人生とは悦びを分かち合うパーティ
多幸感にみち、性愛の悦楽を大胆に謳歌する『The Age of Pleasure』。それがジャネール・モネイの最新作だ。ところが、サウンドだけ聴けば楽天的ともいえる音楽作品の背景には、じつは2020年初頭に本格化したパンデミックと、世界中のひとびとの苦難の経験があった。そのことを私は《Rolling Stone》のモネイへの取材とインタヴューで知った。
モネイはパンデミック以前からアフロポップ、カリビアン・ミュージック、ハウスやヒップホップが革新的にミックスされる「Everyday People」という世界を旅するパーティに参加していたが、パンデミックによってこのパーティが開催場所を失ってしまう。そこでモネイは、ロサンゼルスに所有する《ワンダラウンド・ウェスト(Wondaland West)》の敷地を提供することにした。モネイやワンダーらがアトランタで設立したレーベル兼アーティスト集団が元はビジネス的理由で移転してきた《ワンダラウンド・ウェスト》は、スタジオ、居住区、熱帯植物に囲まれたプールを兼ね備えていた。
そこが、モネイ曰く“ディアスポリックでパン・アフリカン”な「Everyday People」というパーティの会場になり、新しいコミュニティを育み、そうした経験が『The Age of Pleasure』の重要なインスピレーションになったという。端的にいえば、モネイと共同プロデューサーのネイト・ワンダー、ナナ・クワベナ、センセイ・ブエノらが中心になって、レゲエ、ダンスホール、ラヴァーズ・ロック、ハウス、アマピアノ、トラップ、ラップから成る多幸感にあふれた音の万華鏡を作り出したのは、“ディアスポリックでパン・アフリカン”なパーティに集まるひとびとを盛り上げ、踊らせ、悦びを分かち合うためだった。すなわち、そうしたパーティが直接的に生み出した音楽なのだ。
だから、32分あまりの本作は、全編がDJミックスのようにシームレスに展開していく。滑り出しの1曲めから3曲めでは、フェラ・クティの息子、シェウン・クティとエジプト80のホーン・セクションが効果的に用いられている。そこではアフロビートとアフロポップが同居し、2曲めではモネイがラップしたかと思うと、ミュージカル風のヴォーカルで緩急を作り、気づくとBPM120程度のハウスの3曲めに突入している。さらに4曲めでは、いま国内のクラブ・カルチャーにもじわじわと浸透しつつある南アフリカ発祥のダンス・ミュージック、アマピアノの要となるログ・ドラムの音が鳴り響く。目まぐるしい展開だ。しかも1曲のなかでいろんな要素を重ね合わせている。だが、私の知るかぎりではいまのところ、本作のこうした大胆な混合への「文化盗用」という批判は見かけていない。
モネイは、《Rolling Stone》の取材にたいして、「南アフリカ、ガーナ、ナイジェリア、カリブ海、アトランタ、LA、シカゴ出身の友人たちやコミュニティからインスパイアされた」と語り、さらに本作の根幹を成す“Pleasure=悦び”の源泉に触れる。「私たちみんなが一緒にいるのを見るのは、私たちの黒人らしさ、私たちがお互いに抱いた愛情を見ること。(中略)私はディアスポラのひとびとがお互いに話し合うのが大好き」。
パンデミックという地球規模の困難を経て、 “ディアスポリックでパン・アフリカン”なコミュニティとひとびととの地球規模の親密な交流が生まれ、そして時と場所をこえていく本作の音楽が生まれた。参加しているアーティストも多彩だ。ブロンクスに生まれ、アクラ、アトランタ、ニュージャージーで育ったガーナ系アメリカ人のシンガー、アマレイ、ナイジェリアのアフロビーツ・シーンの人気者、シーケイといった新世代。
さらに、80年代にデビューしたジャマイカの女性ディージェーの第一人者、シスター・ナンシー(「Water Slide」では彼女の代表曲/リディム「Bam Bam」をサンプリングしている)に加え、なんと、批評家のグレッグ・テイトが、「超世俗的ファンクの四大巨頭」としてベティ・デイヴィス、チャカ・カーン、ミシェル・ンデゲオチェロとともに名前を挙げるグレイス・ジョーンズもいる。モネイはかねてから、ファッションを通じて伝統的で保守的な女性性からの解放を試みてきたこのジャマイカ系アメリカ人の先達に影響を受けてきた。しかも、この先人ふたりは、大々的に持ち上げられるのではなく、スキット風の楽曲に軽やかにあらわれ、さらりと語り、シャウトしているのが粋でいい。これもまた彼/彼女たちのパーティの流儀なのだろう。
冒頭で書いたように、この作品の“Pleasure=悦び”にはセクシャルな快楽や悦楽の意味合いがふくまれている。というか、むしろ、全編でその悦び、愛の寛容さを高らかに謳いあげている。そのことは、「Water Slide」や「Lipstick Lover」といった魅惑的なレゲエ、そしてその開放的なパーティの様子をとらえたMVの映像が直接的に伝えている。が、モネイがここまで来るのはけっして平坦で楽な道ではなかった。
サード・アルバム『Dirty Computer』(2018年)のリリースの際、モネイが、相手の性のあり方やセクシャリティに関係なく人を愛するパンセクシュアル(全性愛)であると表明したことが話題となった。その表明には、そうとうの覚悟が必要だったことは想像に難くない。1985年にアメリカのカンザス州カンザス・シティの労働者階級の家庭に生まれたモネイは、中西部の保守的なキリスト教の環境で育った黒人女性がクィアであることを公表することがどれほどリスキーで勇気がいる行為かという主旨の話を、ボディ・ポジティヴを積極的に打ち出してきたラッパー/シンガー、リゾとの対談で率直に語っている。
そもそもモネイのシンガー/ミュージシャンとしての本格的なキャリアは、アウトキャストのビッグ・ボーイに見出され、彼らのアルバム『Idlewild』(2006年)で歌声を披露するところから始まった。2007年には、ショーン・パフィ・コムズ(パフ・ダディ)の《バッド・ボーイ》からEP『Metropolis: The Chase Suite』を発表。私が最初にモネイをはっきり認識したのは「Tightrope」(2010年)だった。あの疾走するファンクと、タキシード姿で披露するジェイムズ・ブラウン直系の華麗なダンスに一発で虜になった。その初期のタキシード姿は、勤勉に働く清掃員の母とゴミ収集車の運転手の父の下に生まれた労働者階級の誇りと深く結びついていた。さらに、その曲が収録されたファースト『The ArchAndroid』(2010年)とセカンド『The Electric Lady』(2013年)では、アフロ・フューチャリズムに根差した、階級闘争やロマンスなどの要素を盛り込んだサイエンス・フィクションを展開したのだった。
そしてジャネール・モネイの“悦びの時代”の到来──対立と憎悪が渦巻くうんざりする現実を前にして、こんなテーマを掲げる気迫のこもった楽観主義が、私は嫌いではない。いや、それこそが、私がこのアルバムを愛する理由のひとつだ。じっさいに『The Age of Pleasure』というタイトルにふさわしい多彩なリズムが交錯し、心躍るサウンドが鳴っている。ときに人生はパーティに喩えられるが、本作はその前向きな意味をじつに見事に伝えているのだ。(二木信)
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