ベッカ・マンカリが鳴らし、描く「橋と扉」
本作は「橋と扉」のようなレコードだ。「橋と扉」とは社会学者ゲオルク・ジンメルによるエッセイのタイトルである。そこではこのようなことが書かれている。橋は川の両岸を結びつけるが、それは両岸がかつて分断されていた状態を前提とする。扉は区切られ限定的に統一された空間と、拘束されない無限定的な世界とをつなぐ境界を設定し、扉が開かれることは人間がある安定的で閉じられた部分から、あらゆる世界へと出発する=あらゆる世界と結びつくことの可能性を表象している。結合と分離が分かちがたく同時に存在すること。それは、ある事象(群)に対する認識を構成する両義性である。
ナッシュヴィルを拠点とするシンガーソングライター、ベッカ・マンカリが《Captured Tracks》とサイン後にリリースしたセカンド・アルバムたる本作は、過去の自分、自分以外の人間と自身の結合と分離を描いたアルバムであり、その意味で本作はジンメルが述べたような「橋と扉」的な作品としてある。
マンカリは本作を通貫するテーマについて、同性愛者としての自身のセクシュアリティと、家族に対するカミングアウトの経験や思考が深く関わっていると述べている。それが本作で象徴的に示されるのはリード・シングルたる「First Time」だろう。心地よさを覚えるインディー・ポップ・サウンドにのって歌われる「私は覚えている/初めて父が私を抱きしめなかった時のことを」という一文から始まるこの曲は、自身のセクシュアリティをマンカリが父に打ち明けた時の感情を描いている。上述の歌詞が示唆する通り、その告白は厳格なキリスト教福音派の父による反発を避けがたいものであり、そこから現在までの約10年間はその出来事と分かち難い辛さとともにあったという。しかし本曲でマンカリは、2018年に共にヨーロッパ・ツアーを回った友人でもあるジュリアン・ベイカー(彼女自身も同性愛者である)をバッキング・ボーカルに迎え、それに支えられながら、自身の経験をなんとか絞り出すように歌いきる。それは、家族からの反発やそれに伴う何事にも耐えがたいような苦しみを経験した過去の自分を遡及的に現在の視点から受けいれ、肯定することでもあるだろう。
さらに本作は「寛容性」をテーマとしたレコードであるともマンカリはいう。最終曲の「フォーギブネス」はまさに本作のテーマをまとめるアルバムの結びにふさわしい一曲となっており、そこで歌われる「寛容性」とは、長年にわたって怒り、疑い、悩んできた過去の自分自身を認め、愛することとしてある。決して簡単なプロセス、思考の在り方ではない。しかしながらここでは自分に向けれられた「寛容性」が、セクシャル・マイノリティとして生きる人はもちろん、何かしらの現状への生きづらさや苦しさを感じている人にとり、それぞれが自分にあった道を行くための道しるべやエンパワメントとなるようなものとして、自身の音楽を通じて伝わってくれればいいとマンカリは言う。過去の自分を認めることで外の世界へ足を踏み出していこうとする彼女の気丈さ、今同じような経験をしている自分以外の誰かを抱擁するような優しさが本作を貫いている。
マンカリは本作に至るまでにアラバマ・シェイクスのブリタニー・ハワードと彼女の妻ジェシー・ラフサーとのアメリカーナ・トリオ「バミューダ・トライアングル」としても活動し数曲を発表してきた。そして2017年にはソロ作品として、こちらもアメリカーナ色の強いデビュー・アルバム『グッド・ウーマン』を発表している。本作のサウンドを一聴すれば、サウンド面における過去作からの飛躍は明らかである。前作でのアメリカーナ的意匠は減退し、彼女自身のルーツでもあるドリーミーなインディー・ロックとエレクトロニカ・サウンドがバランスよく混交/配置され、全編を通じて展開していく。それによってメロディの強度が担保されながら、非常に耳馴染みの良い音像が構築されている。そのサウンドは深刻で、統一的なテーマ性を有した本作品が、特定のコミュニティに閉じることなく、より多くのリスナーの耳へと届くポップネスを保持することを可能にしている。
本作では現在を共に生きるあなたとわたしの、過去の私と今の私の、結合と分裂のプロセスがマンカリ自身の生活と経験を題材としながら描くことが試みられている。過去の自己を含めた「他者」理解とは結合と分離を常に繰り返していく(それは時に併存する)過程である。それは一面的な拒絶でも、押付でもなく、退行でもない。過去の自分を顧み、今の自分を認め次の一歩を刻むためにも扉は一度閉じられ、また開く。それが繰り返される。私があなたを受け入れるために、あなたに私を受け入れてもらうために、結合と分離の両義性の象徴として橋は架けられる。そのような「橋と扉」としてこのレコードは過去の私と今の私を、今のあなたと今の私を、結び、分け、合わせ、離す。(尾野泰幸)
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