ベイルート=ザック・コンドンが語る、 最高傑作『Gallipoli』で見せる地域も時空も超えたミュージック・タイムトラベラーとしての自負
今回のインタビュー中で本人も説明してくれているように、ベイルートのザック・コンドンの故郷、アメリカはニューメキシコ州サンタフェに《フィエスタス・デ・サンタフェ(Fiestas de Santa Fe)》というお祭りがある。毎年9月に開催されているそのフェスティバルは、スペイン人再入植をきっかけとして1712年に始まったもの。ヨーロッパからの入植の歴史をそのまま伝えるこの祭りでは、巨大な人形(ゾゾブラ)を燃やし、町中に流れるマリアッチの演奏を楽しみ、フィナーレにはそれらの音楽に乗って市民たちが列をなして聖堂まで練り歩くのだという。
おそらく、生まれ育った場所で日常的に接してきたそうしたヒスパニック系文化、生活慣習が、ザック・コンドンの価値観、音楽趣向の形成に一役買ったのは間違いない。10代の頃から何度もヨーロッパに向かっては長期的に滞在し、現在ついにはベルリンに暮らすようになっているザックにとって、ヨーロッパは「資本主義の悪しき成れの果てとなってしまったアメリカではない憧れの地」などではなく、「生き方や思想を裏付けてくれるリアルで身近な場所」なのだろう。そこに入植した側/された側という歴史上否定できない関係性が厳然としてあることを理解した上で、ザックは自身のアイデンティティやルーツを寡黙に掘り下げていく旅を続けている。
とはいえ、ザックがニュー・アルバム『Gallipoli』の制作の場所にイタリアのプーリアを選んだのは、メンバーの一人が旧知の場所だったとはいえあくまで偶然の導きだったようだ。自分の故郷(サンタフェ)で見てきたフェスティバルを思わせるガリポリでのデ・ジャ・ヴな体験。それこそ、ベイルート、ザック・コンドンがもはやどこの国のアーティストとも言い切れない、それどころか時空さえ超えたミュージック・タイムトラベラーであることの所以たる奇跡だ。
通算5作目となるニュー・アルバムにして、過去最高傑作とも言える『Gallipoli』。「古いレコードと新しいレコードがカルト的にミックスしたような作品」と自ら喩えるこの世界音楽的ポップ・ミュージックについて、ザック・コンドンとの対話をお届けする。(取材・文/岡村詩野 訳/相澤宏子)
Interview with Zach Condon
――現在、あなたはベルリンとニューヨークをいったりきたりだそうですね。前作『No No No』リリース後、2016年冬に新作の制作に入るまではどのような生活、活動をされていたのでしょうか? また、新作のイメージ、ヴィジョン、ヒントのようなものは、どういうきっかけで生まれたのかおしえてください。
ザック・コンドン(以下Z):うん、ベルリンに住んでもう2年になる。仕事以外でアメリカに戻ることはほとんどないんだ。『No No No』のツアーを終えて最初の1年半を過ごしたけど、スケートボードで怪我をしたことから、ニューヨーク州北部にプライベート・スタジオを建設してはいたんだけど、回復するのに時間がかかったんだ。おかしな話なことに、結局、ベルリンに引っ越すためにその6ヶ月後には出発してしまったんだ。カオスな時間だったよ。すると、ベルリンに着いた途端、やっと落ち着いて息ができるような気がしたんだ。ベルリンでの生活はシンプルだ。そこで、僕は早くツアーを終えてこの作品のレコーディングに取り掛かりたかった。ツアーを周るのはそんなに好きじゃなからね。僕はスタジオに向いている気がするよ。
――ええ、確かに今作の制作のきっかけも、ベイルートの最初の2枚のアルバムでも使っていた古いFarfisa(オルガン)を再び手にしたことから音作りのヒントを得たそうですね。具体的にFarfisaのどういうところに改めて惹かれたのですか?
Z:ああ、そうなんだ。Farfisaは音響的に繊細であり力強い楽器でね。低音域の低音から高音域の高音まで全周波数範囲をカバーしている。演奏すると没頭させるような音の世界が広がるんだ。ただ、それを実際、録音して作品に取り入れるのは本当に難しいよ。
――確かに、実際にそうしたきっかけでニューヨークで作業を開始したものの、マウス・オン・マーズのアルバムに参加するタイミングもあってか、あなたはその後、今話してくれたようにベルリンに移っていますよね? 実際にベルリンに移って、ニューヨークなどアメリカでの暮らしとどういうところに大きな変化があったと思っていますか? また、それによって制作のモティヴェイション、クリエイティヴィティはどのように変わりましたか?
Z:うん、ベルリンに来てすぐマウス・オン・マーズと作業し始めた。彼らとは少し前から友人だったんだ。ベルリンは多くの変化をもたらしてくれたよ。リラックスしてレコーディングに集中できるようになったし。アメリカでは過剰にメディア露出があったけれど、それらから離れられて自分の世界に入ることができるようになったんだ。それに、より多くの興味深いミュージシャンたちにも出会った。彼らは商業的に生き残ることではなく自身の作品を大事にしてユニークな音楽作品を作っているからね。
――ええ、あなたは昔から頻繁にパリや東欧諸国を訪ねたり滞在してきました。アメリカ国内より海外…それもヨーロッパから刺激を受けることが多い印象ですし、実際あなたの音楽にはジプシー・ブラスやクレツマー、アラブ方面の音楽の影響が強く出ていますよね。そうしたヨーロッパのフォークロア音楽に惹かれる一番の理由を、町の風土や歴史への興味の目線から教えてもらえますか?
Z:そもそも、今の僕の存在……その大部分は僕が育ったサンタフェでの最初の仕事に始まったことなんだ。僕は外国映画しか上映しないシアターで働いていたんだけど、まず最初に都市と言語に魅せられた。僕は子供みたいに空想家だったから、シンプルに魅力的に感じたんだ。だから、映画と同様に多くの音楽にも触れた。サンタフェでは今まで全く接してこなかったパンク・ロックやハードコアに囲まれていたよ。ライブ、コンサートの社交的な雰囲気を求めに行ったけど、音楽自体は僕にとって常に限定的で感情的にフラットなものだった。その一方、外国映画や全ての音楽やサウンドから聴き取ったものは、より豊かで独創的なものだった。
"思い返せば、音楽は子供の頃から僕の脳をずっと取り替え続けているような感じがするよ。なぜそんなに僕を呼びかけるのかいまだにわからないんだ。"
――今回のアルバムも、あなたはイタリア南部のプーリアのスタジオ《Sudestudio》でしっかりとレコーディングを開始しています。そこで制作し始めてから実際に感じた思い、他では得られなかった音楽家としての思いを聞かせてください。
Z:正直に言うと、シンプルな方程式で、隔離+美味しい食べ物+美しい風景=良いレコーディング・セッション、ということなんだ。スタジオを訪れた時に見た機材類が単純に気に入ったというのもあるけどね。それにイタリアは僕ら何人かのバンド・メンバーにとって強く惹きつけるものがあった。個人的にはほとんど知らない場所だったんだけど、そうやって知らない土地に滞在することも重要なんだ。それに、正直なところ何かを変えたかったんだよね。
――実際に、そのサレント半島西岸の島に築かれた旧市街=中世の城塞都市を持つそのイタリアのガリポリで、町の聖人像を持った牧師たちが先頭を切る形で行進する集団に遭遇したそうですね。
Z:そうなんだ。実際、そこは本当に神秘的な場所だったよ。面白いことにね、インパクトがあったのは、自分が育ったサンタフェで行われるフェスティバルに似てると感じたことだった。サンタフェは、古代建築と曲がりくねった道がある古代スペインの首都なんだ。毎年9月の初めに行われる、ローカルなチリの収穫(ニューメキシコ州北部でしか育たない特別なチリがある)にまつわるフェスティバル(《フィエスタス・デ・サンタフェ(Fiestas de Santa Fe)》)があってね。その祝祭の終わりには、街全体がダウンタウンを通ってマーチング・バンドの演奏とともに同じ公園に向かって歩き回るんだ。僕らはその公園で集まって、ゾゾブラと呼ばれる巨大なマリオネット(人形)が、昨年のすべての悩みを焼き払うことを象徴するのを見るってわけ。ある種のコミュニティ・トランスみたいなものなんだ。そもそも音楽というものは僕らの精神のとても微妙で言い表せない場所からもたらされるものだと思う。神秘的だからこそ、スピリチュアルなものに関連すると理解している、みたいにね。思い返せば、音楽は子供の頃から僕の脳をずっと取り替え続けているような感じがするよ。なぜそんなに僕を呼びかけるのか、いまだにわからないんだ。
――なるほど。自分の制御関係なく「脳が動かされている」感覚に近いんですね。ただ、あなたの作品は、すごくナチュラルな一方で、かなり丁寧に構築されてもいます。ブラス、オルガン、ウクレレといった生楽器がくすんだ音色を捉え、歴史あるヨーロッパの土地のアンティークな風合いを伝える一方で、シンセなどによる電子音でモダンでシャープな音像にする、といった具合に。あなた自身、「古いレコードと新しいレコードがカルト的にミックスしたような作品になった」と表現していますね。
Z:ああ。でも、プロセスは自然で流動的なものだったんだ。考えすぎずに素早く全てが動いたよ。作業の過程でまとめられたすべての分裂したアイデアをミックスさせる必要があったんだけれど、最後に雑然としたものを綺麗にするのはハードだった。長くて疲弊するミキシング・セッションだった。一つの曲をバランスよくするのには確かに何日もかかったね。ただ、アルバムの中の全ての曲はもちろん別物なんだ。特に歌詞に関していうと、違う物事を経験して違う時期に書かれているから、全てがイタリアのあの体験に基づくものとは言えない。曲にあるのは、失敗した人間関係、未来への恐れ、ちょっとした孤独感。そういったものをよく観察して意味のあるストーリーに仕上げることに努めたって感じかな。
――なるほど。ただ、あなた自身のそうした思いか個人としての体験を綴ったものであったとしても、必ずしもパーソナルな内容にはなっていないというのがとても興味深いです。国境をなくしたところから得られる民衆の力を訴えると同時に、その民衆は一人一人の個のエネルギーによってもたらされることだという真理みたいなものを伝える結果にあっているのではないかと。
Z:うん、君の言う通りだと思う。僕は伝えることができる以上の普遍的な感情を捉えようとしている。でも同時に、どんなサウンドが生まれるかを自分で支配したくはないんだ。自分の考えや意見は抜きして、出てくるものは何でも良い方向に導いていきたいと思っているよ。
■Beirut Official Site
https://www.beirutband.com/
■ビートインク内アーティスト情報
https://www.beatink.com/artists/detail.php?artist_id=1450
Text By Shino Okamura
Translation By Hiroko Aizawa