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希望のない人生から“向こう側”へ
ソロ・アルバムを発表したベス・ギボンズ
フジ・ロック・フェスティヴァルで彼女は何を魅せてくれるのか

02 July 2024 | By hiwatt

数年前のある日、当時のガールフレンドと出かけようとしていた。彼女が準備をするのを待っている間、私はポーティスヘッドの『Roseland NYC Live』を観ていた。それを耳にした彼女は怪訝な表情を浮かべながら「凄く嫌な音楽」と言った。私は吹き出してしまったのだが、彼女はアップリフティングなブラック・ミュージックを好んでいたからそう思うだろうし、端的で鋭いコメントだと思った。彼女は英語を認識することができなかったが、歌われている言葉を知った時に好きになったかもしれないし、もっと嫌いになったかもしれない。そんな彼女が、現在の“成熟し過ぎた”ベス・ギボンズの歌と言葉に触れた時、どんな反応を示すのだろう。きっと気に入るんじゃないかな。

イングランド南西部の港町ブリストルは、カリブ系移民が多く降り立ったその土地柄から、人種とカルチャーが混在する街。1990年代初頭、ヒップホップに夢中だった10代の青年、ジェフ・バーロウは《Coach House Studio》でアシスタントをしていた。その時、スタジオではマッシブ・アタックが後に歴史的傑作となる『Blue Lines』をレコーディングしていた。ジェフは彼らに見出され、バンドからAKAIのサンプラーS1000と、ATARIのPCを授かる。トラックメイクを始めたジェフは、自分のトラックに歌とメロディを乗せる歌い手を探していた。そして出会ったのがベス・ギボンズ。そこに、元々ベスと交流のあったエイドリアン・アトリーが加入。それぞれ7、8歳の年齢差があり、ジェフとエイドリアンに至っては15歳もの差があるが、その世代感のギャップが特異性となり、エイドリアンが鳴らす燻銀のギターと、シネマティックなサンプルを多用するジェフのトラックと、ベスの儚く悲哀に満ちた歌唱はケミストリーを起こし、ビッグバン級の爆発となった。1994年のファースト・アルバム『Dummy』は、トリップホップ、及びブリストル・サウンドの代表作となり、音楽史に刻まれた。

バンドの成り立ちはここまでとして、ポーティスヘッドにどんなイメージを持っているだろうか。バンドをGoogleで検索した時に、真っ先にサジェストされる形容詞は“暗い”。他には妖艶、鬱屈、退廃的といったイメージがあるだろうが、そのメロディと歌詞を担っていたのはベス・ギボンズ。バンドのサウンドに呼応する、彼女の破滅的でサディスティックなラブソングや、鬱屈とした内面を吐露する歌は、誰しもが持つインモラルな側面と共鳴したのだと思う。そこから、彼女はある種の女性ミュージシャン像のメルクマールとなり、バンドの偽史的レトロスペクティヴと共に、ラナ・デル・レイや椎名林檎などの後進に影響を与えている。

ただ、ベスは何かを背負いはしないし、極めて個人的であり続けている。そしてそれは現在も変わらない。ミニマルな制作体制、というよりプロデューサーとなる男性と一対一でクリエイトするスタイルや、寡作であることも、極度に内向的だと言われるパーソナリティがその作家性に反映されているのかもしれない。

1997年、セカンド・アルバム『Portishead』を発表。生演奏をサンプリングした挑戦的なサウンドと、ベスのヴォーカリストとして著しい進化を見せた作品で、個人的には大好きな作品だが、『Dummy』での衝撃的なブレイクスルーのバイアスもあり、当時は酷評も多かった。そんなツアーの疲弊や、ジェフの創作スランプもあり、バンドは活動休止となった。

バンドのシーズンオフの2002年に、ベスは『Out of Season』を発表。この作品のパートナーは、元トーク・トークのベーシストとしても知られるラスティン・マンことポール・ウェブ。ベスは、ポーティスヘッド結成前夜にポールとリー・ハリス(同じく元トーク・トークのドラマーで、本作にも参加)による、.O.rangの1994年作『Herd of Instinct』に参加しており、彼とは旧知の仲であった。サウンドとしてはこの作品の要素も受け継がれているが、彼女のルーツにあるニーナ・シモンやビリー・ホリデイ、ニック・ドレイクらの影響が色濃く、ストリングスとホーンによる室内楽が彩る、ジャジーなフォークアルバム。当時のプレスリリースにて、「悲しい曲が好きなの」と自身が証言するように、やはりメランコリックなメロディで満ちている。だが、「メランコリックに聴こえないハッピーな曲を書くのは本当に難しい」と言いつつも、前半には彼女のユーモラスな側面が見え隠れし、トム・ウェイツに似たものを感じさせた。歌詞も、本質的な愛や、恋愛についての哲学的なもの、タイトルにも通じる季節への言及がある。“旬を過ぎた”とも捉えられるタイトルであるが、ブレイクの余波が落ち着き、40歳を目前にした彼女の半生を綴ったものでもある。

そして、バンドが10年半の休眠から目覚め、ポーティスヘッドは2008年に『Third』を発表。“3”にまつわるモチーフが多く、“3倍返しの法則”を説くカポエラのマスターによるポルトガル語の説教から始まるこの作品。以前の作風から大きく変化し、メンバー3人の個性が分離/独立しているように感じるが、要所で補完し合うような、“三位一体”を究極的に表現している。象徴的なのが「Machine Gun」だ。ジェフが銃弾の嵐の如く暴力的なビートを鳴らし続ける一方で、エイドリアンはそよ風のようなシマーなシンセを鳴らし、ベスは消え入るような声で歌っている。それだけで空虚な戦場を想起させ、3人の表現だけで完璧にストーリーテリングを展開している。バンド表現のピークだ。絶望の矢印を自分に向け、自省しながらも、絶望の根源をこの世の不条理に見い出し、立ち上がろうとする、ベスのポーティスヘッドでの詞世界の最終形態でもある。2014年に4作目の噂が立ったが、これがバンドの最後の作品であり続けるべきだとも思う。

また、このアルバムは、“然るべき時”に集結する、細い糸で繋がった3人の付かず離れずな後の関係性の暗示にも思える。

その後、2008年は『Third』を携え欧米を周り、2011年から2015年にかけてはフェスを中心に精力的にライブを行った。再びバンドは活動を休止したが、2016年、ブリグジットで揺れるイギリスに悲劇が起こる。EU離脱に反対していたジョー・コックス下院議員が暗殺されたのだ。バンドは、その1週間後にABBAの「SOS」のカヴァーを公開。原曲の文脈を再定義し、ジョー・コックス氏の「We have far more in common than which divides us (私たちには、私たちを分断する違いよりもはるかに多くの共通点があります)」という言葉と共に、EU残留を訴えた。

結果的に、彼らの願いは実らなかったが、再び然るべき時に集結することになる。2022年5月、ウクライナ紛争を受け、ウクライナ支援のためのチャリティライブを敢行し、7年ぶりに5曲のみを演奏。映像を通してではあるが、よりソリッドになったパフォーマンスを確認した。これから未来永劫、彼らが再集結する動機が生まれなければいいのだが、いつかフェアウェルツアーでもいいので日本にも来て欲しいところだ。

話をベスの活動に戻すが、彼女は2019年にはポーランド放送交響楽団とコラボし、ポーランド語での歌唱を披露。クラシックへの接近を見せた。そして、決定的なカムバックとなったのが2022年、ケンドリック・ラマーの「Mother I Sober」への客演。

「I wish I was somebody / Anybody but myself (誰かになれたらいいと願う。私以外なら誰でもいいから)」

ケンドリックが自身の後悔や過ちを独白するこの曲は、ベスの詞世界と強く結びつき、ある意味でヒップホップのゴッドマザーとして、自己嫌悪や妬み嫉み、変身願望、向上心が同居する言葉を添えている。

2023年には、アフガニスタンの少女たちによるThe Miraculous Love Kidsと共に、ジョイ・ディヴィジョン「Atmosphere」とデヴィッド・ボウイ「Heroes」のマッシュアップも披露している。

2013年に、ベス・ギボンズが《Domino Records》からリリースするソロアルバムを制作中と噂になったが、それが10年もかかるとは誰が予想しただろうか。ソロとしては22年ぶりとなる、ベス・ギボンズの最新作『Lives Outgrown』は足掛け10年の作品。今作のパートナーに選ばれたのは、シミアン・モバイル・ディスコのメンバーで、プロデューサーのジェイムス・フォード。彼の著名な仕事といえば、アークティック・モンキーズのプロデュースだろう。特に、直近の2作品はスペース・エイジ的なレトロスペクティヴを纏った、ある種のトリップホップに共通する精神性を持った作品であり、昨年のジェイムス・エリス・フォード名義のソロ作品も同様のサウンドを展開していた。従って、レトロなオーケストレーションやチェンバー音楽を得意とし、深いデプスと広い音場を持ったモダンなミキシングを兼ね備える彼の起用は最適なのだ。また、共同プロデューサーとして、『Out of Season』に引き続きリー・ハリスも参加している。

ベスはこの作品を「母性、不安、更年期、そして多くの別れ」からインスピレーションを得たものだと語っている。

「希望のない人生がどんなものか理解した。それは私が感じたことのない悲しみ。以前は自分の未来を変える力があったけど、今の自分の身体は無理が効かない。人々が死んでいる。若い頃は結末も、どのように展開していくかも分からない。私たちはこれを乗り越えられる、良くなるだろうと思う。いくつかの結末は受け入れがたいものだが、今、私は向こう側へ抜け出した。私はただ勇気を出さなければならない」

近年の2つの大きな戦争が、この作品の完成を急がせたのは間違いないだろう。死生観の揺らぎ、求める愛の変質、受動的な愛、人生の指針。彼女の示す指針は、地球規模の話もあれば、どこか身近に感じるものもある。それはグチグチと諭される母親の説教に似ているのだと思う。その時は鬱陶しいものでしかなかった説教は、生きている内に全て正しかったと振り返ることになる。より近い感覚としては、親身になってくれる叔父/叔母といったところか。なんにしたって、若者こそが潜り込み、読み解くべき作品だ。

当時からのファンには語り種になっているが、ポーティスヘッドは日本で演奏をしたことがない。1998年のドタキャン以降、ジェフ・バーロウもソロライブをキャンセルしたりと、とにかく相性が悪い。そんな四半世紀もの雪辱を果たすチャンスが今年到来する。《フジ・ロック・フェスティバル2024》7月27日(土)のグリーン・ステージで、遂にベス・ギボンズがパフォーマンスするのだ。一昨年のポーティスヘッドのパフォーマンスも、最近のテレビでのパフォーマンスなどを観ても決して衰えておらず、マイクスタンドに縋り付いて歌うその姿は健在だ。最新作を中心に、『Out of Season』やポーティスヘッドの楽曲もいくつか披露されるだろう。ステージに立つその時まで予断は許されないが、きっと伝説となるにちがいない。(hiwatt)

Photo by Netti Habel

Text By hiwatt


FUJI ROCK FESTIVAL 2024(画像をクリックするとページに飛べます)



(ベス・ギボンズは7月27日(土)のグリーンステージに出演)


Beth Gibbons

『Lives Outgrown』

LABEL : Domino / Beatink
RELEASE DATE : 2024.5.17
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Beatink / Tower Records / HMV / Amazon / Apple Music

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