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現代アメリカきっての千両役者ミュージシャンが、
社会をヴァーチャル・リアリティとして描く日

26 July 2017 | By Shino Okamura

 アメリカにはウンザリしている、飽き飽きしていると嘆いていた男は、今、ヴァーチャル・リアリティの中で生きることの未来を揶揄するように示唆する。まるで、アメリカのみならず、世界のどこにももうリアルな居場所はないんだ、と言わんばかりに。どれほどの包容力と手腕を誇る政治家であろうとも、どれほどの鋭い打開案を提示する批評家であろうとも、たとえツイッター上に8500万人ものフォロワーを抱えるテイラー・スウィフトであろうとも、転がり落ちるだけのこの暗澹たる状況に、全力で抗いそれを変えていくことなどもはやできないかもしれない。ただ、できることは一つだけ。嗤うこと。自分を嗤い、世界を嗤い、そこに登場する愚かな現成人たちをチェスの駒のように動かしソープオペラの如き喜劇にしてしまうこと。ファーザー・ジョン・ミスティことジョシュ・ティルマンは、2017年の今、提示するべきテーゼはこの一点しかないことをよく知っているのではないだろうか。

 おそらくジョシュ・ティルマンは今の音楽シーンの中で最大の千両役者の一人だろう。いや、千両役者になるしか他になかったということなのかもしれないが、いずれにせよ、正装とも思えるようなスーツに身を包み、大きな上背をかがめたり伸ばしたりしながらハンド・マイク片手に全身で歌う姿は、いくつもの動画を観る限り、実際にミュージシャン、ヴォーカリストというよりも、演劇やミュージカルのパフォーマンスを見ているかのようだ。しかし、そこでジョシュが歌うのは、ハリボテのカルチャーに囲まれたアメリカに暮らす乾いた毎日。あるいは、テレビやスクリーンの向こうにある、一見するときらびやかな夢のような世界。しかし、ジョシュは鼻で嗤いながらこう歌うのだ。“僕の現実はあなたたちのそれよりもはるかにリアルなのさ”。

Father John Misty – I’m Writing a Novel

 1981年、メリーランド州はロックヴィル生まれ、現在36歳のジョシュが、このような表現者になろうとは、00年代初頭にドラマーとして参加していたフィラデルフィアのバンド、Saxon Shoreで彼の存在を知った人には到底想像できなかったに違いない。バンド脱退後はシアトルに移り、ソロとしてシンガー・ソングライターの道へと転じ、2005年にはファースト・アルバム『I Will Return』をリリースする。それと並行し、2008年には同じシアトル拠点のグループ、フリート・フォクシーズにドラマー、パーカッショニストとして加入。そこで『フリート・フォクシーズ』(2008年)に次ぐセカンド『ヘルプレスネス・ブルース』(2011年)の制作に参加し世界規模で成功をおさめたことは記憶に新しい。

Fleet Foxes – The Shrine / An Argument

 そして、2012年1月のフリート・フォクシーズ初来日公演の最終日でありワールド・ツアーの最終公演にあたる、東京は新木場《スタジオコースト》でのステージを最後にジョシュは脱退。演奏がすべて終わったあとに、シンバルやスティックなどをステージから客に渡したりしていた姿がとても印象に残っているが、ジョシュがそれ以前から、そのようにソロとしても活動していたこと、既に7作品ものソロ名義作を発表していることから、彼がフリート・フォクシーズを離れた後もソロとして活動を続けていくことは多くのファンの間でおおよそ見当がついていた。しかし、実際にその最後のステージから半年も経たないうちに、フリート・フォクシーズと同じ《サブ・ポップ》から、『フィアー・ファン』が本当にリリースされたのには少々戸惑いを隠せなかったという人も少なくないだろう。なぜなら、その作品はファーザー・ジョン・ミスティという新たなソロ・ユニットの名前を纏っていたからである。

 そのファーストにも既にコメディアンの娘として生まれた女性をテーマにしてみたり、喜劇まがいの小説を書いている自分を題材にしてみたりと、自分や他者、社会を嗤うことを一つのテーゼにしてきたようなところがあったが、表現者としての真価が発揮されたのはセカンド・アルバム『アイ・ラヴ・ユー・ハニーベア』(2015年)のことで、全米チャートで17位、全英チャートで14位を獲得するなどスマッシュ・ヒットを記録した。そこに収録されていた「ボアード・イン・ザ・USA」は彼のステージ・アクトの中でも最重要曲として大きな話題を集めるに至り、《グラミー賞》や《ブリット・アワード》にもノミネートされるなど一躍人気者に。ビヨンセやレディー・ガガへ楽曲提供するなど、インディー・ヒーローというポジションを超えた活躍が目立つようになっていった。ボン・イヴェール、ヴァンパイア・ウィークエンド、ダーティー・プロジェクターズといったアーティストたちとほぼ同じタイミングで、ファーザー・ジョン・ミスティもまたオーバーグラウンドとインディーを軽やかに行き来するような存在になったことは特筆に価するだろう。

Father John Misty – Bored in the USA Live on David Letterman

 そこから2年、今年発表された3作目『ピュア・コメディ』は、そのタイトル通り、自分の現在生きる社会を、純然たる喜劇であるとして描いたような、極めて豊かでアイロニカルなペーソスのある作品であり、彼自身の諦念とロマンを併せ持つ人生観のようなものをそのまま反映させた1枚になっている。これまで同様に、ファーザー・ジョン・ミスティとシンガー・ソングライターのジョナサン・ウィルソンによる共同プロデュースで制作された作品ながら、フランク・シナトラやレイ・チャールズなどショウビズ界を席巻してきたアメリカのVIPたちのアルバムが録音されたハリウッドの《ユナイテッド・スタジオ》でレコーディング。加えて、『タイタニック号の沈没』で有名なギャヴィン・ブライヤーズがオーケストラ・アレンジを担当するなど、これまでになく贅沢な環境で作られているのが特徴だ。

 もちろん、そうやってかつての輝かしいアメリカン・ドリームを感じさせるような環境での制作を実践することで、そんなことを試した自分自身をも嘲笑する、そんな意図がたぶんに含まれているに違いない。そして、冒頭でも書いたように、そこで歌われているのは、この世の現実社会ではなく、どこにもない、一人一人の想像の中にしか存在し得ない架空の夢世界。米Oculus社が開発・発売しているヴァーチャル・リアリティ向けのヘッドマウンドディスプレイ《オキュラス・リフト》を小道具として歌詞に登場させ、せめてこういうゴーグル型のデバイスでも用いないと、もはや人間は幸せな人生を送れなくなってしまった、とでも言わんかのような「トータル・エンターテインメント・フォーエヴァー」が痛烈に現代社会を揶揄する。

 音楽スタイルは極めてオーソドックスな歌もので、それこそフランク・シナトラやトニー・ベネットにも通じるようなヴォーカル・ミュージックと言ってもいい。なぜ、ジョシュはそんなある種前時代的なフォルムのまま歌を歌うのか。そして、なぜ、ヴァーチャル・リアリティの世界に生きる人々に思いを馳せるのか。まもなく行われるフジロック・フェスティバル初日でのパフォーマンスで、そこに集った多くのオーディエンスが、そんなファーザー・ジョン・ミスティの姿を、ゴーグル抜きに“リアルに”体験できることを願っている。裸眼でしっかりそのステージを目撃せよ! (岡村詩野)

Father John Misty – Total Entertainment Forever

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Text By Shino Okamura


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