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【From My Bookshelf】
Vol. 34
『音盤紀行』
毛塚 了一郎(著)
円盤世界の箱庭

05 September 2024 | By Casanova.S

もしかしたらモノとしてのレコードに魅力があるのはそれが手に入れた時の記憶と結びついているからなのかもしれない。ちょっと大げさに言うと「過程の体験」。棚から引き抜き、ジャケットを眺め、値段を見、棚に戻してまた繰り返す。何が出るかわからない、ある種のゲームみたいな店での出来事を経て、持ち帰った成果物は頭の中に残り続ける。それが欲しかったレコードならなおさらだ(ここでいう欲しかったというのは棚から出てきた瞬間、これこそ求めていたものという風になる類いのもの)。かなり大げさに言うと、いま手元にあるブロードキャストのレコードは、18/19シーズン カラバオ・カップのクォーターファイナル・アーセナル戦、ハーリー・ケインからのパスを受けたデレ・アリが右足のアウトサイドでちょこんと描いた素晴らしいチップキックの軌道のように、棚から引き抜いた時の光景までもありありと頭に残っている(100円で買った『Tender Buttons』の軌跡)。

それは新譜のレコードやオンラインについても同様で、サブスクで聞きこれは欲しいとなったレコードが店に入荷するのを待ったり、Sold Outの文字を見ては買えなかったものについて考えて余計に欲しくなったり、どちらか一枚と決めて選んだけどそれは正解だったのかとその後数年間、活動するバンドを見ては思い悩んだりする(なぜ自分はあの時買わなかったのか? いつだって買えなかったものこそ良いものなのだ)。

やはりレコードは手に入れるまでにどうするか考えた過程の記憶があるから素晴らしい。買う理由に買わないわけ、頭の中のドラフト会議に、移籍市場、それが毎回開かれて、どうして自分のチームに入れたいのかと価値を問う。それらの記憶は円盤型のスタジアムで起きている出来事と組み合わさって日常をより一層ドラマチックにしていく。

青騎士コミックスレーベルから出ているこの漫画『音盤紀行』はレコードのそのドラマ部分に光を当てる。音楽やレコードそのものではなく、そこに暮らす人間の生活の中にある音楽やそれが収められたレコードを欲する人々についてを描くのだ。現代の日本、西側の音楽が禁止されていた時代の東側の国、80年代後半の映画の世界みたいなアメリカ、60年代の東南アジアの街、時間も場所もバラバラなオムニバス、その物語は一枚一枚のレコードに収められた架空の物語の世界のようで、ジャケットの中にある箱庭だってそんな風にも思えてくる。最初に書いたレコードにまつわる感覚は同作者の7インチの形をしたA面B面がある『音街レコード』の方が近いのかもしれないけれど、この漫画『音盤紀行』は実在の固有名詞を使わず架空の世界の架空のバンドのレコードについてより具体的に描かれている分、想像が膨らんであれやこれやと色々と考えてしまう。色んな時代の色んな街のレコード屋、店のレイアウトに街の人の服装、喋り方に仕草にやりとり、画面に映る空気の色、そこから街の人の暮らしを想像し、そこで流れる音楽のことを考える。どんな音楽がどんな風に流行っているのか、そこにはどんなコミュニティがあるのか? どんな風に歴史が積み重なってその街が作り上げられたのか? 小説よりも語らず、映画やドラマのようには進まない、立ち止まることが出来る漫画の世界に入り込み、想像が膨らんでいく(レコード屋のレイアウトを見るだけでもたまらない)。

音楽は音だけでも楽しいし、音を聞くことができなくたって面白い。それは時代と場所と思い出が結びついているからだと、この架空の世界のレコードと人を描いた漫画が教えてくれる。会話の途中で見せるスマホの画面、教室でやりとりした黄色や黒の袋に入ったプラスティック・ケースのCDたち、それらにも思いがたくさん詰まっているけれど、レコードは部屋を大きく占有する分だけ視界に入り、だから頭により多く思い出を浮かばせるのかもしれない。部屋の片隅にあるいつまでも塗れない真っ白いテイパー!のぬり絵レコード。それがいつか人の手に渡り、ずっと後になって誰かが自分の代わりに好きな色を塗ってくれたら素敵じゃないかって、『音盤紀行』を読んだ後だとそんな考えだって浮かんでくる。もちろんめんどくさくて塗っていないだけなのだけど、なんだかそれも悪くないって気がしてくる。(Casanova.S)

Text By Casanova.S


『音盤紀行』

著者 : 毛塚 了一郎
出版社 : KADOKAWA
発売日 : 2022年5月20日〜
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