【From My Bookshelf】
Vol. 41 『アイヴズを聴く: 自国アメリカを変奏した男』
J・ピーター・バークホルダー(著)奥田恵二(訳)
とある日曜作曲家の記録
まずは著者のJ・ピーター・バークホルダーに心から敬意を捧げたい。一人の音楽家の人生を単に振り返るだけではなく、その音楽ひとつひとつにじっくり耳を傾け、楽譜を読み解き、文献を精査し、その背景を把握し、時代性とリンクさせ、それらすべてをひとつの流れの中に位置づける。これがどれほど多大な時間と労力、そして対象への深い愛情を必要とするのか。想像するだけで、畏れすら抱いてしまう。その敬意の念と共に、本書の内容をレビューしよう。
語られる音楽家の名はチャールズ・アイヴズ。彼は「長年にわたる無名の時代を過ごし、40歳代の半ばに達した彼は自作品の出版を開始、50歳代にはそれらの演奏に助成金を拠出した。作曲家としてついに全国的に評価され始めたのは、60歳代半ばのことだった。79歳で死去した時のアイヴズはアメリカ最大の作曲家のひとりとして称賛されるに至っていた」、そんな音楽家だ。19世紀後半から20世紀中盤を生きたこの音楽家は、決して順風満帆な音楽家人生を送っていたわけではないが、彼のよき理解者だったバーナード・ハーマン、ヘンリー・カウエル、レナード・バーンスタインをはじめとした人々の助けにより、正当な評価を受けるにいたった。
チャールズ・アイヴズ:「アメリカ」による変奏曲|ジョナサン・シュトックハマー|WDR交響楽団アイヴズの功績は、アメリカにおいてクラシック音楽と現代音楽の橋渡しをしていたこと、とひとまず言えるだろう。グスタフ・マーラーとジョン・ケージを繋ぐような存在、といったらわかりやすいだろうか。現にこの両者はアイヴズの音楽について賞賛の言葉を送っている。ロマン派的な壮大な交響曲を作曲しながら、4分音、トーンクラスター、多調性、全音音階、コラージュ、ポリリズムといったいわゆる現代音楽的なアプローチをすることで、その独自性を追求し続けた。特に本書ではその実験音楽的手法について緻密に掘り下げられており、そこではっきりと、「新しい音楽技法の実験を、初めて計画的に、繰り返し行なったのは、アイヴズその人だったと考えられる。ある意味で、彼こそがアメリカの実験的音楽の始祖だったのである」という記載がある。
アイヴズの実験性は歌曲集にもよく現れているまた、一方で彼は演奏家兼音楽教師として生計をたてていた父の率いるバンドでドラムを叩き、教会で讃美歌を歌い、教会オルガン奏者としてのバックグラウンドを持っていることも注目すべきだ。さらに、スティーヴン・フォスターからティン・パン・アレーに至る当時の歌謡曲や、フィドル音楽からラグタイムにいたるポピュラー音楽にも親しんでいたことも彼の作曲のオリジナリティに色彩を添えている。アイヴズが産まれ育ったダンベリーでは、そういった様々な音楽が聴かれていた。彼の音楽的なヴォキャブラリーはそこで培われ、作曲に活かされていることが本書では繰り返し述べられている。「アイヴズは、25歳になるよりも前から、4つの異なった伝統、すなわち、アメリカのポピュラー音楽、プロテスタントの教会音楽、ヨーロッパのクラシック音楽、実験的音楽を、聴き、学び、演奏していた」。この4つのセットがアイヴズの音楽を作り上げ、唯一無二のものにしているのだ。
Stephen Foster – Beautiful Dreamer performed by True Concordアイヴズは教育者にも恵まれていた。特に彼がイェール大学でホレイショ・パーカーの指導を受けていたことが大きい。詳細は省くが、ホレイショ・パーカーは、クラシック音楽におけるベートーヴェン直系の系譜にあり、リスト、メンデルスゾーン、シューマンとのリンクがある。また、アイヴズにオルガンを教えていたハリー・ロー・シュリーは、ドヴォルザークに師事していたため、ヨーロッパにおけるクラシック音楽本流の血脈にアイヴズは位置づけられる。作曲面における指導では、極めてトラディショナルな内容の教育も受け、それは彼の血肉になっていった。錚々たる音楽家の楽曲をベースにしながら、その音楽言語の拡張を志し、不規則な楽句区分や大胆な不協和音、予想外の和声進行を導入していったのだ。
本書の大部分は楽曲の精緻な聴取を通して、アイヴズは何に影響され、それをどのようにアウトプットしたのかを説明している。中でも大きなテーマとなっているのは、「アメリカ音楽とヨーロッパ音楽の統合」である。交響曲第2番について次のような記述がある。「交響曲第2番のすべての主題といくつかの対旋律は、アメリカ歌曲、讃美歌、フィドル音楽の変形であり、おのおのの楽章の経過句は、少なくとも一度は、バッハ、ブラームス、ワーグナーの経過句に基づいている。その結果、作品は、伝統──実に3つの伝統、すなわり、ヨーロッパの交響曲の伝統、プロテスタントの讃美歌の伝統、アメリカのポピュラー音楽の伝統──が浸透した音楽になった」。その統合の過程で、アイヴズは大胆な旋律のコラージュさえ行ってみせ、彼にとっての「アメリカ音楽」を創造していったのである。
とりわけ印象に残ったのは、アイヴズが彼自身の想い出を作曲に活かすことについて言及している部分だ。彼は記憶を音楽のなかに留めようとする。だからアイヴズの音楽にとってコラージュは本質的なのだ。記憶という曖昧なものを音楽にする際、そこには様々なイメージが切り貼りされ、かつ曖昧なものになり、コラージュ的なものになるのだ。『祭日交響曲』などもそのひとつだ。なぜアイヴズがそのような作曲を志したのか決定的な理由は記載されていないものの、妻のハーモニー・トウィッチェルが結婚前、アイヴズに宛てた手紙がその要因のひとつのような気がしてならない。その美しい箇所を紹介したい。「(芸術における)霊感は、いちばん幸せな瞬間に完全なかたちでやってくるべきものだと思います。」「いちばん幸せな瞬間は、それが記憶のなかの存在になり、“過ぎ去った”ものになったあとで、以前にも増していとおしいものになるのです」。
アイヴズの音楽家としての側面だけが語られているわけではない。生前の彼が正当な評価を受けていなかったのは前述の通りだが、彼の生活が困窮していたかというと、そうではなかった。彼はニューヨークで実業に携わり、利潤最高の保険代理業の共同設立者になり、大成功をおさめていた。作曲はその仕事が終わった後、夜間、週末、休暇を使っておこなわれていた。日曜大工ならぬ、日曜作曲家だったわけだ。そしてこのことは、彼の音楽活動の全貌をわかりにくくした要因でもある。個々の作品がいつ書かれたのかが不明瞭なのだ。複数の作品が同時並行的に作曲されることもしばしばだ。長大な作品になると、それがロングスパンに渡り、作曲されたタイミングを指摘するのが困難だった。彼自身が残した記録も、信ぴょう性が疑われるようなものらしい。とはいえ、アイヴズは保険代理業で財をなし、裕福な暮らしをしていた。彼が保険代理業で、どのようにその才覚を発揮していたのかも本書では言及されている。音楽とは切り離された彼の人生もまた、すこぶる面白いものだった。
他にも興味深いトピックに満ちている。特にアイヴズがスティーヴン・フォスターに抱いていたリスペクトへの言及箇所は必読だろう。スティーヴン・フォスターの歌曲には、人種差別の典型ともいえるエンターテイメントだったミンストレル・ショーと関係するものがある。アイヴズはその点について、どのように考えていたのか?ということを、著者はアイヴズの発言や楽曲へ引用についての分析からひとつの見解を出している。その部分からは、著者の考察が正解か否かはともかく、彼のアイヴズに対する心からの信頼が読み取れる。この箇所では、当時のアメリカのポピュラー音楽とクラシック音楽の関係性についての言及もあり、非常に勉強になる。
『アイヴズを聴く』は、500ページ以上ある大著であり、取り上げられている音楽と合わせて精読すると、かなりの日数がかかることが予想される。ただ、あらためて言うまでもないことかもしれないが──今回はぼくにとって、《TURN》でのはじめての書評なのであえて記載しておくと──読書=精読ではないのだから、自分の興味のあるところをピックアップして読み取っていけばいい。本書のような優れた研究書ならばなおさらだ。チャールズ・アイヴズの伝記として、彼の音楽の分析書として、クラシック音楽史もしくはアメリカ音楽史の1ページとして、19世紀~20世紀におけるアメリカの政治状況を学べるものとして、ひとりの兼業音楽家の在り方としてなど、懐が深く、情報量が豊富で、様々な読み方ができる。今挙げた項目のどれかひとつでも読み込めばじつに快楽的な読書体験になることは間違いない。もちろん、文脈を無視し、自分にとって都合がよすぎる読みをして批判をすることはいただけないが、本作はどこからどう読んでもめっぽう面白いから、好きに読んでほしい、というのがここで言いたいことだ。(八木皓平)
Text By Kohei Yagi
『アイヴズを聴く: 自国アメリカを変奏した男』
著者 : J.ピーター バークホルダー
翻訳 : 奥田恵二
出版社 : アルテスパブリッシング
発売日 : 2024.9.30
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