スポットライトをあっちに向けて
タコスを食べるときに顔を傾ける向きなど、各種メディアを通じてパーソナルな情報を提供しているにもかかわらず、アイゼイア・ラシャドはどこか捉えどころのないアーティストだ。友人からそのように言われるまで自覚したことがなかったという話が、余計にその印象を強める。彼の音楽も、そんな感じ。テネシー州チャタヌーガ出身の彼は本作『The House Is Burning』において、同じく南部出身のスリー・6・マフィアをサンプルしたり、グッディー・モブのリリックを一部引用したりと、自らの音楽的ルーツを示すような配役・レファレンスを随所に見せる。一方で、その器用さをもって、リル・ウージー・ヴァートを迎えた「From The Garden」でスタッカート調のフロウを披露してみたり、本人も言うようにR&B調の楽曲を織り交ぜてみたりして(“Zay, you smooth like a R&B song”—「Headshots (4r Da Locals)」より)、幅広いファンに訴求する。タイトルからブラック・ライヴズ・マター運動に関連した曲かと予想して「Don’t Shoot」を聴けば、どうやら別の意味も込められていそうだ。
こうした作品のレビューは書き方に困る。仕方ないからインプットを増やそうと思って《The Nadeska Show》における彼のインタビューを観ると、ゼイの捉えどころのなさの理由が少し解ったような気がした。他のアーティストから常に影響を受けているという彼は、「Wat U Sed」ではフューチャーとヤング・サグ、「Score」ではリアーナを意識したのだという。ウクレレのようにも聞こえるギターが心地よい「Claymore」も、当然のように客演に招いたスミノの曲と考えていたそうだ。制作段階では他からの影響を意識的に遮断するというアーティストも多いなかにあって、この姿勢は新鮮に感じられる。
思うに、ゼイはラッパーでありながら裏方的な立ち位置を楽しんでいるのではなかろうか。そういえば、彼はいつかコミックを書いて、そのサウンドトラックを自身で担当するのが夢だという(参考)。コミックでいえば、スポットライトが当たるべきは作者でなく、登場人物だ。少年時代に内向的だったという彼(参考)は、自らの作品において、あえて自分からスポットライトを外すことを楽しんでいるようにも見える。
そんなゼイが、今作の制作にあたって前作までと大きく変えた点が2つある。1つは、今作で「Score」を手がけたプロデューサー=Kenny Beatsのスタジオ(通称“The Cave”)の壁にあるネオンのサイン“DON’T OVERTHINK SHIT”(考えすぎるな)を実行に移し、大部分をフリースタイルでレコーディングしたこと。そしてもう1つは、それを素面でやってのけたことだ。
『The House Is Burning』(家が燃えている)というタイトルについて、アイゼイアは自らの体験を表すものだと説明している。2016年のデビュー・アルバム『The Sun’s Tirade』が高い評価を獲得し、順風満帆に見えたゼイだが、9時からジェムソンのボトルを開けるほどのアルコール依存に苦しみ一文無しになり、TDEのCEO=トップの勧めでリハビリ施設に入った。『Cilvia Demo』収録の「Heavenly Father」で「なんでいつも酔ってる時に電話してくるんだ?」と語りかけた相手である父と同じ、アルコール依存に。だが、今や3児の父となった彼は、自身の父親のように家族のもとを離れるわけにはいかない。リハビリ期間にコミックを重宝したという彼は、同じく父親の問題を抱える『Mister Miracle』の主人公に自身を重ね合わせたという。
そうした背景とタイトルを踏まえれば、本作は最後の2曲を聴かせるためにリリースされたと考えることもできよう。表題曲「THIB」はまさに「家が燃えている」状態であり、「HB2U」(“Happy Birthday 2 U”の頭文字)は新しい自分の誕生を祝福する歌とも捉えられはしないだろうか。彼が肉体をもって伝える、人間は何度でもやり直せるというメッセージは、捉えどころのない本作において数少ない確かなものだ。作品全体がどこか意気揚々と聞こえるとしたら、それはそのためなのかもしれない。
ただ、である。これだけ壮大なストーリーが、アルバムの随所にちりばめられてはいるものの、基本的に最後の2曲のみに集約されている点が、実はこの作品を特徴づけるものとも考えられはしないだろうか。すると、捉えどころがないという印象は依然として残る。シボレーなんかを流しながらこのアルバムを聴いて彼のカメレオンのようなデリバリーを堪能したら最高に楽しいであろうことと、先述の明確に意図されたメッセージを除いては。でも、それでいいのだと思う。スポットライトを無理にゼイに向けず彼の術中にはまることが、彼の作品を楽しむ一番の方法だろうから。
ふと、『Cilvia Demo』のカバー・アートを思い出す。同作のタイトル案と思しきいくつかの言葉に取り消し線が引かれている、あのカバー・アートを。アルコールと手間のかかる作詞作業に取り消し線を引いて、ゼイは今作をリリースした。人生を好転させた今回の決断に取り消し線を引くことはないと信じているけれども、彼が次の作品をリリースする頃には、何か新しい取り消し線が引かれているのだろうな。(奧田翔)
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