追悼
デヴィッド・リンドレー
デヴィッド・リンドレー(David Lindley)の名前を初めて目にしたのは、10代の初めの頃だったと思う。スライド・ギターの名手でライ・クーダーの盟友であり、世界各国の様々な弦楽器を演奏し、古い日本製のギターを愛用している。確かそんな記事を雑誌かディスク・ガイドで目にしたのが最初で、変わったギタリストがいるもんだなと記憶していた。時刻表や昆虫図鑑好きの子供が、暇さえあればそれらの本を穴が空くまで眺めていたように、子供の頃の私は古本屋か図書館で雑誌やディスク・ガイドを片っ端から掻き集め、暇さえあれば飽きる事なく何度も何度も眺めていた。まだこの当時、田舎の小学生にとっては、どんな音楽もインターネットで検索すれば聴くことが出来るような時代ではなかった。そこに書かれた文章やギターを抱えたプレイヤーの写真を眺めながら、彼らから発せられる音楽がどんな音楽なのかを何年もかけて想像する事が出来た最後の幸福な世代だった。
私の住んでいた米軍基地の周りには何軒かの中古ギター・ショップがあり、子供の頃からギターを眺めに通っていた。壁にかけられた憧れのギブソンやフェンダーのギターは手が届かなかったけれど、片隅に無造作に置かれていたテスコやグヤトーンといった古い日本製ギターはまだまだ1万円ちょっとも出せば手が届いた。これらのギターをプレイしている人はテレビでは観た事なかったが、“デヴィッド・リンドレーという名手は好んで愛用しているらしい。きっと彼の音楽は僕にぴったりの音楽なんだろうなあ”そんな事を考えていた。
その後、10代の半ば頃にたまたま足を踏み入れた中古CD店で念願のデヴィッド・リンドレー『El Rayo-X(邦題:化けもの)』(1981年)を手に入れた。長年の期待を胸にプレイボタンを押して流れて来た音楽に面食らったのを覚えている。当時の私にはあまり馴染みのなかったレゲエやカリブのビートに80年代的な派手な音像、あんまり掴み所のないように感じた楽曲。今でこそ、この作品も好きなレコードのうちの一枚だが、その当時はライ・クーダー『Boomer’s Story(邦題:流れ者の物語)』(1972年)やジェシ・エド・デイヴィス『Ululu』(1972年)のようなサウンドがスピーカーから流れてくる事を期待していた。このとき感じた“1971〜1976年の間にデヴィッド・リンドレーのソロ作が1枚でも出ていたら……”という思いは今も変わらない。そんな訳で、私がデヴィッド・リンドレーの熱心なファンになるのはもう少し経ってからだった。
18歳になってターンテーブルを手に入れて、最初に買った数枚のレコード盤の中の一枚がジャクソン・ブラウン『Late For The Sky』(1974年)だった。雑誌やディスク・ガイドで得ていた知識で、名盤とされている事は知っていたがCDで聴いた事はなかった作品、当時安価に手に入れる事が出来たこれらの作品を手始めに選んだのをよく覚えている。「ロマンチックな理想主義と社会へ適合していくプロセスでの痛みを正直に、また深く切り取った人はいない」。『Late For The Sky』がリリースされた1974年の《Rolling Stone》誌にStephen Holdenが寄稿したレヴューは本作を最も的確に捉えた文章だ。もちろんこの文章を知ることになるのはもっと後のことで、『Late For The Sky』でジャクソン・ブラウンが何を描こうとしていたかなど、そう言った前情報の一切を知らずに針を落としたのだが、スピーカーから発せられた冒頭のタイトル曲のイントロを耳にしたその瞬間にその全てを理解できた“気がした”のをよく覚えている。夜明け前の暗がりからの出発のイメージ。時に音楽は、言葉よりもはるかに多くのイメージや感情を投げかける。「Late For The Sky」、ダブルストップで始まるギターのイントロは、夜明けの空がうっすらと明るんで来ていること伝えるに十分だった。ジャクソン・ブラウンの描くロマンとリアルの悲しみや痛み、そして移動のイメージ、そこで起こるドラマ。もうここには居られないんだ。「Late For The Sky」におけるデヴィッド・リンドレーのギター・プレイは、舞台の天気や気温、情景、そしてそこで起こる言葉にならないパーソナルな感情の揺れをあまりに的確に捉えた。このとき初めて、歌詞とは別に、言葉を介さなくとも、音楽そのものが詩になり得ると感じたりもした。
そしてデヴィッド・リンドレーのギターに夢中になることになった。私はちょうど18歳の頃のこと。とりあえず大学に入りはしたがこれからの人生についても考えなくてはならないタイミングでもあった。そして周りの友人たちが洗濯糊の効いたスーツに着られながら見慣れない姿で就職活動を始める頃に、私は近所の楽器店でデヴィッドが愛用していたというテスコのゴールドフォイルが搭載されたTRG-1(poteto guitar)を見つけた。スーツを買うために両親から預かっていたお金で私はこのギターを買った。それは今でも大切に弾いている。
ついつい自分の事ばかり書き連ねる形になってしまった。私たちが本当に愛している音楽について語る時、その素晴らしい音楽家の功績についてではなく、それらの音楽に出会った当時の私たちのパーソナルな出来事を話さずにはいられなくなる。レコードを聴くという事は、どこまでも人々の感情を司る記憶と密接だ。デヴィッドが亡くなったという話を聞いて、彼に会ったことは残念ながら一度もなかったが、本当に近しい人が亡くなってしまったように悲しかった。彼は古今東西のストリングス・ミュージックに深い敬意を持ち、愛し、そして図鑑を見つめる子供の様に無邪気にそれらに夢中だった。世界各国に点々と散らばるストリングス・ミュージックが文字通り弦で結びついているのを見出し、様々なイディオムを手繰り寄せて全く新しい音楽を生み出し続けたカレイドスコープ(Kaleidoscope/デヴィッド・リンドレーのバンド)からの彼の哲学に私はとても感化されてきた。そうしたトラディショナルから続く道を丁寧に歩み続けたその先にある彼が見出したオルタナティヴの最高到達点とも言えるヘンリー・カイザーとのデュオ作『Encounters At The End Of The World』(2013年)は晩年に残した美しい贈り物だった。ユーモラスで飄々とした彼の人柄にも親しみを覚えた(彼のホームページには自作のおもしろゲームがあったっけ)。しかし私にとってはジャクソン・ブラウン『For Everyman』(1973年)、『Late For The Sky』、『Running On Empty(邦題:孤独なランナー)』(1977年)での彼のプレイが真っ先に思い浮かぶ。この時期の作品はジャクソン・ブラウンのソロ作品ではなく、ジャクソンとデヴィッド・リンドレーによるジャクソン・ブラウンというバンドの作品と言っても良いくらい彼の存在が印象深い。「These Days」、「The Late Show」でのスライド・ギターの演奏は、あまりに人の感情的な部分に迫る演奏だった。彼の訃報を耳にして最初に彼の奏でたこれらのメロディ・ラインを思い出して思わず涙してしまった。どんなに高い塀も軽やかに飛び越える事ができる鳥のように自由な旋律。
デヴィッド・リンドレーはレコードが最高だった時代の最高のギター・プレイヤーの一人でした。素晴らしい時代を築いてくれて、美しい音楽をたくさん残してくれて本当にありがとう。これからも私はあなたのスライド・ギターを何度も何度も聴き返し、その度に朝の陽でうっすらと青色が滲みはじめた大空を軽やかに舞う鳥たちの事を思い浮かべるでしょう。どうか安らかに。 (岡田拓郎)
Text By Takuro Okada