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映画『Eno』
上映するたびに変化するドキュメンタリー映画で出会う、ブライアン・イーノの素顔

12 July 2025 | By Yasuo Murao

「ノン・ミュージシャン(非音楽家)」を自称しながら、あまりにも音楽的な男、ブライアン・イーノ。自身の音楽活動に加えて、プロデューサーとして数多くのミュージシャンを手がけ、「アンビエント・ミュージック」という新しい音楽を生み出すなど、イーノの活動は多岐にわたる。そんなイーノのキャリアや創作の秘密をユニークなアプローチで追いかけたのが、ギャリー・ハストウィット監督によるドキュメンタリー映画『Eno』だ。本作を制作するに当たって、ハストウィットは映画の自動生成システム、《Brain One》を開発。イーノへの長時間に渡るインタヴュー映像と500時間を超えるアーカイヴ映像が上映される度に自動的に再構成されて、毎回違う内容の作品になる世界初の「ジェネラティヴ・ドキュメンタリー映画」を作り上げた。ここでレヴューする「2025年6月10日東京ヴァージョン」と同じ内容の『Eno』が、今後上映される可能性はゼロに近いという。

映画の軸になっているのはイーノへのインタヴューで、カメラに向かって音楽やアート、さらには環境問題やガーデニングなど様々なトピックについて語る。以前、マイケル・ナイマンに頼まれて初めて大学で講義をした時、イーノは緊張のあまり話す内容を一字一句ノートに書きとめて講義に挑んだとか。本作でカメラに向かって語るイーノはリラックスしていて、話の内容はわかりやすく示唆に富んでいる。例えば、イーノいわく芸術で重要なのは感情。人々が音楽を求めるのは何かに帰属したいという欲求のあらわれで、合唱団をたくさん作ることで人々の心の平和が生まれる──など、まるでイーノの特別授業を受けているようだ。

また本作では、イーノの創作の舞台裏を見ることもできる。コンピュータを使って音楽を制作するイーノは、「まず地面を作ろう」「次に空を作ろう」「今度はそこに生き物を入れてみよう」と風景をイメージしながら音を加えていく。イーノによると音楽とは地理的なもので、聴いた人が懐かしく感じる風景を音楽で作りたいと言う。イーノがデヴィッド・ボウイと出会ったとき、ボウイはドラッグでひどい状況で音楽を聴けなかったそうだが、唯一、イーノの『Discreet Music』(1975年)だけは聴くことができて、アメリカツアーをしている間、ずっとこのアルバムを聴いていたらしい。シンセとテープディレイだけで構築されたアルバム・タイトル曲は、イーノがアンビエント・ミュージックの方向性に踏み出した重要作だが、異国の地でボウイの頭の中にはどんな風景が浮かんでいたのだろう。

アンビエント・ミュージックのアイデアはイーノが入院していた時の体験から生まれたというのはよく知られた話だ。自動車事故で入院していたイーノのところに友人が見舞いにやって来て、ハープのレコードを小さな音量でかけた。それが外から聞こえてくる雨音と絶妙なバランスで溶け合っていて、イーノは風景の一部のような音楽=アンビエント・ミュージックというアイデアを思いついた。本作では、80年代にイーノが取り組み始めたビデオアートの話が出てくる。ビデオカメラを手に入れたイーノは、部屋から外の風景を撮影しようとしたが、カメラがうまく立ってくれない。それで横にしたまま撮影したところ、その不思議な風景に興味を惹かれ、それがビデオアートを生み出すきっかけになったという。演奏技術や歌唱力に秀でているわけではない、ノン・ミュージシャンであるイーノにとって好奇心や発想が重要。様々な指示を書いたカードをランダムに引いてそれに従う手法、「オブリーク・ストラテジーズ」の話も出てくるが、ボウイと『Heroes』(1977年)を制作した際にはそれぞれカードを一枚引いて相手には見せずにレコーディングを進めたが、最後にお互いのカードを見せ合うと意外な内容が書いてあった、というエピソードも面白い。

そんな風に興味深いエピソードが次々と飛び出すが、イーノは自然が創作の手本であり、そこから学ぶことが多いと語る。イーノはアンビエント・ミュージックの考えをさらに発展させて、作曲家がシステムを設計して音楽が独自に成長する「ジェネラティヴ・ミュージック」というアイデアも生み出したが、これは刻々と変化する自然からヒントを得たもの。このジェネラティヴ・ミュージックのアイデアを『Eno』で応用しているわけだ。映画を観ていて、時々、話が前後することもあるし、話の流れが突然変わったりもするが、それでも違和感は感じさせないし、内容に偏りはない。どんな風に組み合わされても成立するように、イーノに対してフラットな姿勢で撮影が行われ、アーカイヴ素材が吟味されたのだろう。

通常のドキュメンタリー映画は監督が捉えた人物像をそこに浮かび上がらせるが、本作は監督の意図はあまり感じさせない。イーノの情報がモザイク状に構成されて、そこから観客それぞれがイーノの人物像を読み解いていく。劇中でイーノがYouTubeで音楽を検索しながらにこやかに話をしている時、YouTubeにCMが入るたびにイーノは「黙れ!」と怒鳴る。そんな姿に彼の素顔を垣間見たようで面白かったが、別の上映では怒鳴るイーノに出会えないかもしれない。でも、彼の別の素顔を知ることができるはず。そして、観客は映画を見るたびに新しいイーノに出会い続けるだろう。(村尾泰郎)

Text By Yasuo Murao


『Eno』

監督 : ギャリー・ハストウィット
字幕翻訳 : 坂本麻里子 / 字幕監修 : ピーター・バラカン
配給 : 東急レクレーション / ビートインク
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