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【From My Bookshelf】
Vol. 35
『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』
荘子it × 吉田雅史(著)
終わらない“最後”を巡る対話

19 September 2024 | By Tatsuki Ichikawa

新しいものよりも古いものに惹かれるところが、自分には小さい頃からあった気がする。今劇場でかかっている流行りの映画よりも、家のテレビで親父と見る一昔前の映画を。モダンでデジタル化された画質よりも、よりざらついていて味があるものを。みんなが聴いているJポップよりも、70年代の英語のロックを。インターネットに全く頼っていなかったわけではないけど、SNSをやり始めたのだって興味津々の同年代の子達よりもだいぶ遅かったし、ひねくれた逆張りと言われればそれまでなのだが……。

新しいものを全く拒絶していたわけでは決してないのだが、今思えば随分と極端な子供だったと思う。ただし、“古いものにこそ新しさを感じていた”、というのも紛れもない事実で、例えば6歳の自分や12歳の自分──15、16になると流石に古いものをリアルタイムの新しいものに繋げる思考が働き始めもしたはずなのだが──にとっては、生まれる前から存在するものでも、今まで触れたことのない“新しいもの”だったし、そういった初めて触れるものの(その上、周りの子達は誰も聴いていない、もしくは見ていないという独占性も手伝って)刺激と快楽性は何よりも強かった。そういうものが今の自分を形作った要素である、というのは誰しもが同様のことでもあると思う。

一方で、新しいものとは一体何か、とも考える。当然世に出される新作は、間違いなく新しいものであるのだが、それが古いものになるスピードは加速している。また、さらに大枠のジャンルや形式に至っては、非常に難しいと言わざるをえないだろう。現代において、全く新しいものというのは果たして現れるのだろうか。新しいものとして登場するものは、既にあったものの系譜や雑種として、合理的に説明されてしまうのではないだろうか。確かに、歴史とはずっとそういうものではあるのだが、それにしても、何か大きな枠に回収されない、それ自体が歴史をなしてしまうような、そんなものが現れ、向こう数十年でも紡いでいくことがあるのだろうか。加速主義が進む現代において、そのことは決して容易くない。

ただ、上述した筆者の記憶のように、個人史として新しいものに出会う可能性は十分にある。それ自体が過ぎ去ったものでも、自分にとってはこの上なく新鮮で刺激的で、自分を形つくってしまうような。

Dos Monosのラッパー、トラックメイカー、ギタリストとして活動する荘子itと、批評家、ビートメイカー、MCとして活動する吉田雅史による『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』のタイトルは、「最後の音楽」に反復記号をつけることで、「もう新しい音楽は生まれない」という、いわば歴史の最後を嘆く世論を前提のもと、それでも人々が新しさを見つけ踊り続ける現状を指摘しているらしい。これは当然、ヒップホップというカルチャーが、ブレイクビーツから始まったことにもかけられているだろう。

基本、対談形式で進む本書は、各々の章でゲストを迎え、時折補強的なコラムを挟みながら、ヒップホップ音楽を多くの側面から分析する。ラッパーのキャラクター性やリリックの文学性、技術論的な音の分析に至るまで。これを一冊読むだけでも多くのレコードを聞き直したくなるし、聴いたことある楽曲でも、また違ったように聞こえるような、つまり新しい音楽として出会い直せるような、そんな多様な視点が本書には詰まっている。

一つのキーワードとして本書が提示しているのは「ズレ」である。吉田雅史が記す序文では、ヒップホップ音楽とは逸脱のジャンルであり、その逸脱にこそかっこよさを人々は見出しているのではないかと見立てる。世間の常識や、一般的な価値からはずれたものこそが、むしろヒップホップにとっては王道であると。つまり、下手な歌や汚い音が魅力的に映り、普通だったらこうするよな、という予想を裏切り続けること。

本書における二人の対話は、「ズレ」を分析していくことによって、「新しさ」という価値観の追求にも発展していく。既存のジャンルのコラージュや手法でも、そこから新しさを作り出すことは十分可能である、むしろ“ズレる”音楽であるヒップホップだからこそ作り出すことができるのではないかと。例えば、荘子itは漫画『鬼滅の刃』における瞼の線を人工的な施作から生まれた記名性のあるものとして指摘し、それを、制作機材を本来的な用法から外れた使い方をするヒップホップの異質な新しさに重ね合わせる。そういった、細部に目を向けたときの価値観の反転や可能性の煌めき、そういったものを発見することに読者を誘うのが本書である。

対話形式が主ということもあり、文中に登場する固有名詞は、音楽やアーティストに留まらず、映画やアニメから、学書、思想書まで、洪水のように流れ、それらを一つひとつ拾っていくだけでも知的好奇心を十二分に満たせるであろう。何よりも対話形式の各章自体が、軸をぶらさずとも少なくない逸脱に溢れ、対話の愉しみにも溢れている。

当然この本を読めば、J・ディラやマッドリブの音に耳を傾けたくなったり、ケンドリック・ラマーのリリックを隅々まで確かめたくなったりもするだろう。できるだけいいイヤホンやスピーカーも欲しくなるし、何より読書欲も大いに刺激される。そういった外部に開かれていく、蜘蛛の巣を張るような文脈の数々を手にいれることもできる。

新しいものに出会うことはないのだろうか、これがもう終着点なのだろうか。この本を読めば、かつてネルソン・ジョージが複数の著作でジャンルの終焉を描いた時代から、20年以上の月日が経った今でも踊り続けている自分たちの姿を思い出すことができるはず。音楽ジャンルの中でも若手のヒップホップは、ついに50歳を過ぎたわけだが、それでも私たちは、もう存在しているものや未だ存在していないものへ、新鮮な目を向けることができるだろう。それが、最後がループし続ける理由なのだから。(市川タツキ)

Text By Tatsuki Ichikawa


『最後の音楽:|| ヒップホップ対話篇』

著者 : 荘子it × 吉田雅史
出版社 : DU BOOKS
発売日 : 2024年3月15日
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