【From My Bookshelf】
Vol.15
『ブラジリアン・ミュージック200』
中原仁(著)
200年の歌こそストーリーテラー
過去の一側面に注目する時、ライトを当てる角度には恣意性が宿る。無自覚であろうとなかろうと、少なからずの選択がそこには生まれる。それが一国のポピュラー音楽史であるならば、取り上げることのできない作品が当然のように発生してしまう。その上で文化の特殊性を、無数のコンテクストに敬意を払いつつ、どのように表現すれば妥当であろうか。
ブラジルの独立200周年を記念して企画されたという本書は、アルバムではなく、曲単位での紹介となっている。この方針は、ブラジルという国のポピュラー音楽を振り返る上で重要な意味を持つ。例えばアリ・バホーゾが作曲し、1938年にカルメン・ミランダが歌った「Na Baixa do Sapateiro」という一曲。これはサンバ・カンサォン(※1)としてレコーディングされたが、後にジョアン・ジルベルトが名盤『三月の水』(1973年)の中で静謐なギター・インストとして、またバンダ・ブラック・リオがジャズファンクとして、そしてカエターノ・ヴェローゾが『Libro』(1997年)の終盤で室内楽チックなボッサとして、それぞれカヴァーをしている。
このような、時代や演奏形態を超えて一つの楽曲が歌い継がれるという現象が、ブラジルのポピュラー音楽では頻発するのだ。だからこそ、アルバムではなく曲単位での選定が必要となる。楽曲が生まれ歌われていく経路が、十分に歴史として成立している。
そのため、本書には楽曲のキャプションの下にヴァージョン違いの音源がいくつも記されている。これにより、読者は楽曲が後年に辿った経路を追体験することができるのだ。同時に、ブラジルのポピュラー音楽に伏流している継承の歴史をその過程で知ることにもなる。本邦でもCMソングなどで使用され、高い認知度を誇るジョルジ・ベンジョール「Mas Que Nada」は顕著な例だ。セルジオ・メンデス&ブラジル’66の録音で広く知られている本楽曲だが、歌詞に〈このサンバはマラカトゥとのミックス〉(※2)とあるように、北東部の伝統的なリズムであるマラカトゥが持ち込まれているのだ。ジャンル名だけを眺めていると誤解しそうになるが、その歌詞やビートを丹念に追えば、先人たちの表現形式が何度も反復されていることが判明する。“新しい波”というジャンル名の、あの囁くようなボサノヴァでさえ、サンバのリズムに由来しているのだ。歌詞の解説も含めたきめ細やかなキャプションは、こうした解読をも可能にする。
LP盤の普及以前、つまり現在のようなアルバムの発表様式が定着する前の音源の重要性を強調するためにも、楽曲ごとにフォーカスする本書の構成は妥当なものであったと言えよう。年代順ではなく、ジャンル/アーティストごとに掲載されているのも大きな特徴だ。時間の流れではなく、制作された背景に起因する歌の流通経路にこそ、ブラジルのポピュラー音楽の特殊性は表れている。ブラジルの歌と歴史がフラクタルであることも指摘できよう。ディスク・ガイドの体裁をとりながら、楽曲を快弁に語らせる、クリティカルな一冊だ。(風間一慶)
(※1)サンバにバラードのアレンジを加えたもの。ボサノヴァ誕生以前の歌謡界で人気を博していた。
(※2)本書より引用。
Text By Ikkei Kazama
『ブラジリアン・ミュージック200』
著者 : 中原仁
出版社 : アルテスパブリッシング
発売日 : 2022年12月28日
購入はこちら
関連記事
【FEATURE】
わたしのこの一冊〜
大切なことはすべて音楽書が教えてくれた
http://turntokyo.com/features/the-best-book-of-mine/