夏の終わり、冷たい布団のなか
倍音が強調された空間的なピアノのループは、身体を覆う薄い布やうっすら温度を持った空気の層。2つ重なったり耳元に急接近したりを繰り返すヴォーカルは、布のなかで反響する溜め息か、二人交わされる囁き声か。腹の底を揺さぶるようなキックや、鼓膜に直接傷をつけるように粗いギター・ノイズの質感にしても、身体に近い、もとい臓器に近いこれらの音は、ベッドルームからというより布団のなかから直接届けられたようなものだ。強烈な親密さで、うだつの上がらない日常に会釈もなしに急接近し、気づけばわたしたちの時間の一部に成り代わってしまうような音楽。アルバムを通して全く同一のビートが用いられ、BPM60前半で始まったそのリズムは心拍や時計の秒表示と同調していく。ビートが途切れてピアノだけになった瞬間、ふと我にかえって、自分の日常の時間が流れていたのを思いだし周囲の環境に目を向ける。《Pitchfork》でマーク・リチャードソン(Mark Richardson)がウィリアム・バジンスキ『The Disintegration Loops』についてこう書いていた。「静寂が支配し始めると、わたしは周りにあるものを意識し始めた。(中略)なぜわたしたちはここにいるのか、どのように存在しているのか、そしてそれが何を意味するのか」。ふと目を向けた周囲の世界も、このアルバムの音楽も、豊穣に満たされているようでありながらどこか空虚で。整然と均衡を保っているようでありながらどこか脆く不安定で。完璧な空虚さと取り繕われた美しさは、ウェス・アンダーソン映画のように嘘っぽさと余白のなさでもって完全な作品世界をものにしている。ドリンクホルダーのどちらにコーヒーを置こうか悩んだ瞬間から、そのカップを捨ててエレベーターの扉が並行に開く瞬間までがプログラムされているかと錯覚するような、かの映画作家の作品にも似た緊張感がこのアルバムを満たしている。
そうは言っても本作のサウンドは、余白が少なく感じるが音数は少ないし、音の感触そのものもラフでローファイなものだ。空虚と充足を行き来するようなビートを手がけているのは、ティルザの活動初期からタッグを組みつづけているプロデューサー/ソングライターのミカ・レヴィ。一つ一つの音に耳をそばだててみる。19世紀のオートマトンが弾いたように機械的なピアノのループ。ブラシでビニール袋を破いたようなスネア。VHS時代の映像のように粗いポストプロダクションが施されたサウンドは、セピア調であるがノスタルジアを刺激するだけでなく豊かな表情を見せる。例えば「Promises」。右チャンネルのピアノは金属的な倍音を響かせる。ティルザは一行一行を淡々と独白するように、繰り返して確かめるように歌う。ピアノが途切れると、ビートは変わらずテクスチャだけが凶暴に変化。その金属板スネアに地団駄キックは、ビョーク「Jóga」や電気グルーヴ「かっこいいジャンパー」を思い出させるトリップ・ホップ調のもの。「their love」ではセカンド・コーラスからピアノの音色が、突然水中に沈んだ教会にワープしたように、リヴァーブはさらに深く、音程は低く不協和音を含んだものに変化する。浮世離れした音像のなかティルザは「ああ、寂しい、寂しい、寂しい、寂しい、……」と続ける。「Stars」、「2 D I C U V」、「nightmare」のような楽曲では、ミカ・レヴィのソロ作品「One Tear」(2020年『Ruff Dog』収録)や「Liquorice」(2021年『Blue Alibi』収録)を思い出させるノイジーに歪んだギターやベースが聴かれる。マイ・ブラッディ・ヴァレンタインのグライド・ギターの音色のように、アルバム後半に進むにしたがって作品が描く景色はドラッギーなものへ変化していく。
本作の作品世界はとても個人的なもの。断片のような言葉で次々にこぼされていく本音のようなリリックは、瞑想的でドリーミーな音色に馴染んでいる。そして実感するのはティルザもミカ・レヴィも、言葉や声による表現を自覚的にトライしているということ。《Pitchfork》でフィリップ・シャーバーン(Philip Sherburne)が指摘しているように、ティルザは「F22」でわずか7音節のフレーズを7小節に引き伸ばして歌うことで、催眠的な効果を生んでいる。また「he made」や「nightmare」では、「Me there, easy/Bathin’, heated」のように2音の押韻を連ねることで、文の意味よりも不自然だが不思議なニュアンスを優先している。ぽつり、ぽつりと呟くような歌唱や、短いフレーズの反復を多用するうたは、つい吐き出してしまう独り言や溜め息のようだ。「u all the time」での耳元で歌われているような息遣いや、「Stars」でのカットアップされた強迫的な「信じられる、信じられる」という声など、ミカ・レヴィによるヴォーカル処理もまたティルザの豊かな声の表現に一役買っている。
アルバム最初の楽曲「F22」でティルザは、「わたしの世界で、わたしの世界で/見えないんだ、見えないんだ/君の世界で、君の世界で/見たいんだ、見たいんだ」と、あてもなく何かを探すように言葉を繰り返す。またアルバム最後の「nightmare」ではシューゲイズ・ギターの揺らぎにまみれながら、「君の愛をもっと見せて/抱きしめて」、「さあ、もっと手を/君の愛に包まれて/近くにない、純粋な形、わからないもの」と、なおも形のない何かを求めつづけている。Bandcampのキャプションによると、本作の歌詞は現実と想像両方の愛がテーマだそう。愛や空想という劇薬に耽溺しながら、解のない愛に足をとらわれ浮上することができないようだ。聴き手も同じように、どんなに聴きつづけてもこのアルバムは全体像を簡単に掴ませてはくれない。本作はそのサウンド、声、言葉によって、聴き手の内なる空虚や緊張を呼び起こすレコードなのではと思えてくる。本音をこぼしたようなリリックや、溜め息を封入したような音質は、こちらに心の開放を投げかけると同時にちょっぴり窮屈さと不安感も共振させてしまうのだ。
わたしはこれを聴いている間、深いリヴァーブの効いたプロダクションから海底都市で聴くピアノや歌声をイメージしたように、その他にも水のイメージがついてまわっていた。立体的な音像はアートワークのように霧がかってぼやけて聴こえる。単一のビートにおけるピアノやギターの音のバランスの変化で33分間のひと繋ぎのグルーヴを作る構成は、テクスチャの濃淡によって表現される水彩画のよう。このアルバムは蜃気楼のように幽玄な存在として立ち上るだけだが、むせかえるような暑さの夏の日、ベッドに寝そべって果てのない怠惰な時間を過ごすためには心強い音楽かもしれない。夏の暑さで疲れがとれなかった。駐車場で寝ていたらバッテリーが上がっていた。何かしら新しい文脈をひいて文章を書いたり、気の利いた一言とともにリンクをツイートしたりすることに疲れ、筆を置いてもいいと思った。そんなときでもこのアルバムはぼんやりと現れ、はっきりしないことやキビキビしないこと、わたしの本音を肯定してくれた。サプライズ・リリースということで耳目を集めたが、おそらくは「サプライズ」という意図はなく、人間である作り手のバイオリズムに従って発表しただけなのだろう。消費者が勝手にナラティヴを求めているのだ。わたしも予定や計画を立てるのが苦手だけど、夏の午後は特に思考が役にたたない。みんな元気がなくて、コンクリートの斜面は揺らめいて、日差しはこの惑星の半分を白銀色に染めているせいで目を開いているのも面倒だ。しばらく思考をやめて、いっぱいの大人の溜め息が充満してむせそうなオフィスを抜けて、ビルの化粧室でいたずらに時間を費やそう。家に帰れば冷房の効いた部屋、ひとり薄く冷たい布団のなかでこのアルバムを聴こう。部屋の空間に霧状に広がる音と一体になって酩酊していよう。スピーカーに耳をそばだてている間だけ自分のリズムを取り戻せる音楽こそ、すぐれた作品にちがいない。相変わらず残暑がきつそうな秋も、来年の夏も、このアルバムを聴いていたい。そして深く深く音の海に浸ったとき、再び日常に浮上できるために、いまは白く冷たい布団のなかで息継ぎの練習をひとりしていよう。(髙橋翔哉)
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