“ローファイなベッドルーム・ポップからの脱却”なのか?
トータル・アルバム『Charm』にあるクレイロの表明
もしクレイロの『Charm』のCDかレコードで持っているなら、アートワークを開いてみてほしい(持ってない人はSpotifyのトップページでもいい)。そこにはジャック・アントノフをプロデューサーに迎えた前作『Sling』から引き続き用いられた《Allaire Studio》でのレコーディング風景の写真が使用されている(録音にはもうひとつ、ニューヨークの《Diamond Mine Recording》も使用されている)。アントノフに代わり、『Charm』で彼女はノラ・ジョーンズのアルバム『Visions』を手掛けたことでも話題を集めた《Big Crown》のリオン・マイケルズを共同プロデューサーに起用している。
2021年7月に『Sling』をリリース後、彼に自ら連絡をとり、お互いがニューヨーク北部に住んでいることを知り意気投合したふたりは、デモの制作にいそしんだという。2018年よりホストを務める《NTS Radio》で2022年12月6日の放送でマイケルズ率いるMenahan Street Bandの「Stepping Through Shadow」をかけているし、2023年にはマイケルズが関わるプロジェクトのなかでもシンセポップ寄りなSynthiaで、まるで映画『ドライヴ』(2011年)のサウンドトラックに収録されてもおかしくないような「So Low」のカヴァーに参加(原曲はCarol)。さらには2024年、同じ《Big Crown》のBrainstoryのアルバム『Sounds Good』収録曲「Hanging On」にもヴォーカルで加わっている。
アナログ・レコーディングは用いられているものの、マイケルズが手掛けたこれまでの作品と同じように、ヴィンテージな質感をヒップホップやベッドルーム・ミュージックの手法で刷新していく手腕は、クレイロのコードチェンジがもたらす効果を最大に利用するソングライティング、そして優しい歌声と驚くほど相性がよい。そして、先に挙げた写真のイメージのとおり、余裕と遊び心にみちている。すべて自分でジャッジしていくベッドルーム・ポップの手法を続けてきた彼女にとって、他のアーティストのテイクを良しとするレコーディング方法は新鮮だったに違いない。先の写真でシンセサイザーなどの楽器や機材が所狭しと置かれるなかソファでくつろぐクレイロことクレア・コトリルはいつになくリラックスしている。制作中、彼女のなかには《Big Crown》の名うてのミュージシャンによるハウス・バンドをバックに従えたシンガー、というイメージが浮かんでいたのではないだろうか(そのイメージはリリース直後の「The Tonight Show Starring Jimmy Fallon」出演で実現している)。
リリースにあたり彼女はビーチ・ボーイズの『Pet Sounds』(1966年)やハリー・ニルソン『The Point!』(1970年)を始め、多くの楽曲をレファレンスとして挙げているけれど、「Second Nature」は、パウフとビーバドゥービーの「death bed (coffee for your head)」(2020年)を思わせるドリーム・ポップやループ的グルーヴの後ろでかすかに聞こえる笑い声がまさしく「Little Pad」だし、霧のなかを彷徨う「Echo」のような、ステレオラブやブロードキャストのようなUKトラッドとエレクトロニカが溶け合った曲もある。アルバム・トータルの世界を構築すべく、曲間も練り上げられていて、全11曲でひとつの曲を表現しているような印象さえある。
スライド・ギターがレイドバックしたムードを誘う「Nomad」において彼女は、愛とは距離であり、その空白を思うものだと定義していて、そのスピリットはこのアルバム全体を貫いている。人間関係を築く上での空白をあえて描くこと、あったかもしれない人間関係の行方に思いを巡らせること──それは彼女がニューヨーク北部に移り住んだことも関係しているのだろう。複雑なレトリックや構成よりも、愛と距離についての考察を基調にした、自然に発せられた言葉とそのグルーヴ感を誠実に活かそうとしている印象がある。自身の不安症状やうつ症状の経験に基づいた「Just For Today」に象徴される『Sling』での痛々しいほどの姿はここにはない。人間関係の曖昧さをシンプルな言葉で歌い、そして、今作のなかでも彼女は揺れ動いているようにみえる。センシュアルなスウィート・ソウル「Juna」での「あなたは私を知っている/ そして私もあなたを知っているかもしれない」という簡潔なコーラスが余計胸に迫る。
ムスタファが呼びかけ7月4日にロンドンで開催されたガザとスーダンのベネフィット・イヴェントにキング・クルールやヤシーン・ベイらとともに参加。自身も2023年10月Bandcampで国境なき医師団のためのベネフィット曲をリリースするなど、コトリルはソーシャルな活動もごく自然に取り組んでいる。ヴァシュティ・バニヤンやジュディ・シルのカヴァーをSNSにアップし、新しい曲や気になる曲を更新し続ける。音楽そのもので言いたいことのすべてを伝えたいという理由から、近頃発表された「Juna」を含む数曲を除いてミュージック・ヴィデオを作らない姿勢を貫き、自分らしくあることに怖がらなくていい、ということをクレイロは表明し続けてきた。
したがって今作でしばしば形容されるような “ローファイなベッドルーム・ポップからの脱却”あるいは“大人なクレイロ”という表現は少し違うのでは感じている。新しいフェーズに到達した、その記録であるというのは間違いないのだけれど、お仕着せのイメージを演じているのではない。まるで地方の古書店の隅に眠っていたアナログをひっぱり出したようなサウンドは、決して“レトロ”を追求したのではなく、あくまでeBayで日々アナログをディグしている彼女の“日常”なのだ。
ベッドルーム・ポップの最大の貢献が、すべてを自分でコントロールすること、「私にもできる」と未来のアーティストに思わせることだとするなら、クレイロはいまだ、その期待を引き受けているように思える。ちょっと大げさかもしれないけれど、このアルバムを聴く前と聴いた後では世界が変わって見える。とにかく、圧倒的な肯定と開放感に晴れやかな気持ちになる。彼女と好きな音楽についてとりとめのない会話を続けているような、あらゆるリスナーにそうした感情を抱かせることができることこそ「私の音楽は私だけのものではない」と繰り返すクレイロの才能なのではないだろうか。(駒井憲嗣)
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Text By Kenji Komai