がします。最近は色んな人達が奇妙な音楽に対して以前よりも積極的に興味を示してくれるようになりました。とくに若い世代なんて「何これ? 変わってるね!」って訊くと、「え、みんな普通に聴いてない? いいよね!」みたいな反応だったりして。すごく面白いですよね。以前は誰も知らない秘密のように一部のマニアの人達だけで愛聴されていた音楽が、今では一般の人たちにも開かれていて、興味を持った人が誰でもアクセスできる時代になっています。で、それが小さなサークルになり、大きくなっていく。それはとてもいいことだけど、私自身は、いろいろなことを同時にやっているから、もし自分がそのサークルの外に出たとしても、それでこれまで繋がっていた人達との縁が断たれるわけでもなく、むしろ新しい接点が生まれて、そこからまた別の世界へと繋がっていくんです。それがどんどんどんどん繋がっていって最終的に一つの輪になって繋がっていくような気がしています
──インディ・ロックなんかもそうですけども、大抵のポピュラー・ミュージックは消費されていく宿命にあるじゃないですか。 あなた自身はそうやってロックやポップスだったり、いわゆるポピュラー・ミュージックが消費されて行く音楽であるということに抗いたい、抵抗したいという気持ちがあるのでしょうか。それとも、むしろある程度そうやって消費されていく側面というのを楽しんでいる部分もあるんでしょうか?
c:それについていくつか思う点があります。自分自身、Spotifyは使っていませんし、あまり関わりたいとも思っていません。ただ、アンビエント音楽やエレクトロニック系の音楽を作っている人たちの中には、メジャーなプレイリストに載ることだけを目標にしているんだろうなあっていうような人達もチラホラ目につきます。たしかにそれが収入やキャリアを確実なものにする上で役に立つんだろうことも理解できます。ただ、私に限ってそういう目的で音楽を作ることはないです。自分が創作活動に向かうときマーケティングや、ある特定のリスナー層を意識することはまずないです。そうなると完全に目的が違ってしまうというか……というか、見ていてわかりますから。「あー、本当は好きじゃないけどやらされてるんだね」って。アンビエントに限らず、そういう例は昔からずっと繰り返されてきたことなわけじゃないですか。ポップで売リ出してた人がいきなり路線変更してアンビエントに手を出し始めたら、やっぱりちょっと無理してる感じがして違和感があると思うんですね。 ただ、もし自分の曲をCMとか作品に使いたいっていう話があるなら、それに関してはとくに抵抗はないです。もちろん、あくまでも内容次第になりますけど。
ただ、すごく残念だなって思うのは……それまで人気がなかったものが爆発的に人気になったときの弊害というか、ただ純粋に好きという気持ちからじゃなくて、売れること目的でそこに便乗する人達が出現するわけじゃないですか。グランジなんかまさにその最たる例で、稼げるって思われた瞬間にそれに便乗した人達が大量に出てきたことで、どんどんおかしな方向に流れていってしまった……アンビエント音楽もグランジほどの規模ではないにしろ、ここ何年か前に音楽よりもお金儲け目当ての人達が参入してきたところから、色々おかしなことになってて、瞑想アプリ用の瞑想音楽の制作依頼みたいな怪しいオファーの話があったり(笑)。ただ、仮に自分がそれをやったところで、紛いものの音楽でしかないわけじゃないですか。瞑想用の音楽なんて自分にもどうやって作ったらいいのかわからないし、瞑想効果を謳うからには周波数だの何かしら科学的な根拠なりバックグラウンドが必要なわけじゃないですか。それなのに、そういう知識や配慮の一切ない人達が単純にお金儲けのためにアンビエント・ミュージックを利用しているだけの話にすぎません。本来なら自身の領域ではないところに営利目的で参入してきた人達が幅をきかせることで、全体的におかしな方向に流れていく傾向があるような気がしてて。
ただ、こうして間口が広がった自体は喜ばしいことだとは思います。もちろん正直、「それってどうなの?」と思うところもあります。とはいえ、こういう音楽に気軽にアクセスできるようになって、より多くの人に関心を持ってもらえるようになったことはすごく嬉しいことだと思います。私自身、自分の知らない音楽についてもっと知りたいと思う気持ちに100パーセント同意ですし、自ら学んでいくことを通じて新しい世界の扉が開けて、それまで自分が知らなかったものについて知る喜びも知っています。自分が今やっているこういう種類の音楽の中ですら、いまだに新たな学びの連続で、日々新しい音楽を開拓していますし。だからこういう音楽に興味を持ってくれた人に対して、こちらから門戸を閉ざして、その出会いや学びの機会を奪ってしまうようなことは絶対にあってはならないことだと思います。あるいは、自分はそのへんを自制できてると思いますが、昔からこういう音楽を聴いてきた人間が新たに音楽に興味を示してくれる人達に対して知識や経験でマウントを取るみたいな形で、「こうあるでべきだ」っていう自分の価値観や像を押しつけるのもまた違っているというか、少なくとも自分の本分ではないと思っています。
<了>
Text By Shino Okamura
Photo By Katherine Squier
Interpretation By Ayako Takezawa
claire rousay
『a little death』
RELEASE DATE : 2025.10.31
LABEL : Thrill Jockey / HEADZ
購入は以下から
HEADZ公式オンラインサイト
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