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Joanna Sternberg: Then I Try Some More

2019 / Team Love
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フォルムと内省の闇、タイム感の共有という幻想

19 July 2019 | By Shino Okamura

とんでもない才能だ。いや、才能という安易な言葉など使ってはならないだろう。人間はとかく才能などという言葉を用いて芸術作品をコントロールしようとするが、本来、そうした汚い手に塗れるものではない。飼い慣らされるものなどではない。「内省的芸術の場合、作品のフォルムは強調されたかたちで現前し、フォルムの意識は同時に二つのことをする。ひとつには「内容」と無関係の感覚的な快楽をあたえ、またひとつには知性の活性化を促す」と述べたのはスーザン・ソンタグだが、これがあくまで映画であるのを前提とした発言であることを承知した上で、それでもこの現在ニューヨークに暮らす28歳の女性シンガー・ソングライター/ヴィジュアル・アーティストのファースト・アルバムに重ねてみると、明らかに前者ではなく後者……すなわち、知性の活性化を促す内省的表現であることに気づく。というより、主題に対する内省的表現という持って回ったような言い方ではなく、主題=内省そのものと言うべきかもしれない。いずれにせよ、これが“内省”と“フォルム”のズレから生まれるとされる単純な快楽の上に成り立っているものではないことだけはわかる。かつてのダニエル・ジョンストンが、あるいはタイニー・ティムがそうだったように。だから、私はこのアーティストに鬼才とか異才とか異形の、などといったキーワードはつけたくない。

ブライト・アイズのコナー・オバーストが現在開催中のUSツアーのオープニング・アクトに起用したことでも話題を集めている彼女だが、そのコナーのレーベルである《Team Love》からリリースされたこの作品は、天然であることを美徳とするような解釈から、内省とフォルムを個別に解放させてくれるようなアルバムだ。5歳でピアノを習い始め、11歳でギターとベース演奏を独学で身につけ、マンハッタンにある音楽とアート専門のラガーディア高校を経て《マネス音楽大学》に奨学金で入学。古典的な倍音について徹底的に学ぶ一方で、《ニュースクール大学》のジャズ&コンテンポラリー・ミュージックにおいてダブルベースの演奏で学位を取得するなど精力的に音楽のAtoZを体得したジョアンナは、しかしながら一方で集中して部屋に閉じこもって漫画やイラストを描いたりしていたこともあったという。24歳で一人様々な楽器を使って人前で歌い始めたという彼女は、今に至るまで、音楽とアートをどちらかにウェイトを置くわけでも、相互作用を試みるわけでもなくマイペースに活動してきた。彼女のHPではイラスト作品も多く公開されている。

そんなジョアンナの歌は実にシンプルだ。ほんの少しのアコースティック・ギター、ピアノ、そして本人の歌、基本はそれだけ。そして無理のないメロディの譜割と音節にのった言葉。それはまさしく内省的ではなく内省、情緒的ではなく情緒そのもので、ハリー・スミスが編纂監修し、スミソニアン・フォークウェイズから1997年に6枚組でCD化された『Anthology of American Folk Music』に代表される、何者の持ち物でもないただ誰かが日常の中でハミングして完成された歌でしかないことの尊さを思い出させてくれる。架空のペンギンの目線から歌詞が綴られた「Pimba」などはまるで日本の唱歌「浜辺の歌」や「椰子の実」のよう。世界規模でフォークロア音楽の根っこが一つである仮説を唱えたくなるようなとてもおおらかな音楽家であることに気づかせてくれる重要な曲だ。

メロディや形式のみならず、テンポもまたフォルムをつかさどる要素であるとするなら、この人のタイム感は確かに形式をハミでたものになるのかもしれない。だが、だからといってこの人にしかわからない時間軸というような間の抜けた表現で片付けるべきでもなく、絶対音感やリズム感とは一体そもそもなんなのか? 形式って? というみな薄々感づいている誰かが決めた暫定的原点への疑問に我々を立ち返らせてしまう。あるいは、そうやって一つの同じタイム感を共有することの安心と、くだらなさに気づかされてしまうのだ。

内省、内省と書いたものの、果たしてこれが内省(表現)なのかどうかはわからない。だが、フォルムと内省の入れ子状態の関係、タイム感を共有(強制)させられることの是非を再考させられるこのアルバムは、一方で絶対的な様式の一つであるゴスペルを想起させるものでもある。内省とフォルムの関係を再考し、タイム感の共有を見直す際に、そこでどうしたってぶつかってしまう歴史への忠誠という厄介なものへの対応。彼女がそこにに苛まれている、のかどうかはわからないが、ジョアンナの祖母がイディッシュ系の第一人者的歌手であるFraydele Oysherであるという事実を知った時の妙な納得に、私自身、今はほんの少しアンビバレントな思いを抱いている。けれど、聴き手にこうした思いをさせる作品が、たとえおそろしくラコニックであったとしても、開けてはまた現れる永遠に続く重い扉を一つ一つ開けていくだろうことをおそらくジョアンナはどこかで気づいているのかもしれない。しかし、そんな妄想も単なる幻想だろうか。(岡村詩野)

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