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初期6作品がストリーミング解禁!
現代ラップ・ファンがデ・ラ・ソウルを聴くべき2つの理由

03 March 2023 | By Sho Okuda

1988年にN.W.Aがデビューし、ハードコア全盛となっていた1990年前後のヒップホップ界で、日常のことを楽曲の題材とし異彩を放っていた3人組——デ・ラ・ソウルについてざっくりこんな説明をしたとして、何の予備知識も持たぬ人々は、彼らに対してどのような印象を抱くだろうか? 説教くさい真面目ないい子ちゃんたち? リル・ディッキーのような(No offense to him!)、ラップ・ゲームから意図的に外れた感じの人?

たしかに、例えば「Declaration」における「ウィードをゴーストライターとして使う」というPosのラインには、一般的な現代のラップ・リスナーは感覚のズレを覚えるかもしれない。しかし、架空の人物を通じてドラッグの危険性を説く「My Brother’s a Basehead」では、彼らのデリバリーの巧みさを楽しめるはずだ。それでもまだ説教くさく感じるのであれば、つべこべ言わず「De La Orgee」を再生してみてほしい。親と一緒に聴くと気まずい要素がちゃあんと入っていることにご安心いただけるだろう。

それに、デ・ラ・ソウルも一定程度ハードコアだ。何を隠そう、彼らはストリート・スラングで「ドラッグの供給元/売人」を意味する“plug”を30年以上も前に使い始めた張本人たちなのである。え、意味が違うって? ……話題を変えよう。彼らが意図的にラップ・ゲームの枠の外にいるような連中でないことは、ラッパーとしての自信と誇りに満ちた「Supa Emcees」や、ヒップホップの精神を直球に体現した「I Am I Be」あたりを聴いていただければ一目瞭然だ。

以上により現代っ子リスナー各位がデ・ラ・ソウルを聴くハードルを下げたところで(?)、筆者なりの聴きどころを2つ紹介したいと思う。

デ・ラ・ソウル色のサンプリング

サンプリングに検閲が入らなかった時代のヒップホップは、今だったら考えられないようなサンプリングが楽曲に用いられていた——こんな説明を耳にしたことのある方も多いのではないだろうか。デ・ラ・ソウルも例に漏れず、この度ストリーミング・サービス上で解禁される諸作品では、「えっ、これが?」と思うようなクラシックのサンプリングを楽しめる。そのうち最も耳を引くものの一つが、ファンカデリック「(Not Just) Knee Deep」をヘビーにサンプルした「Me Myself And I」であろう。

「(Not Just) Knee Deep」は数多のヒップホップ楽曲でサンプルされている名曲だ。その中でも「Gファンク」というサブジャンルの呼称も手伝って、ドクター・ドレーやスヌープ・ドッグの楽曲で使われているイメージを強く持つリスナーも多いことと想像するが、実は彼らよりもデ・ラ・ソウルのほうが早い。さらに、『De La Soul Is Dead』ではこれまた2パック「Dear Mama」よりも早く、インタールード的に配された「WRMS’ Dedication to the Bitty」「WRMS: Cat’s in Control」でジョー・サンプルズ「In All My Wildest Dreams」をサンプルしている。

他にも「Breakadawn」ではマイケル・ジャクソン「I Can’t Help It」、「A Little Bit of Soap」ではベン・E・キングの「Stand by Me」など、「えっ、これが?」と思うようなサンプリングが楽しめる。もちろん、これは彼らに限った話ではなく、サンプリングが今よりも安価で自由だった時代の作品はだいたいそうなのだが、どの曲も元の曲のヴァイブに忠実すぎず、それでいてブチ壊すわけでもなく、もともと彼らの曲だったように感じてしまうよう処理されているのが面白いところ。筆者にとって「(Not Just) Knee Deep」がそうだったように、これまで他の曲の元ネタとして認識していた曲との、意外な出会いも楽しめるかもしれない。

今にも繋がる大切なテーマ

まずは歌詞に注意を払いながら「Bitties in the BK Lounge」を聴いてみてほしい。できれば、T.I.「Whatever You Like」のMV(あの、ファストフード店の女の子がティップから高価なプレゼントを貰うことを夢見るやつ!)を観直したうえで。そう、この曲にもファストフード店の店員は登場するが、面白いことに、有名なラッパーとして店員と会話を交わしチヤホヤされる白昼夢を見ているのは、Trugoyのほうなのだ。3パートからなる同曲はトラヴィス・スコット「SICKO MODE」よろしく途中にビート・チェンジを挟んでおり、この点においても先駆的なのだが、本稿で着目したいのは彼らのナヨナヨ具合である。ドレイクがシーンに登場する約20年前にして、この三枚目具合。ケンドリック・ラマーは地元コンプトンで同調圧力に屈するさまを「The Art of Peer Pressure」にしたためたが、デ・ラ・ソウルには「The Art of Getting Jumped」(邦題を付けるなら「ボコられる美学」?)なんて曲もある。

せっかくケンドリックの名前が出たことだから、現代を代表するリリシスト二人と比較してみたい。『good kid, m.A.A.d city』収録の「Poetic Justice」で、「“Love”っていうのは単なる動詞(=セックスをすること)じゃないんだ」と、彼なりの愛についての考えを述べていたが、実はTrugoyが似たようなテーマで12年前にラップしている。以下はシャカ・カーンを招いた「All Good?」の一節だ。

“The loving that you claim is just a four letter word
The third letter’s inviting so visualize the verb”
(君の言う愛ってのは 単なる4文字の言葉だろ
 3文字目は魅惑的だから その動詞を思い浮かべようぜ)

「4文字の言葉」を“love”と捉えれば、3文字目はvであるから、これが意味するところは“vagina”であり、それが「魅惑的」だとしているのだとも考えられる。また、「4文字の言葉」が“f*ck”だとしたらどうだろう? cは“see”と同じ発音であり、これは“visualize”と縁語である。こうしたワードプレイの妙も彼らの魅力である。

最後に紹介したい曲が「U Can Do (Life)」だ。「何にでもなれるから自分らしくいこう」というテーマのポジティブな同曲からは、PosとTrugoyの両名が、シワが刻まれる肌やフッドでの暮らしさえも愛する様子が読み取れる。他のラッパーと比較して自分のほうが上だと誇示する部分もありつつも、人生をフルに生きることを聴く者にも奨励している、いわば自己肯定感を高めてくれるような曲だ。「Love Yourz」で「お前の人生を愛せ」と言っていたJ. コールにも似たアティチュードが感じられはしないだろうか。

ご存知のとおり、Trugoyは去る2月12日に54歳の若さでこの世を去ってしまったが、シーンにおける自分たちの受け止められ方について、こんなことを話していた

「みんな俺らを受け入れてくれたと思う。ギャングスタ・ラップやボースティングで過飽和なんてことはなかった。俺らがバランスをもたらしたんだよ。Schoolly Dに会った時も、彼は俺らのことを最高だって言ってくれた。パーティーのことやいい時間を過ごすこと、人生を謳歌することについてポジティビティをもって伝え、みんな気に入ってくれたんだ」

3月3日のデ・ラ・ソウル作品ストリーミング解禁を機に、さらに多くの人々が彼らの音楽に親しむ様子を、ぜひTrugoyにも見届けてほしかったと悔やまれる。ラップに何を求めるかは人それぞれだが、もしあなたの求めるものに「共感」が含まれるのであれば、まさにその「共感」を獲得することで評価を得ている現代のリリシストたちの前に、デ・ラ・ソウルがいたことを伝えたい。この度の彼らの作品のストリーミング解禁は、あなたもボタンひとつでそれを体感できるチャンスだ。(奧田翔)

【De La Soul公式サイト】
https://www.wearedelasoul.com

Text By Sho Okuda

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