「80年代初頭、僕らはジャズに行った、ラテン音楽に走ったとか叩かれたけど、結果として時代を先取りしていた」
ア・サートゥン・レシオ12年ぶりの新作リリース
1979年にデビューし、ニュー・オーダーと共にマンチェスターにおけるポスト・パンク・シーンを牽引したア・サートゥン・レシオ(ACR)。かの《Factory》が初めてリリースしたシングルがACRの「All Night Party」であり、そのクールなジャズ・ファンク・サウンドはコールド・ファンクと呼ばれ、全英のダンス・フロアを沸かせた。それから40年の月日が流れ、ACRが再びフロントラインへと帰還した。《Soul Jazz》レーベルによる再評価の高まりを経て、《Mute》と契約。12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ACR Loco』を発表した。現在のUKジャズ・シーンともリンクするサウンドはACRが80年代に打ち立てたものが源流だとも言っていい。ポスト・パンク~ニュー・ウェイヴ、マッドチェスターを通過し、現在へとつながった新作について、ギター/トランペットのマーティン・モスクロップに話を聞いた。
(インタビュー・文/油納将志 British Culture in Japan 編集長)
Interview with Martin Moscrop
——2018年に《Mute》から重要曲を収めたコンピレーション『acr:set』をリリースしました。79年に《Factory》と契約して「All Night Party」をリリースした頃には、《Mute》からリリースするなんてまったく想像もつかなかったことと思います。あなたたちは、その《Factory》から《A&M》、ロブ・グレットンの《Robs Records》、そしてリミックス盤だけですが《Creation》からもリリースしていますよね。英国のインディーを象徴するレーベルを渡り歩いてきましたが、それぞれの時期に関してどんな状況にあったか、どういう思いを抱いていたのかを教えてもらえますか。
Martin Moscrop(以下、M):ひとつ忘れているレーベルがある。《Soul Jazz》だ。我々が音楽シーンに復帰する上でとても重要な役割を果たしたレーベルだよ。長い話になるけれど、とにかくひとつずつ説明していこう。79年に《Factory》からシングル「All Night Party」をリリースした時、我々は既に《Mute》レーベルの大ファンだった。《Mute》が初めてリリースした音楽はレーベル・オーナーのダニエル・ミラーのユニット、ザ・ノーマルの「Warm Leatherette」という曲で、その曲が大好きだったんだ。パンク・シーンのすぐ後の時代だったが、「Warm Leatherette」はエレクトロニックな曲で、同時に荒々しくてパンクっぽくもあった。だから確かに、我々が《Mute》からリリースするなんて、79年にはまったく想像もつかなかったことだよ。だから素敵なサプライズだった。
ア・サートゥン・レイシオ 1979年頃。 グレイス・ジョーンズとコラボしたトーキング・ヘッズの「Houses in Motion」の未発表カヴァー(1980年に録音された音源を新たにアビーロード・スタジオでマスタリング)。プロデュースはマーティン・ハネット。──約40年越しのサプライズですね。
M:そう、その長い間、我々は英国のインディー・シーンを象徴するレーベルを渡り歩いてきた。まずは《Factory》だったが、86年にアルバム『Force』をリリースした後は、別の道を行くことになったんだ。友好的な決別だったよ。《Factory》とはやり切ったと思ったし、レーベルもそう思っていた。バンドとして、我々は別の、もっとメジャーなレーベルに移って、露出を高めたらどうなるかと考えていたんだ。結局のところ、あまり良い成果は見られなかったけれどね。
──その後に契約したのはメジャーの《A&M》。あなたたちが移籍した89年に《ポリドール》に買収されたことも契約のきっかけと言えそうですね。
M:うん。《A&M》とは良いアルバムを2枚作った。1枚目の『Good Together』はとても商業的なアルバムだった。《Factory》では、後期の作品の何枚かは自分たちでプロデュースも手がけていたが、このアルバムではペット・ショップ・ボーイズとの仕事で知られるジュリアン・メンデルソーンとタッグを組んだ。アルバムの曲はとても商業的な曲だけど、それでもあまり成功しなかった。メジャー・レーベルから作品を出す時は、レーベルがバックについている必要があるんだけど、《A&M》は我々のことをよく理解していなかったんだ。そこで、《A&M》からもらった前払い金を使って、自分たちのスタジオを作った。《A&M》で制作した1枚目のアルバムには莫大な費用がかかったけど、2枚目のアルバムはまったく費用がかからなかったんだ。2枚目の『acr:mcr』は、自分たちでプロデュースも手がけて、こちらの方が結果もずっと良い出来だったよ。その後、《A&M》と別れて、ニュー・オーダーのマネージャーだったロブがレーベルを立ち上げたばかりだったので、彼のレーベルから音楽をリリースしないかに誘われた。そこでロブのレーベルと契約し、ふたつの良いアルバムを作った。それが『Change The Station』と『Up In Downsville』だ。
──ロブが99年に亡くならなければ、もしかするとあなたたちは今もそこからリリースしていたかもしれませんね。
M:そうかもね。《Creation》はロブのレーベルと契約中に、ACRのバック・カタログをリリースしてくれて、リミックス・アルバムもリリースしてくれた。どちらかというと自分たちはあまり関わっていなかったけど、《Creation》から音楽をリリースするのは良い経験になったね。だが、ロブの死後、我々は5年ほど姿を消した。それから、偉大なアンドリュー・ウェザーオールが我々の大ファンで、我々もファンだったが、彼がACRの「Waterline」を『Nine O’Clock Drop』というコンピレーションに収録してくれたんだ。ザ・ノーマルの「Warm Leatherette」も一緒にね。すると、多くの人が急にACRに興味を持つようになって、ロンドンの《Soul Jazz》が12インチと7インチ、『Early』というコンピレーション・アルバムを作ってくれただけでなく、アルバムのリイシューも手がけてくれたんだ。《Soul Jazz》は自分たちのリスナー層をジャズのオーディエンスにまで拡張してくれ、そのおかげで再び我々に脚光が集まり、ロンドンでギグをしてほしいという依頼まできた。そこで5年ぶりくらいのギグをやったんだが、それがとても楽しかったから、またギグをやるようになって。
──《Soul Jazz》のリリースとリイシューはリアルタイムで店頭に並んでいるのを目にしましたが、発掘というか、ちょうど忘れられかけていたあなたたちをポスト・パンク〜ニュー・ウェイヴという文脈ではなく、ジャズやファンクとしての再解釈という見せ方でうまくリリースしていましたよね。
M:まさに我々が活動を再開したのは《Soul Jazz》のおかげだよ。それから《Les Disques Du Crepuscule》や《Factory》のリイシューを手がけている《LTM》からもリイシューを何作か出した。その後、ニュー・オーダーのマネージャーのひとりだったアンディ・ロビンソンにある晩会ったときに、「ACRは今、どこのレーベルに所属しているんだ?」と聞かれて。「今はどこにも所属していない」と答えたんだ。するとアンディーは「《Mute》のダニエル・ミラーを紹介しようか?」と言ってくれた。アンディーに「それはいい!」と言うと、ダニエルから連絡が来て、ロンドンに来て、《Mute》との契約について会って話せないかということになったんだ。ただ、当時の《Mute》との契約はバック・カタログのみの契約で、新曲の契約ではなかった。だけど、バック・カタログをリリースしている時期に、我々は《Mute》の依頼で、バリー・アダムソンのリワークをしていたんだよ。リミックスみたいなものだけど、我々が実際に演奏しているから少し違うかな。
──それは2018年にリリースされた『Memento Mori』の「I Got Clothes」のこと?
M:そう。そのリワークされた曲がラジオで流れると、さらに多くの人からリワークの依頼をもらうようになって。だから我々はスタジオへ通い、ほかのアーティストたちのために作曲するようなこともしていた。それがかなり良い出来になっていたから、自分たちのための音楽も作ってみようか、ということになって、レコーディングを始めたんだ。そして、アルバムの完成が間近になった時に、《Mute》に「とても良いアルバムが出来上がったので、《Mute》からリリースしたいから聴いてほしい」と伝えた。そうやって、12年ぶりのアルバム『ACR Loco』がリリースされたんだよ。
──《Mute》からのオリジナル・アルバムとしては、その『ACR Loco』が初となります。前作からは12年の月日が流れましたが、その間に音楽はCDやLPからストリーミングで聴くスタイルへと移行しました。そうした音楽への接点の変化を含めて、この12年間をあなたたちはどのように過ごしてきたんでしょうか?
M:この12年間はヨーロッパやUKでギグをやってきた。その中にはフェスティヴァルも含まれるし、今年の1月に東京で行われた“Greatest Hits Set”のようなライヴも含まれる。東京でのライヴに新曲はなく、すべては過去の曲だった。ACRには40年以上の歴史と音楽があるから、毎週セット内容を変えながらギグをやっていけば、人々に楽しんでもらうことができる。たくさん曲があるからね。だからずっとギグをやっていたよ。新しい音楽を作ろうという考えはなかったね、その頃は。そういう思考回路じゃなかったんだと思う。
──それはどうしてですか?
M:ロブが亡くなった時に、今後、仕事として音楽をやるということを諦めていたからなんだ。それ以来、ジェズを除いてみんな、音楽以外のフルタイムの仕事をするようになった。普段は仕事で忙しくて、バンドの活動は週末にやるくらいで、例えば週末にバルセロナのフェスに行って出演するとか、週末にロンドンに行ってライヴをやるという感じだった。だからバンド活動は、パートタイムの趣味みたいなものになっていたんだよ。新しい音楽を作ろうと思ったのは、《Mute》とバック・カタログの契約を結んでからだ。
──《Mute》との契約の話がなければ、今もフルタイムの仕事をしていたと思いますか?
M:ああ、そうだろうね、きっと。でも、我々に12年のギャップがあったのは良いことだと思っている。なぜなら、今回のアルバムには、ACRの40年以上もの音楽的DNAが詰まっているし、ACRの未来も詰まっているからだ。40年前や30年前、20年前のACRの音楽には聴こえないだろう?
──あなたの今の発言を裏付けるように、『ACR Loco』は昨年リリースされたボックスセット『ACR:BOX』に収められた過去の音源に触発されたそうですね。
M:う〜ん、いつもは過去の音源から意図的に刺激を受けたりしないから、これは説明しにくい。過去の音源とは、自分の魂の一部であり、自分自身の一部であるから。だがミュージシャンは、一度アルバムを制作して完成させたら、それは過去の作品であり、もう二度とその音楽を聴かないものなんだよ。アルバムを作っているときは、そのアルバムをスタジオで何度も聴いているから、完成した時にはもう聴きたくないと思っている。だからそのアルバムは仕舞って、自分の中でお蔵入りになる。もう二度と聴かない。『ACR:BOX』をまとめている時は、昔のACRの音源をいろいろと聴いて、どうやってまとめるかを考えなければいけなかった。『ACR:BOX』は時系列順に並べた。つまり、ACRのコンピレーション・アルバムに収録されなかったシングルのA面とB面、そして、25の未発表曲を時系列順に収録したんだ。曲たちを時系列順に並べていた時、バンドの成長の過程が音として聴こえてきた。それは我々が今までにない新鮮な体験だったよ。自分たちの成長を客観的に見るのは興味深かった。それが新しいアルバムの音楽制作に無意識的な影響を与えたんだろうね。
──なるほど。具体的に過去の音源からどのような刺激を受けたのでしょうか?
M:『ACR Loco』には「Yo Yo Gi」という曲があるんだけど、この曲タイトルは君たちならばすぐにわかるはずだよね。もちろん東京の街の名前から取ったんだけど、この曲はアルバム『acr: mcr』に収録されている「Spirit Dance」という曲に影響されている。また、5曲目の「Always In Love」は、「I Won’t Stop Loving You」という昔のACRの曲に影響を受けている。でも、それはまったく意図したわけではない。ボックスセットをまとめていたタイミングで『ACR Loco』の曲作りを始めたから、自分たちのバック・カタログに刺激を受けるのは自然なことだよ。
──その「Yo Yo Gi」は東京で生活している人には耳なじみのあるJRのアナウンスから始まります。今年1月の来日公演の際に耳にしたのだと思いますが、32年ぶりの東京でたくさんの刺激を受けたのではないでしょうか?
M:そう、あのアナウンスは東京の電車のもので、それをiPhoneに録音して曲に使ったんだ。2019年は我々の40周年で、素晴らしい40周年ツアーを行っていて、そのラストが東京だったんだ。だからアルバムを仕上げている時もまだ高揚感が強く残っていたし、東京の記憶がまだ鮮明だったから、アルバムに東京の要素を入れなければいけないと思った。だから、曲の最初に聴こえる、電車のアナウンスという東京の要素を加え、「Yo Yo Gi」というタイトルにした。それまでこの曲は「Cowbell」という名が付けられていたんだよ(笑)。
──10曲目の「Taxi Guy」を聴いて思い浮かべたのがシャバカ・ハッチングスでした。でも、すぐにシャバカがやっていることはあなたたちが80年代にもやっていたと気付いたんです。そこにACRと現在のジャズ・シーンの結びつきを見た思いがしたのですが、現在のジャズ・シーンについてはどう捉えていますか?
M:現在のUKジャズ・シーンは本当に素晴らしいね。最近では、ザ・コメット・イズ・カミングなどの若手がたくさんロンドンから登場している。シャバカのコメットが新曲を出すと、早く次に何が出るのかが楽しみで仕方がない。彼らの大ファンなんだよ。その一方で私は少しジェラシーを感じる。なぜ、マンチェスターの若者たちはそういうことをしないのだろう、と。彼らはなぜ、ACRが80年代初期にやったようなことをしないのだろう、と思うんだ。それは、何がお洒落かということを気にせずに、新しいことをやってみよう、自分たちの枠を超えてみよう、という姿勢だ。ロンドンにいる若手ミュージシャンたちはそういう考えで活動していて、素晴らしい活躍をしている。でも、我々が同じスタンスで活動していた80年代初頭は、プレスにはあまり良く思われなかったんだ。「ACRはバカな方向に行き、ジャズに行った」とか、「ACRはラテン音楽に走った」、「ジャズ・ファンクをやっている」などと叩かれたものだ(笑)。でも、それが好きでハマっていた音楽だったんだ。だからある意味、我々が当時そういうことをしたのは、結果として時代を先取りしていたということになるね。「Taxi Guy」はジャイルス・ピーターソンがさっそくラジオでオンエアしてくれたんだ。とても光栄だよ。
──ジャイルスが「Taxi Guy」を選んでかけたということが、現在のジャズ・シーンとあなたたちのサウンドが地続きであることを物語っていますね。そのプレスには良く思われなかった「Shack Up」と、マッドチェスターの時期にリリースされた「The Big E」があなたたちの代表曲として挙げられると思います。このふたつの曲はどちらもマンチェスターが大きく動いていたタイミングでリリースされました。あなたたちとジョイ・ディヴィジョン、そして《Factory》が80年代に向けて台頭しようとしていたタイミング、そしてマッドチェスターです。このふたつのムーヴメントを、あなたたちはジョイ・ディヴィジョンとニュー・オーダーと共に支えてきました。2020年の今、このふたつのムーヴメントをどのように捉えていますか?
M:「Shack Up」をレコーディングして頃は、とてもエキサイティングな時期だった。「All Night Party」を聴いてから、「Shack Up」を聴くと、この2曲はまったく違った作品だということがわかる。ドナルド(・ジョンソン)がドラマーとして加わり、バンドのダイナミクスが大きく変わり、「Shack Up」のような曲ができるようになったんだ。私とサイモン(・トッピング)は学校で昔使っていた、ホコリをかぶったトランペットを引っ張り出してきて使うことにしたんだ。そのトランペットの音が最初に入った曲が「Shack Up」だった。その後のACRの曲の多くにはトランペットの音が入り、ACRのシグネチャー・サウンドとなったからおもしろいよね。コンサートを数多くこなして、レコードを作るという繰り返しだったんだけど、とても刺激的で学ぶことも多かった時代だよ。
──80年代末のマッドチェスターは、すでにベテラン・バンドとしてシーンに存在感を示しましたね。
M:そうだね。「The Big E」を収めた『Good Together』の後、1990年に『acr: mcr』をリリースした。エレクトロニックでハウス寄りのアルバムで、私のお気に入りのアルバムのひとつだよ。その前にも「Acid to Ecstasy」というトラックをED209名義でリリースしていて、それはマンチェスターから生まれた初めてのアシッド・ハウスの曲のひとつとなっている。ED209は、私とドナルド(・ジョンソン)と、当時ACRのローディーだったもうひとりの友人、デイヴ・ローフのグループ名だよ。新しいことが起こる時期はとにかく刺激的で。先ほど話したロンドンのジャズ・シーンとまったく同じことだよ。当時のACRも先を見て、過去の出来事を真似するのではなく、シーンを引率して、革新したいと思っていたんだ。
──その『acr:mcr』に収められている「Won’t stop loving you」は、「The Big E」を再録ヴァージョンでデニス・ジョンソンをフィーチャーしています。その“Won’t stop loving you”というフレーズは今となっては、惜しくも急逝したデニスに向けられたようなフレーズとなってしまいましたね。彼女と初めて出会ったときのこと、また彼女の魅力について語ってもらえますか?
M:デニスと初めて出会ったときは、今話したED209の「Acid to Ecstasy」を作った頃だ。デイヴとデニスは恋人同士だったので、デイヴが「Acid to Ecstasy」でデニスに歌ってもらうことにしたんだ。その時に私とドナルドは、初めてデニスに会った。デイヴは《Dun For Money》というレーベルを運営していて、私はそのレーベルのバンド、アシュリー・アンド・ジャクソンのプロデュースを手がけていて、その彼らのアルバムにバック・ヴォーカルとしてデニスに参加してもらったんだ。だから私はその時点ですでにデニスと二度、一緒に仕事をしていたことになる。
プライマル・スクリーム『Screamadelica』などにも参加したデニス・ジョンソン。今年7月27日に57歳の若さで亡くなった。(Photo by Pete Smith)──デニスにはその縁でACRにもオファーしたんですね。
M:そう、その通り。デニスに『acr: mcr』でも歌ってくれないかと頼んだという流れだ。徐々に親交を深めていったんだよ。今回のアルバムでは、ドナルドがデニスにスタジオに来て歌ってくれないかと打診したんだが、彼女は「今は少し忙しいから、順番に待って貰わないといけないわ」と言って、即座にイエスとは言ってくれなかった(笑)。でも、幸運なことに、彼女は最終的にイエスと言ってくれたよ。
──シングルになった「Berlin」で、あのソウルフルなヴォーカルを聴かせてくれます。
M:本当に素晴らしい歌声だ。彼女とは1990年から一緒に仕事をしているから30年もの付き合いになる。もう彼女に会えないなんて、あまりに寂しいことだよ。今回の新しいアルバムで彼女と一緒にレコーディングできたことは非常に幸運なことだった。
──10月には遺作となる彼女のソロ・アルバムもリリースされますね。楽しみに待ちたいと思います。さて、アートワークに関して気になっていたことを聞かせてください。「All Night Party」など最初期はピーター・サヴィルが手がけていましたが、後にジョンソン・パナスがメインで手がけるようになりました。彼らもカリマなどを手がけていましたが、Factoryといえばピーター・サヴィルなので気になったのです。
M:ジョンソン・パナスは、現在はトレヴァー・ジョンソンのことになる。最初は、トレヴァー・ジョンソンとトニー・パナスのふたりがやっていたけれど、トニーは亡くなってしまったんだ。トレヴァーは昔から我々の良き友人で、彼も《Factory》のアートワークをたくさん手がけてきた。サヴィルは《Factory》の初期の作品を手がけていたけれど、彼はあまり信用できない人だったから(笑)、《Factory》に所属していたバンドたちは他の人にアートワークを任せたかったんだ。そこでトレヴァーも《Factory》で起用されることになったというわけ。トレヴァーを初めて起用したのはACRだったんじゃないかな。1984年にリリースされたシングル「Life’s A Scream」以来、ずっと我々のスリーブを手がけてくれている。とても長い期間だ。『ACR: BOX』、『acr: set』、『ACR Loco』のアートワークもすべてトレヴァーがやったもので、どれもすばらしいデザインだ。トレヴァーも進化していて、彼が30年前にやったアートワークと同じことをしているわけではない。『ACR Loco』のアートワークも未来的に見えるだろう?
──あなたたちの音楽的スタンスと通じるところがあるのはわかります。最後に、『ACR Loco』を制作していた頃には新型コロナウイルスのことは考えていなかったと思います。意図せず、こうした状況でリリースされることになりましたが、このアルバムが持つ意味合いは変わってきましたか?
M:アルバムには、友だちの重要さについて歌っている「Friends Around Us」や、Black Lives Matterのムーヴメントと合致する「Family」という曲が収録されている。だけど、コロナが起こる前からこの世界にはたくさんの問題が存在していただろう? トランプが世界最大の国で、最強の国の主導権を握った。また、イギリスではボリス・ジョンソン率いる右翼の政府が成立して、トランプがアメリカのリーダーになることの次に最悪の事態となった。さらにあらゆる地域に貧困があり、内戦により国を失った難民がいる。だからコロナが起こる以前から、人々には結束が必要だったんだ。人々には愛情が必要だし、我々は世界の考え方を変える必要があった。アルバムはそんなことを反映している。政治的なアルバムではないが、楽観的なアルバムで、共有することやお互いを大切に思うことについての作品だ。今の人々に必要なのは、そういうものだと思う。楽観的になり、未来について考え、どのようにして物事を変えていけばいいのかというのを考えなければならない。トランプやボリスのような独裁者に我々の世界を支配されてはならない。だからコロナ以前に、我々は様々な問題に直面しているということなんだ。コロナはそれを悪化させたというだけなんだよ。
<了>
A Certain Ratio
ACR Loco
LABEL : Mute / Traffic
RELEASE DATE : 2020.09.25
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Tower Records / HMV / Amazon / iTunes
Text By Masashi Yuno