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普遍的で最も韓国的なフェス
──DMZ Peace Train Music Festival 2025 体験レポート

18 November 2025 | By Daichi Yamamoto

「韓国にある北朝鮮との軍事境界線に最も近い街、鉄原(チョロン)で開催される音楽フェス」

これは一見、単なる地理的事実の説明に過ぎないだろう。だが、《DMZ Peace Train Festival》ではとても重要な「前提」だ。

韓国ではパンデミック明け以降、音楽フェスの人気が高まっている。今年で20回目を迎えた《仁川ペンタポート・ロック・フェスティバル》や韓国第二の都市である釜山で開催される《釜山国際ロックフェスティバル》など、欧米のバンドをヘッドライナーに掲げる大規模なフェスから、国内アーティストにフォーカスし、ソウル市内の公園で行われるピクニック型のフェス、ヒップホップやアイドル、さらにはJ-POPにフォーカスしたものまで、ジャンルも規模も実に多様だ。その数はあまりに多く、思わず「乱立」という言葉を使いたくなるほどである。

そんな中で特別な存在感を放ち続けているのが 《DMZ Peace Train Music Festival》だ。このフェスに参加するには、ソウルから約2時間、バスに乗らなければならない。それでも僕が毎年通いたくなる理由、今年、外国人である僕がより「積極的に」身を投じてみて感じたことを綴ってみた。

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2018年に始まった《DMZ Peace Train Music Festival》(以下、韓国での略称で《DMZ》で表記する)は、毎年6月中旬の週末に韓国の東北部、江原道・鉄原郡の孤石亭(コソクジョン)というエリアで開催されている。今年は前夜祭を含め3日間で約1万3千人を動員しており、その規模感は韓国のフェスの中でもミドル・クラスといえるだろう。国内外の約30組のアーティストが出演し、ロック・バンドから、シンガー・ソングライター、ラッパー、エレクトロニカ系のミュージシャンまで多様なジャンルのライヴを見ることができる。日本からも今年はTENDOUJIとMinami Deutch、2組のバンドが参加した。

僕は今年初めて前夜祭から参加した。午後3時ごろソウルを出発し、シャトル・バスに揺られて会場に着いたころには日が暮れ始めていた。目の前に広がる長閑な田園風景を見るだけで、「今年もこの場所に戻ってきたんだな」という実感が湧いてくる。会場の孤石亭という場所は、漢灘江(ハンタンガン)という川が険しい奇岩の間を流れている名勝地で、フェスの参加者の中にも川下りをしている人をよく見かける。朝夕には涼しい風を浴びられる気候も気持ちいい。ここは僕のような大都市・ソウルから来る人にとっては日常から脱出できる環境であり、自然が身近にあるこのロケーションもまた、このフェスを特別にさせる。

孤石亭の風景。フェス会場からも、階段を降りてすぐにこの河原のエリアに到達できる。

日帰り参加の人以外は開催期間中、近隣の宿泊施設やキャンプ場を利用する。僕は毎回近くのペンションを予約していたが、今年は予約に出遅れてしまい、キャンプを選択した。キャンプ券の中にはフェス側が設置したテントを使うパッケージも用意されており、初心者の僕にも安心だった。

フェスの会場に到着すると、まずはチケットを持っていない人も遊べる広場のようなエリアがあり、マーチャンダイズのコーナーや飲食店があるほか、ディテールに気を遣った装飾やDJステージが参加者の気持ちを高めてくれる。ちなみに、DJステージはSeoul Community Radioの面々が毎年ジャックし、昼間から夜遅くまで多様なジャンルでプレイしている(ステージが噴水=韓国語読みは“ブンス”の前にあるので、“イビザ”と掛け合わせてリピーターの間では”ブンビザ”と呼ばれている)。

DJステージは昼夜問わず自由に踊って遊ぶ人たちで溢れている。

《DMZ》は地域住民の入場を無料にしており、地域の中でイベントを定着させる努力もしているようだ。広場の中を歩いていると、その中に休暇を取って来たと思われる軍人の姿を見ることも珍しくなく、その度に「ここがどんな場所なのか」を実感する。そもそもフェスの名前にも入っている“DMZ”とは非武装地帯を意味する“Demilitarized Zone”の略語で、韓国と北朝鮮、両国間の協約により軍事活動が禁止された地域であり、この鐵原郡も陸軍の部隊がいくつか配置されている。フェスのホームページの概要欄にはこんなことが書かれており、この場所が意図を持って選ばれていることがわかる。

“Peace Trainは全世界で唯一の分断国家である韓国の江原道・鐵原郡のDMZ一帯で開催される、平和を歌う音楽フェスティバルです。1年にたった2日、ピーストレインでは「音楽を通じて政治、経済、理念を超越し、自由と平和を経験しよう」という趣旨で作られました。ピーストレインは、私たちが生きていく中で無関心で無感覚になってしまうものを文化を通じて持続的に再発見しようとし、自由、平和、人権、寛容などの価値が未来世代に持続することを願います。”

《DMZ》はこうしたコンセプトを体現するものの一つとして、毎年開催アナウンスを発表するのと同時期にその年のキー・メッセージを発表している。今年は「DANCE, SING, AND ENTANGLE!」(踊って、踊って、絡み合おう!)という言葉が、ラインナップの書かれたポスター、会場内の装飾、ステージにアーティストが登場する時に流れる映像など、ありとあらゆる場所に散りばめられていた。過去に遡ってみると、「GIVE PEACE A CHANCE!」(平和に機会を!)(2018年)、「DANCING FOR A BORDERLESS WORLD!」(僕は個人的に韓国語表記“서로에게 선을 긋기 전에 함께 춤을 추자!”の方を気に入っていて、こちらを意訳すると“線を引く前に、一緒に踊ろう”だ」(2019年)といったものもあった。毎年少しずつ異なりはするが、このメッセージを通じて主催者側の理念を伝えることはもちろん、イベントを心から楽しむこと、より良い空間を作るための行動など、参加者たちの主体性を促しているように感じられる点が興味深い。

入場ゲートの装飾。ここにもスローガンが韓国語と英語で書かれている。

些細で、カジュアルなアクションではあるが、音楽が楽しめるだけではなく、理想とする概念を追い求め、個人の自由や多様性が尊重される空間を作ろうというDMZのスタンスは音楽フェスというものが古くから提示してきた普遍的な価値観に近いだろう(このフェスを企画・運営する社団法人、ピーストレインのイ・スジョン氏は制作に関して強くインスピレーションを得たフェスとしてスペインのプリマヴェーラ・サウンドを挙げている)。コスプレをしたり、思いのままを書いたフラッグを掲げるオーディエンスたち、DJブースに飛び込んで自由に踊るおじいさんたち……。実際僕も《DMZ》にいる多様で自由な人たちの姿を見ていると、「ここではどう楽しもうとも、どう表現しようとも自由なんだ」、「音楽フェスってそれが許される場所だよね」と考えるようになる。

ライヴ中の風景。それぞれ自由にメッセージが書かれた旗が多数見られる。

ライヴ・パフォーマンスに話を移す前に、このフェスのアーティスト・ラインナップの特徴にも触れておきたい。まず、国内アーティストは各ジャンルのいま一番エッジーなアーティストたちがいつも名を揃えているし、その上で前述のイ・スジョン氏はブッキングにあたってライヴ・パフォーマンスの良さを重視していることも明かしている。今年でいうなら韓国大衆音楽賞で最優秀アルバム賞を受賞したバンド、Danpyunsun & The Moments Ensemble、同賞で4部門にノミネートされていたR&BアーティストのSUMIN、インディ・シーンで20年支持を得てきたバンド、GOONAMらがその筆頭だ。そして、もう一つ大事なポイントは音楽史で重要な功績を残した大ベテランのアーティストたちを、若手と一緒に並べていること。70年代、80年代にヒット曲を残した韓国の歌手やバンドはもちろん、過去の海外アーティスト・ラインナップの中にはセックス・ピストルズのグレン・マトロック(2018年)、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドのジョン・ケイル(2019年)、ノイ!のミヒャエル・ローター(2023年)、ジ・オーブ(2024年)など音楽ファンを驚かせるブッキングを毎年のように連発していた。

昨今の韓国のフェスの中には似通った国内アーティストのラインナップに批判の声が集まることも多くなっている(最近も釜山のバンド、Seaweed Mustacheのベーシスト、チョン・ジュイが《釜山国際ロック・フェス》のラインナップについて「名前を他の地域名に変えたって成立する」と批判したことが話題になった)。そんな中で認知度やセールスではなく、ユニークな音楽性とライヴ・パフォーマンスの衝撃に賭けること、音楽史へのリスペクトを込めることを第一にする《DMZ》のキュレーションとその姿勢は重要だ。ラインナップを通して何を提示したいのかが明確に感じられる、そんな主催側の主体性も僕がこのフェスに惹かれる理由なのだ。

3日間、素晴らしかったライヴは挙げればキリがない。現代舞踊のダンサーたちとコラボをするなど堂々のアート・ロックを展開したDanpyunsun & The Moments Ensemble。フォークと荒々しいロック・サウンドを行き来しながら、最後には観衆全員に手を繋がせるセラピーのような空間を作り出したMeaningful Stone。夕暮れ時に聴けた独特のサイケデリックな演奏がロマンチックだったベテラン・バンドのGOONAM。高速ビートと攻撃的なラップで深夜の会場を熱くしたアメリカのゲットー・テクノの3人組、HiTech。怒涛のエネルギーで怒りを表現し、政治性も堂々と持ち込んだLambrini Girls。ストイックな演奏の完成度に酔いしれたMinami Deutch。誰もが唯一無二なパフォーマンスを見せていた。

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けれど、前述の通り《DMZ》は誰もが「観察者」ではなく「当事者」になれる音楽フェスだ。ここからはそんな基準で僕個人にとって印象的だったライヴについていくつか話したい。今年のDMZには、80年代後半から90年代初めに多数のヒット曲を残し、今は韓国版シティ・ポップの代表的存在としても再評価されているキム・ヒョンチョル、そして70年代後半からファンクやディスコを絡めたサウンドで活躍した5人組バンド、Love & Peace、2組のレジェンドがそれぞれ1日目と2日目の夜のピークの時間帯に登場した。いずれも主なオーディエンス層にとっては後追いの時代のミュージシャンたちということになるのだが、「韓国の音楽ファンなら誰でも知っているような名曲」を持っていて、前から後ろまで、左から右まで、会場全体をシンガロングさせてしまう。ファンダムも世代も超えて、《DMZ》のオーディエンス全体が一つになる、その姿には今年も圧倒された。

一方で彼らのライヴを見ることは、外国人である僕にとってはまた別な意味を持っていた。そもそも90年代生まれで韓国に住むようになってから彼らの存在を知った僕には、この時代までの韓国の音楽というと、どこか「異国の」「過去の文化」という感覚があった。初めて参加した《DMZ》ではその空気に馴染めずに戸惑う自分を見つけたこともあったし、その時の僕はまるで「韓国の人々にとってのクラシック」を、少し距離を置いて眺めているような気持ちだったかもしれない。けれど、今年の僕はキム・ヒョンチョルとLove & Peaceの代表曲をしっかり予習して臨んだ。熱気が高まったオーディエンスたちに囲まれて一緒に歌ってみると、不思議と「ああ、自分もこの国に住んでいるんだな」という実感が湧いてきた。その瞬間には、僕も彼ら・彼女らと同じ土地に生まれた人間であったような錯覚を覚えてしまった。その感覚の正体を言葉にすることは難しかったが、この戸惑いこそが異なる国の文化を楽しむということだろうと思う。いずれにせよ、韓国の今と過去を、熱狂した観衆の中で音楽を通して身体で感じられたこの時間は、日常生活では得がたい貴重な経験だった。

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そんな特別な体験しようとしていたのは、オーディエンスの一人である僕だけのものではなかった。最終日の夜に登場したジャパニーズ・ブレックファストのライヴが終盤に差し掛かった頃には、この日の夕方から降り出した雨がバケツをひっくり返したような激しさになっていた。そんな中、ヴォーカル、ギターのミシェル・ザウナーはほとんどのMCを韓国語でこなしながら、最後の曲として「特別なカヴァー」を準備したと伝えた。バンドが披露したのは韓国のフォークのクラシック、キム・ジョンミの「햇님 Haenim(“おひさま”の意味)」(1973年)という曲だった。これは”韓国ロック音楽の父”、シン・ジョンフンによるサイケデリックな編曲とともに、軍事政権下だった韓国で自由と解放への渇望をピュアな言葉で歌ったことで、特別な評価をされている曲だ。この鉄原で行われる《DMZ》でこの曲を選曲すること自体、あまりにもドラマチックなことだった。そして、原曲に忠実なバンド・アレンジと、韓国語で懸命に歌うミシェルの姿は、立場は全く違えど、この国で生活する僕の心にも強く突き刺さったのだった。

だが、私の心を奪ったのはステージ上のミシェルだけではなかった。「햇님 Haenim」の演奏が始まった頃、ステージの下では大雨の中残っていた数百人の観客たちが手を繋いで大きな輪を作っていた。彼らはそのままぐるぐる回りながら踊りだし(“カンガンスルレ”と呼ばれる韓国の伝統遊戯だ)、その後暫く経つと、今度は一人一人が自由に飛び立つように輪から離れていき、雨の中を駆け回ったていった。

その数分間の出来事は誰かの演出でもなくオーディエンスたちの即興的な行動によるものだった。その光景は、この曲の歌う自由や連帯の言葉たち──「무지개 티고 햇님 만나러 나와 함께 맞으러(虹に乗って おひさまに会いに行こう)」や、「영원한 이곳에 그대와 손잡고(永遠のこの場所で、あなたと手をつないで)」とも重なって、まるで映画のワンシーンのように美しく、気がつくと心が動いていた。鉄原という土地、この日の大雨、「햇님(おひさま)」のカヴァー、《DMZ》のオーディエンスたち。紛れもなく、この全てが重ならないと起こらない奇跡だったと思う。僕はこの夜体験したことの余韻から抜けられず、雨に濡れた腕の感触を忘れないようにして、帰りのバスのシートに身体を預けた。

そうして今年の《DMZ》は終わったが、良いライヴを見られたのはもちろん、それ以上にたくさんのものを持ち帰ってきた。音楽を聴く・見るという行為は、いつどんな環境で体験するかによっていくらでも特別なものになる。当たり前のことだけれど、ここではそれが確かに感じられた。あの日のことを今もまた思い出してしまうから、また来年もここに向かうのだろう。

もしこれを読んでいる読者の中にも韓国の音楽フェスに興味がある方がいたら、「せっかくなので」どこよりも韓国的な《DMZ》も選択肢に入れてみることを提案したい。きっと行く前と後で韓国という国やこの地の人々との距離感も変わっているだろう。(取材・文・写真/山本大地)


《DMZ Peace Train Festival》
公式HP
https://dmzpeacetrain.com/ 
インスタグラム
https://www.instagram.com/dmzpeacetrain/

Text By Daichi Yamamoto



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