ミニマリズムの中に響く声
ノッティンガム出身のパンク・デュオ、スリーフォード・モッズの魅力の一端は間違いなくジェイソン・ウィリアムソンのイラだちながらもどこか愛嬌があるような声が担っている。スタジアムあるいはフットボールの試合が映る店の席で、選手に向かってヤジを飛ばすかのような声。その声は辛辣で不機嫌ではあるものの、突き放すような冷たさも大きな怒りで完全に否定するような響きもなく、どうしてこうなっちまったんだと嘆く逆説的な愛すら感じてしまいそうなところがあって、思わず耳をそばだててしまう。
それは他のアーティストと共演した場合も同様で、去年のヴァイアグラ・ボーイズのアルバム『Cave World』やアレックス・キャメロンの『Oxy Music』、あるいはオルダス・ハーディングの『Warm Chris』の中で聞かれるウィリアムソンの声はどこか人懐っこい響きを帯びていて楽曲の中のアクセントとしてこの上なく機能していた。この三つのアルバムがどれも素晴らしかったというのもあって余計にそう思うのかもしれないが、これだけ選ばれ、求められるということが彼の声とその声が持つキャラクターの魅力の証明になっているのかもしれない。本作『UK GRIM』においてもジェイソン・ウィリアムソンの声はこの上ない効力を発揮している。ミニマリズムのビートの上で怒りを滲ませそれをぶちまけてもいるが、やはりどこか突き放していないようなそんな響きがあってそこに心地よさみたいなものを感じてしまう。一向に改善されない、負の連鎖が起こり続ける社会に対してつばを吐きかけ、嘆き、自嘲し、哀れみ、憤る。大別すれば“怒り”という一言で終わってしまうのかもしれないが、そこには複雑な感情が溶けていて、それが怒りとなって表層に現れるのだ。
たとえば「Dlwhy」では上ものをそぎ落としたビートに乗せた芝居がかった声で、正しいとされているバンドのDIY的な振る舞いに対してそれは本当に正しい行いなのか? と疑問を投げかける。次々に放たれる辛辣な言葉に何年か前のアイドルズとの間に起こったいさかいのことが頭をよぎるが、その言葉はディスりを超えて無批判の正しさの前で立ち止まり、再び考えることを促していく(良いことだから良いこと、間違っているから間違っていることで終わらせない、そんな他者の声を聞くことは無意識の先鋭化を避けるための効果的な方法なのかもしれない)。スリーフォード・モッズはそのようにして音と言葉で不機嫌に揺れる思考の海に連れて行く。ドライ・クリーニングのヴォーカル、フローレンス・ショウが参加した「Force 10 From Navarone」、パンクとダンスが入り交じる「On the Ground」、80年代のポストパンク・バンドのようなベースラインにピアノがドラマチックに重ねられる「Apart from You」、お馴染みの繰り返しのビートの上で言葉がヤジのように飛び交い、音楽が体を揺り動かしていく。
政治に対する不満、社会に対する不満、コミュニケーションやコミュニティのあり方への不満、スリーフォード・モッズは演説をかます舞台の上のヒーローでは決してない。その言葉は壇上からこちらに投げかけられるものでも啓蒙するためのものでもなく、隣の席から舞台に向かって叫ばれるものなのだ。音にのり好き勝手に叫ばれる言葉たちがその場所にいる人間に刺激を与え、そうしてそれが各々のリアルにあたって返ってくる。『UK GRIM』のこの繰り返しの中に答えはないのかもしれないが、耳に飛び込み心に波風を立てるイラツキがそこらかしこにちりばめられている。(Casanova.S)
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