グローバルなコンピレーションが提示する「100BPM」の美学
英レーベル《Wisdom Teeth》は14年に設立され、もともとはダブステップやUKファンキーの影響を感じさせるサウンドを特徴としていたが、コロナ下になってからはよりオブスキュアな雰囲気が強まり、そのリリースも複雑かつ不定形な色合いを強めていった。そんな変化もあって気になるレーベルだったが、22年末、そこから面白いコンピレーションが発表された。『To Illustrate』と題されたアルバムは、レーベルの主宰であるFacta & K-LONEを筆頭に10組のプロデューサー/DJがトラックを寄せるもの。そして、その中心となるのは“100 BPM”というテンポとのことだ。近年は、レゲトン由来のダンス・ミュージック、ダウンテンポ/トリップホップのリバイバル、ロンドンやマンチェスターのベース・ミュージック……など、世界中で100BPM以下の遅いテンポの音楽が盛り上がっており、このコンピはそういった動きをすくい上げるために制作されたという。
ハウス/テクノの120BPM、ダブステップの140BPMといった有名なテンポに対し、100BPMというのはあまり聞き覚えがないが、このコンセプトは以前からDJたちに共有されていたもののようだ。21年末に、このコンピにも参加しているマンチェスターのHenzoと、《Rent》主宰として知られるスペイン在住のMoscaが音楽メディアの企画で対談を行なっているが、そこではすでにこのBPMが話題に上がっている。Moscaは“100BPMビート”について、90~110BPMを行き来するようなスタイルであり、ダンスホール、レゲトン、あるいはクンビアのようなラテン/カリブ・リズムが中心(これらの音楽において、100BPM前後は主流のテンポ)となるもの。そして、そこにテクノやグライム、ゴムなどと雑多にミックスされたもの……と表現する。これにHenzoは同意し、彼自身がずっと追求してきたスロウなグルーヴがフロアでしだいに受け入れられてきた! と興奮しながら語っている。(*1) この記録を踏まえるなら、『To Illustrate』は、UKやヨーロッパの一部のDJたちに以前から共有されていた身体感覚をより具体的に形にしたものともいえるだろう。加えて、コンピの解説文では“100 BPM”はもはや一地域のものではなく、グローバルに共有されているものなのだ……と主張される。その確信のもとで、マイアミのNick León、ソウルのサラマンダ、名古屋のabentisなど、UK以外のさまざまな地域のプロデューサーによるトラックが収録されることになる。
そんなコンピの楽曲は、基本的にダンスホール/レゲトンの定番リズムであるトレシージョ(デンボウ・リディム)をもとにしている。しかし、一つのリズムを基本としつつも、そのサウンドはNick León「Separation Anxiety」のフューチャリスティックなテクノ・サウンドからサラマンダ「κρήνη της νύμφης」のニューエイジ的なアンビエンスまで、非常に多彩だ。また、リズムの始点を見失いそうになるGlances「Sun Dapple」など、もともとのリズムを拡張するようなポリリズミックなアプローチも印象に残る。その“拡張“の最たるものがマンチェスターのClemency (*2) による「Girl Food」で、ぎこちなく揺らされるリズムのなかパーカッションが小刻みに鳴り、不気味な声がリズムに合ってるのか合ってないのか分からないまま流され続けるという異様なトラックになっている。
こうしたなかで、トレシージョというリズムそのものが持つ拡張性の高さに改めて気づかされる。たとえばスネアの位置一つをとっても、基本となるパターンから1打目・3打目を省略すればより後乗りが強調され、あるいは逆に2打目を省略すれば、よりビートを強く揺さぶる“タメ”が生まれるなど、大まかなグルーヴを保持しながら簡単に変化を生みだせる。Moskaによる説明ではグライム、ゴムなど他ジャンルとの混淆を重視していたが、そうしたミックスが可能となる背景には、こうした拡張性の高いリズム構造があるような気がする。そしてさらに、ここに並んでいる奇妙なトラックを聴いていると、トレシージョにはもとから“いびつ”な感覚があったのではないか……という想像が湧いてくる。付点8分+付点8分+8分のコンビネーションからなるトレシージョのリズムは、16分音符8個を3・3・2で分けたもの、すなわち、弛緩・弛緩・収縮|弛緩・弛緩・収縮……と不均等に伸び縮みするグルーヴが基本となるわけだが、そこには、均等な四つ打ちなどとは異なる “odd”(不均等・変拍子的)な感覚がもとから含まれていたといえるのではないか。一般的にダンスホールやレゲトンはノリの良い、フィジカルなダンス・ミュージックというイメージが強いが(*3)、 Clemencyのトラックなどを聴いていると、そこには“非四つ打ち”的方向から改めて聴き直しの可能性が浮かんでくるように思えてくる。先鋭的なリズム感覚をもったプロデューサーたちがラテン/カリブ・リズムに関心を持っているのは、こうした拡張性・不均等性と無関係ではないのではないか。
もともと、ダブステップ/インダストリアル方向からダンスホールを解釈したThe Bugや、Mr. Mitchによって提示された“テクノ・ダンスホール”、DJ PythonやKelman Duranといったテクノ/IDM系のプロデューサーによるレゲトン解釈など、電子音楽の作り手たちはつねにラテン/カリブ・リズムに惹きつけられてきた。そして、『To Illustrate』は、20年代におけるその最新の地点を記録しているといえるだろう。一方ではレゲトンやアフロビーツといったトレシージョ(あるいはそのヴァリエーション)を用いた音楽が世界的な人気を集めているわけだが、単に“レゲトンが流行っている”という話のレベルを超えたところでダンス・ミュージックの身体感覚が再編成されつつあり、それをもとに刺激的な音楽が生み出されていることをこのコンピは端的に示しているといえる。(吸い雲)
ここで言う“100BPM”的なテンポ感について、MoscaのNTSでのミックス(https://soundcloud.com/deejaymosca/sets/mixes-podcasts)、HenzoのDJプレイの一部(https://www.youtube.com/watch?v=4RkrZnxEwDo&t=1506s&ab_channel=BoilerRoom)、Nick LeónのHomer Radioでのミックス(https://music.apple.com/jp/station/homer-radio-ep-2/ra.1652775582)などが例として分かりやすい。
(*2)
ClemencyはIceboy Violet、Nahi Mittiらと同じクルー、Mutualismの一員でもある。Mutualismについて詳しくは下記記事を参照のこと。(https://turntokyo.com/reviews/nahi-mitti-aisaund-sings/)
(*3)
もちろんそうした側面は大いにあり、「そうした側面と同時に…」と言うことがより重要だと思われる。