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【From My Bookshelf】
『季刊民族学』192号・特集「ヒップホップ──逆転の哲学」
ダースレイダー(責任編集)
俺の〈家〉の話

07 August 2025 | By Ikkei Kazama

門戸を開く、敷居を跨ぐ、越境を試みる……ジャンルにまつわる話を展開しようとすると、〈家〉の領域に関連した慣用句ばかり浮かんでしまうのは何故だろう。家庭であれ国家であれ、「ヨソはヨソ/ウチはウチ」というロジックによって場が立ち上げられ、独自の生態系が築かれていく様は、ごく少数の表現者によって立ち上がったフォーマットが自己同一性を保つために示す反応と似通っている。両者は外界との隔絶と交配を同時に希求し、単一のファンタジーの共有を条件としながら、そのステークホルダーの範囲を押し広げていく。特定のジャンルの信奉者から時折発せられる極端な“べき論”には、単なる保守反動に止まらない、自己の在り方を巡るストラグルが渦巻いているように見えて仕方ないのだ。

今年の5月に刊行されたばかりの『季刊民族学192号』を読みながら考えていたのは、そんなことだった。大阪府吹田市の万博記念公園内に施設を構える国立民族学博物館(通称:みんぱく)友の会が年に4回発行する機関誌であり、「“家庭学術雑誌”ともいうべき、あたらしいジャンルの刊行物」(「『季刊民族学』創刊のことば」より抜粋)を志向している本誌。その2025年春号はダースレイダーを責任編集に迎えたヒップホップ特集だった。ここで取り上げられるのは台湾原住民やインド・ムンバイ、さらにはカメルーンなどの非欧米圏で勃興した独自のヒップホップ文化であり、当事者たちの証言が広く紹介されている。

この特集のベースとなっているのは同博物館の主宰する「辺境ヒップホップ研究会」とそこから生まれた『辺境のラッパーたち―立ち上がる「声の民族誌」』(島村一平・著)という一冊の書籍だ。本特集のイントロダクションとなるダースレイダー「ヒップホップは逆転の哲学」ではアメリカでのヒップホップ誕生の歴史が教科書的に紹介されると共に、同研究会ならびに同書が「辺境」というワードを掲げてローカルなヒップホップシーンを語る意図が記述されている。端的に、ダースは「辺境」というポジションを「オセロにおけるコーナーのような場所」(p6)と喩え、中心との関係によって世間に流布する価値観やシステムへの異議申し立てへの可能性を指摘する。

ここで示唆されているのは、「逆転の哲学」という本特集のサブタイトルに含意されている、ヒップホップの社会的役割の核たる部分だ。ダースの鮮やかな交通整理により、ヒップホップは他者によって色を変えられることのないオセロのコーナーから盤の中心に向かって働きかけ、白黒を逆転させうる可能性を常に孕み続けている野心的な営為として再定義されることになる。より具体的に換言するのならば、人種であれ貧困であれ、覆しようのない「リアル」を前面に打ち出し、市井が思い抱くステレオタイプや固定観念の芯の方角へとダイレクトに語りかける一連の動作こそ、ヒップホップが携えている「逆転の哲学」なのだ。

さしずめ、本特集でピックアップされているのは、各地域で行われている様々な「中心」への抵抗運動である。例えば小幡あゆみとMr.麿による「ホームをみずから選びとる──台湾原住民のヒップホップ」では、大日本帝国や中華民国政府による同化圧力によって固有の文化が行われていくことに抵抗し、自民族の言語でラップを行うHengJonesや多民族構成のクルー・CORNERが紹介されている。またインド音楽ブロガーの軽刈田凡平による「多層都市ムンバイのヒップホップシーン──エンターテインメント、エンパワーメント、ポップカルチャー、そしてストリートカルチャー」では同地のスラム事情とそのリアルを物語るMCたちの姿が活写されている。

加えて、各々の居住エリアに関連した話題に並んでセクシュアリティにまつわる「逆転」の余地を指摘した村本茜の「辺境のフィメール・ラッパー──スポットライトを奪い取る」が収録されていることも重要だ。ボリビア/赤道ギニア/プエルトリコの3都市で活動を行うフィメールラッパーたちへのインタヴューから、社会と音楽産業の両方が抱える男性優位性という忌むべき「中心」に、それぞれの視座に根差した「辺境」から抵抗を試みる存在に文字通りスポットライトを当てる本稿。彼女たちこそヒップホップの現代におけるヴィヴィッドな可能性の体現者なのだ。

キム・ボンヒョンによる韓国ヒップホップ史の追跡調査や、Dos Monosの荘子itとGAGLEのHUNGERにダースレイダーを加えた三者による日本語ラップ鼎談など、ヒップホップというジャンル一般の見識を広めるためのガイドとしても良質な本特集。だが、個人的に目に付いたのは、そこかしこで顔を覗かせる〈家〉の存在だった。「辺境」を陣取り「中心」に作用を加える彼ら。そんな外向的なエナジーの表裏として、コーナーポジションを確保するための内なる闘争も沸々と行われていることをここでは指摘しておきたい。

先に挙げた台湾先住民族への取材記事によると、台北のキリスト教会で結成されたCORNERのメンバーであるR.fuは、ルーツにはないサキザヤ族の母語でラップを行うことを自らで選択したという。なんでも良好な家庭環境に恵まれない非行少年だった彼は、後にCORNERを結成するganewの導きによって原住民族の豊年祭へと参加し、そこでいたく感動した結果、なんとganewの母より養子に招かれて正式にサキザヤ族としての認定を得たのだ。本稿のタイトル「ホームをみずから選びとる──台湾原住民のヒップホップ」はそんな彼の出自をはじめとした、帰るべき〈家〉である母集団の保護をリリックによって行うという運動を表したものだ。歌われている内容はもちろんのこと、心情を媒介するメディアである言語の選択を行う時点から、彼らのアイデンティティ形成は始まっているのだ。

さらにページを捲ると、様々な形態の〈家〉が表出してくる。例えば「韓国で初めて社会的影響力をもったヒップホップ音楽として記憶されている」(p27)というのはSeotaiji and Boysの「Come Back Home」だし、ムンバイのBボーイであるAkkuがインタヴューで繰り返し語るのはメディアより消費の対象として搾取され続けているフッドのスラム・ダーラーヴィーの悲観的な状況だ。赤道ギニア出身のフィメールラッパーであるCrotchet Fionaは、自国から幼少期に送り出されたという悲痛な体験をリリックに昇華し、ホームの空白を表現活動の原資へと「逆転」させた。

最もクリティカルな〈家〉への言及は、ダースレイダーによる紀行文「ヒップホップ異郷紀行──韓国・モンゴル」の一節だ。モンゴル現地でのレコーディングや寺院への訪問を終え、草原に向かう一向。見渡す限りの大地を目前にし、その原初的な光景に心を奪われたダースはウランバートルへ戻る車中でこう唱える。

  

行って帰る。行ったままではダメだ。往還構造。草原を知ったうえで、それを前提に都市に戻って生きることしか僕らにはできない。(p39)

ここでの「往還構造」こそが、「辺境」と「中心」を直線で繋ぐ運動であり、「よそ」と「うち」の拡大再生産というプロセスの亜種であり、オセロの盤上における「逆転」を生み出すためのトライであることは言うまでもない。そのダイナミクスのために、裏返ることのない〈家〉をまず物語ることがヒップホップには要請される。いつもの六畳一間であれ、同じダイニングテーブルを囲む仲間であれ、血の繋がりに依らない「フッド」を明らかにすることがその第一歩なのだ。そして〈家〉という独特なフィールドを巧みに利用するのが、このゲームの必勝法だ。

本特集で描かれているのは、そんな「戻って生きる」選択をした構成員による「俺の〈家〉の話」に他ならない。そもそも各地のラッパーにとって、欧米より発信されたポピュラー音楽のフォーマットに乗せて身辺の話題を歌うという行為自体が既に「戻って生きる」ことでもあるのだ。外界との隔絶と交配を舌の上で再現し、あらゆる価値転倒への可能性に開かれていく彼らの身のこなしは軽やかである。そこで安易な排斥に陥るのではなく、疑義を投げかけるべき「中心」を間違えないのは、彼らが外界との交配の重要性を心得ているからだろう。数多の他山の石を繋ぎ合わせた功績は計り知れない、そう私見ながら感心する限りだ。(風間一慶)

Text By Ikkei Kazama


『季刊民族学』192号

責任編集 : ダースレイダー
発行所 : 公益財団法人 千里文化財団
発売日 : 2025.4.30
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