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【From My Bookshelf】
Vol.20
『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』
坂本龍一(著)

あれから何度目かのフルムーンを見るために

22 February 2024 | By Shino Okamura

早いもので坂本龍一が死去してから3月28日で1年になる。その喪失感にずっと見舞われている人もいれば、いまだにピンとこないという人もいるだろう。私はといえば、どちらかと言うと後者である。

去年は様々な追悼書籍やムック本も刊行されたし、国内盤が即完売していた『async』や『12』のアナログ・レコードも追加プレスされた。『AMBIENT KYOTO』では3ヶ月に渡り高谷史郎との展覧会が開催され、ここにきてICCでは『坂本龍一トリビュート展 音楽/アート/メディア』が開催中、そしてNHKのスタジオで収録されたコンサート映画『Ryuichi Sakamoto | Opus』の国内公開も決定している。こうした情報がSNSの公式アカウントから絶えず発信されていて、これだけ話題が続いていれば、もしかして実はまだ生きているのではないか? と思う人が出てきても不思議ではない。事実、私のようにコンサートや映像でしかその姿を見たことがない(つまり直接会ったことがない)リスナーには、何をもってして「もういない」ということを理解すればいいのかわからないというのが本音ではないかと思う。そのくらい、その存在は依然として大きいということであり、逆にいえば、そもそも坂本龍一という人間は存在したのだろうか? という究極の疑問にも辿り着いてしまうのだ。

そこで思った。坂本龍一が本当に存在したことを認識できるのが本書ではないかと。発刊後、すぐさま購入したが、読み切ってしまうのがもったいなくて、およそ一ヶ月に一章ずつ読んでいたが、このほどやっと読み終えた。いささか遅すぎるが、改めて紹介したい。気がついたら来月は一周忌である。

多くの方がご存知のように、本書は2022年夏から2023年1月までの間に『新潮』に連載されたものがまとめられている。著者名は「坂本龍一」だが口述筆記によるものなので厳密には聞き役の鈴木正文との共同作業によるものだと言っていい。2009年に発刊され、昨年新たに文庫化もされた『音楽は自由にする』の続編的な内容で、実際に2009年3月にリリースされたアルバム『アウト・オブ・ノイズ』の制作前後の話から、2023年1月に出た生前最後のアルバム『12』の話まで、ほぼ時系列を追って語られている(綴られている)。とはいえ、コンサート、ツアー、アルバム制作など音楽にまつわる回想録に終始しているわけではなく、プライヴェートの話、過去の出来事や懐かしい話、あるいは両親への思いなどにも多く紙幅がとられていて、スタイルはほぼ同じながら『音楽は自由にする』以上に一人の男のヒューマンな佇まいを感じることができる一冊だ。何しろいきなり第一章が、ガンに罹患し、数え切れないほど多くの手術を受けてきた厳しい話に始まっているのだから、否応なしに坂本の弱さや脆さ──もちろんそれ以上の意志の強さもあるのだが──を持つ、時には拍子抜けするほどの人間的な営みが刻まれているように読める。

そう感じるのは闘病中のヘヴィな話が強いインパクトを残しているからだけではない。例えば、美智子皇后(当時)と話をして緊張したという思い出。吉永小百合に仕事上で声をかけられて二つ返事で引き受けたというエピソード(自分はサユリストだ、とも綴っている)。こう言ってしまうと失礼かもしれないが、それじゃどこにでもいる一般人と同じじゃないか、これ以上ないほど多くの栄誉を受けてきた坂本もなんだかんだやはり人の子か、とクスッとしてしまう。いろいろブイブイ言わせていたという90年代くらいまでならまだしも、9・11を原体験し、ガンに罹患し、3・11以降はさらに社会的な発言や行動が大きな影響を持つようになってからも……いや、そうなってからだからこそ、坂本はカジュアルな一人の人間であろうとしていたのかもしれない。もちろんスケールは違う。一般人はそう簡単に皇后や吉永小百合には会えない。ベルナルド・ベルトルッチから直接メールが来てヴェネツィア国際映画祭の審査員を務めることもなければ、ナム・ジュン・パイクの葬儀でマース・カニングハムと会うこともないだろう。誕生日にニューヨークのスタインウェイ&サンズで好きなピアノを買ってもらえる人もそう多くはないはずだ。だが、そうした華々しい文化人としてのある種羨ましいとさえ思える活動が、得意気になっているわけでも、虚勢を張っているわけでもなく、ただただ無邪気な行動の末のものとして綴られる。もう亡くなってしまった(もしくは闘病で厳しい状況に置かれていた)人だから許せる、微笑ましく思えるというのでは決してなく、昔からきっと坂本龍一はこういう人だったのだろうと納得、安心できるのだ。

それはやはり口述筆記であることの軽妙さがそうさせているのかもしれない。私は坂本龍一の言葉……とりわけ話し言葉が好きだということを、坂本が亡くなった後の追悼文としてこのTURNで書いた。その点でいくと、本書もベッドに横になったりしながらダラダラ電話をしている内容をまとめた高橋悠治との対談本『長電話』ほどではないにしろ、話し言葉を生かした、実はある側面では結構ユルい人間・坂本龍一が本当に“生きていた”ことを実感できる素晴らしい本だ。連載開始時に坂本が残したコメントはこう閉じられている。

「幸いぼくには、最高の聞き手である鈴木正文さんがいます。鈴木さんを相手に話をしていると楽しくて、病気のことなど忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。皆さんにも、ぼくたちのささやかな対話に耳を傾けていただけたら嬉しいです」

そう、対話なのだ。対話こそが坂本の人としての生命線だったと言ってもいいかもしれない。対話によって自分の弱さやマズい部分をも炙り出すことをよしとする。ガン罹患後の坂本は、死生観を反映させたような作品と、その社会的な活動などによって、YMO前後〜90年代くらいまでの、本当に好き放題生きていた時代をストイックに取り戻そうとしているように思えた人もいるだろうか。しかし実際はきっとそうではない。おそらくずっと変わっていない。何度も言うが私は坂本龍一に一度も会ったことはないが、好きなことにはすぐ飛びつき抱きつき、イヤなことは蹴飛ばし批判し、でも本当にそうする必要があるなら向き合うことだってするし、謝ることもするちょっとだけ野暮ったく、相当に粋な無頼派、という印象だ。本書には「あの時は申し訳なかった」と過去の非礼、無礼を反省するフレーズがたびたび出てくる。照れ笑いしながら語っていただろう横顔が思い浮かび、胸が熱くなる。

ところで、読み始めてしばらく経った頃、個人的なことだが、同居している高齢の母が大きな骨折をして長期に渡り入院した。退院したものの結局そのまま寝たきりになり、現在も日々の暮らしはもちろん、他の病気の疑いや可能性が頻繁に浮上するたび検査で病院まで連れていかねばならない、そんな介護の日々が続いている。もちろん坂本の病状と比べようがないものの、そういう意味では全く他人事ではない、ただただ重い気持ちで読み進めてきた(しかも母は坂本のファンだ)。おまけに、鈴木正文による「著者に代わってのあとがき」は第一章「ガンと生きる」以上に、壮絶な最期であったことがわかる非常に重厚で真摯な文章である。しかし、不思議なことに、今はすごく晴れやかな気持ちだ。死んでしまったことはまだピンとこないが、確実に坂本龍一が存在していたことは対話によって成立したこの本に刻まれている。私はあれから何度目かのフルムーンを見るために、これからもページをめくるだろう。(岡村詩野)

Text By Shino Okamura


『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』

著者:坂本龍一
出版社 : 新潮社
発売日 : 2023年6月21日
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