【From My Bookshelf】
Vol. 33
『スピード・バイブス・パンチライン: ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』
つやちゃん(著)
「しゃべり」をめぐるメビウスのバイブス
速く。誰よりも速く。ここから15分で本稿を書き上げる。Shurkn PapとJinmenusagiのように今はかなり飛ばすブンブンブン。早く、速く、ミハエル・シューマッハよりも速く!
本書『スピード・バイブス・パンチライン』は、二部構成の書物となっている。前半がラップとお笑いを重ね合わせ、後半ではラップにおけるファッションの表象を批評する。前半の特徴は、お笑いにおける批評の対象を「M-1グランプリ」における漫才に絞っていることだ。なぜそうするか。全体像を明確にするため。その全体像には、「ゲーム性」という言葉が与えられている。
ラップカルチャーの中で誰が成功者になるか。ラップにおける成功と失敗の過程を、プレイヤーと観客は時に「ラップゲーム」と呼ぶ。ラップは、誰が勝ち上がるかのゲームだ。そしてお笑い文化の中でゲーム性が明確に滲み出るのが、ルールの決まっている賞レースだ。特に漫才の日本一を決める「M-1グランプリ」はその先駆けであり代表格である。勝つためのゲームという点で、ラップとM-1は重なり合っている。
もう一つの共通点は、本書のタイトルの含まれる「しゃべり」のひとことに集約される。ラップも漫才も、しゃべりの技術化・芸能化という点で共通している。「しゃべり」の「ゲーム」という前提の元、二つの文化様式を結び付けて、本書は「しゃべり」の地図を描き始める。キングコングがゼロ年代に衝突した速度と感情の相剋が、SEEDAがたどった歩みに見出される(M-1とSEEDAが共に活動休止期間を設けたという記述は印象的だ)。スリムクラブにおける間のあり方は、語のくぎり方で酩酊を表現するGotchのラップに結びつく(お笑い/ラップのアウトサイダーという点でも両者は通じている)。技術の点で、M-1とラップは重ね合わさっていく。その技術の要点を集約したのが、「スピード・バイブス・パンチライン」という言葉だ。
ヨネダ2000とTaiTanのインタビューを挟み、後半ではラップにおけるファッションブランドの扱いからイメージとの戯れを描き出す。グッチを、ヴィトンを、バレンシアガを、アディダスを、ラッパーたちは言葉の中でどのように纏ってきたのか。ブランドがステータスとなり、価値と韻を定めていく。ステータスと言葉に翻弄されながらラッパーたちが格闘する様を描いた後編は、社会に広く蔓延して私たちを縛っている「ステータス」の在りようを捉えたデーヴィッド・マークス『STATUS AND CULTURE ――文化をかたちづくる〈ステイタス〉の力学 感性・慣習・流行はいかに生まれるか?』の内容とも重なっている。この本の紹介をもっとしたいが、今は急ごう。速く、ミハエル・シューマッハより速く!
本書を読むと奇妙な感触を抱く。その奇妙さは「しゃべり」に対する両義的な位置づけに由来する。著者は「しゃべり」の現状認識に対して「絶望」という言葉を与えている。「高度なゲーム性とともに、ノイジーな情報と過剰な物語があふれた今の時代において、もはや私たちのしゃべりが届かなくなった現実」と著者は集約する。その現実を突き破る可能性、しゃべりが心に届く可能性を示すのが、本書で批評されるラッパーと漫才師ということになる。しかし、「高度なゲーム性」「ノイジーな情報」「過剰な物語」が現代において最も強く展開されるのが、「ラップゲーム」であり「M-1」であることは論を俟たない。本書は「スピード・バイブス・パンチライン」を寿いでいるように見えて、実はそうではない。本書においてはスピード=しゃべりの速さ、バイブス=反復、パンチライン=韻、という半ば強引な言い換えができるだろうが、「速く、繰り返し、韻を踏む」ことができていればいいわけではない。「速く、繰り返し、韻を踏む」という規則にのりつつ、がんじがらめにならない技術の探求が、ここでの主題だからだ。「スピード・パイプ椅子・パンチライン」は、ゲームを突き破る可能性ではない。ゲームの規則そのものなのだ。何か間違った気がするが気にしてはいけない。だってもっと速く、ミハエル・シューマッハより速く!
そう、本書の記述は、「絶望」が「希望」に変わり、「希望」が「絶望」に変わる、メビウスの輪のような様相を呈している。その様こそが我々の現実だと本書は主張する。「ラップ」と「M-1」が、どんなに情報や物語と規則に依存した重苦しい見世物に見えても、リアリティのあるフィクションをいかに引き出すかの終わらないチキンレースに見えても、ゲームの極地から取っ掛かりを見つけるしかない。「しゃべり」の過度な発達に疲弊しても、現実社会にはびこる「しゃべり」を変えるにはそこに留まるしかない。また「絶望」に戻るとわかっていても「希望」を探すしかない。パイプ椅子に縛られながら、バイブスをハイに上げるしかない。重い情感が言葉にまとわりついてくる記述の空気こそを、本書の読者は感じ取るべきだろう。
本稿を書き上げるまでに、まとわりついてくる空気抵抗を受けて、15分を23時間45分オーバーした時間を要した。締め切りをとうに過ぎている。本書の前半に、スピードを目指すラッパーのリリックの例として出されるのがShurkn Pap「ミハエルシューマッハ (feat. Jinmenusagi)」だが、シューマッハが活躍したモーターカーレースと、「しゃべり」におけるスピード感は別物だろう。同時に文章におけるスピード感も別物で、「速く!」と書いても読書が加速するわけがない。本書は、「ラップ」と「M-1」における半ば強引な類似の反復によって、速度感を表現している。読み手の読書に速度を依存するため文章で「しゃべり」の速度を生きるのは至難の業だがそれでも、速度を目指して文章を編み出していく。本書自体が追求しているのは、「書く」ことを「しゃべる」ことに拮抗させるための技術である。「しゃべり論」は、同時に「書く」論なのだ。さぁ速く、速く、ラッパーと漫才師より速く!(最後の段落を書くのにさらに1時間かかった) (伏見瞬)
Text By Shun Fushimi
『スピード・バイブス・パンチライン: ラップと漫才、勝つためのしゃべり論』
著者 : つやちゃん
出版社 : アルテスパブリッシング
発売日 : 2024.7.26
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