映画『異人たち』
孤独な魂たちの対話、曖昧な普遍性の獲得
都市に浮かぶ幽霊。この映画の主人公、アンドリュー・スコット演じるアダムは都市の空に張り付く幽霊のようにファースト・ショットで撮られる。アンドリュー・ヘイ監督がこの映画で成し遂げたのは、まさに孤独な幽霊たちを現代に甦らせ、叶わなかった対話を、親密さを獲得したこと。
主人公のアダムはロンドンに住む中年のシナリオライター。ある日、郊外にある実家に赴くと、そこには幼いときに事故でこの世を去った両親の姿があった。彼はそこから、死んだ両親に会うことができる実家に通い詰めることになるが、同時に、同じマンションに住む青年(ハリー)とも親密な関係になっていく。
Ⓒ2023 20th Century Studios. All Rights Reserved. Ⓒ2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.1988年に大林宣彦が映画化した山田太一の小説『異人たちとの夏』の2度目の映画化として注目された本作は、アンドリュー・ヘイによる非常にパーソナルな物語と、原作の持つ普遍性が、理想的な形で混ざり合っていると言えるだろう。この話が持つ、怪談性と官能性の再現度も非常に高い。それらは、明確さと曖昧さのバランスとも言える。
この映画における明確さは、登場人物たちの流す涙である。大林宣彦『異人たちとの夏』と本作の違いの一つは、前者がノスタルジーにもう一度浸かり決別することで、一人の男が成長する物語だったのに対して、後者が主人公の設定をクィアに改変し、世代間の価値観の相違と対話というテーマを添えたことである。大林版と比べても、役者を4人に絞り、ロケーションも限定した非常にミニマルな作劇ではあるのだが、それはむしろ一対一の対話に集中させるためにも思えるのだ。大林版の両親との邂逅はノスタルジーだったが、本作における両親との邂逅は本当の自分として向き合う前に亡くなってしまう両親と今一度対面するという意味合いを持っている。アダムと両親が叶わなかった会話を叶え、流した涙は切実なものであるだろう。過去の大林版と違い、本作が決してストレートな成長物語ではないことに、この物語が再映画化された価値を見る。
Ⓒ2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.しかし、最も興味深かったのはその普遍的な曖昧さだ。この映画における普遍性とは、都市の孤独だろう。冒頭でも記した通り、この映画は最初から主人公のアダムを都市の亡霊として映すことに成功している。彼にとって、死者との対話は自らの長年の孤独と向き合うことにも繋がる。
生者の世界と死者の世界。冒頭から印象的に現れる人物の反射は、二つの世界が区切られていながらも隣り合わせであることを示している。エレベーターの鏡やガラス板に反射する彼らの姿は、その二つの世界の境界線の曖昧さを示している。
ここは大林版との最も異なる点であるのだが、本作は二つの世界が溶け合うことに向かっていく。それは非常に官能的で、酩酊的な形で。同じマンションに住む孤独な人間とのひとときの親密な関係の描写は原作から引き継いでいるが、本作では世代の違う青年ハリーとのラヴストーリーが綴られる。アダムの世界と両親の世界が隣り合わせの違う世界だったことと同じように、アダムとハリーも違う世界の住人同士の、ただし共通点があるもの同士の対峙であるわけだが、2人の関係性は溶け合う方向に向かっていく。クラブを映したシーンとその周りの編集の、境が曖昧になるようなシームレスな錯綜はどうだろうか。2人の男が星になるラストは、原作に対しても、新たな解釈を付与しているように思える。
Ⓒ2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.アダムの思い出の曲、彼のアイデンティティに宿る楽曲として流れているであろう、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド、ブラー、ペット・ショップ・ボーイズのラヴソングの数々はどれも印象的に響く。これらの印象的な音楽も、主人公を過去に引き留めるもの、というよりは、過去と現在を曖昧にするために流されているようにも思える。曲から感じるノスタルジーと切実さは、アダムが行き来する二つの世界を結びつけるものでもあるからだ。
そもそも普遍という言葉ほど曖昧さを湛えているものもないかもしれない。しかし、その中でも、対話の可能性を信じることは決して間違いではないはずだ。その先で溶け合ってしまうことは恐ろしくもあり、同時に魅力的でもあるだろう。そう、危険で魅力的な場所に映画は向かっていく。それは曖昧な実態をなんとか感じようとするような、肌の接触、親密さ、つまりはこの映画の官能性とも切り離せない。アンドリュー・ヘイは本作で時間の感覚を曖昧にし、孤独な幽霊、魂たちに話す機会を、人肌を求める機会を与えた。消えかけるような実態に、もう一度チャンスを。
「君の愛はまだ死んでないと言ってくれ/もう一度チャンスをくれ、君を満足させるから」
―ペット・ショップ・ボーイズ「Always On My Mind」
(市川タツキ)
Text By Tatsuki Ichikawa
『異人たち』
絶賛公開中
Ⓒ2023 20th Century Studios. All Rights Reserved.
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
公式サイト
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