寡黙な展開、雄弁な情緒性
オーバーダビング一切なし、全編リアルタイムで録音したフリー・インプロヴィゼーション作品。2021年7月27日の午後に即興で録音、その日の夜にBandcampで自ら公開という早業でリリースされた(Bandcampのみ)。
結論を先に書いてしまうと、これはもしかするとギター即興作品の新しい時代を切り開く、とんでもないアルバムかもしれない。技巧的は技巧的だ。というより、誰もが一度は経験したことのある子供の頃の工作にヒントを得たような奏法が垣間みえ、そうした創作性が感じられる部分はそのアイデアの発端を考えるだけで楽しい。先日観た岡田の即興演奏で彼はステンレスの泡立て器の把手部分をフレットに当てて音を鳴らしていたが、ここでの使用機材は、マイク2本、アコースティック・ギター、12弦アコースティック・ギターに加え、鉛筆、菜箸、木片……とやはり創意工夫に溢れた道具。もちろん、ただワークショップ的に、あるいは思いつきでそうした楽器ではない“ツール”を手に取ったわけではなく、これを使えばどういう音が鳴るのか、弦がどういう振動をするのかを想定した上で使用しているのだろう。演奏自体は即興でも、そこから聞こえてくる響きにはすべて必然がある。
アルバムは弦が弾かれる金属的な音の響きから始まる。大正琴のように聞こえるのは旋律が極めて日本固有のものだからだろうか。曲のカウントはあるものの一発録りなので明確な繋ぎ目による区分は特になく、だからふと気がつくと次第に旋律の傾向が推移している。ハープのようにも聞こえる3曲目あたりになるとバロック音楽の器楽演奏の領域にまで達しているようにも感じるが、一方で英国トラッド・フォークの伝統のしなやかな奏法もチラリ。フレーズやリフを丁寧に組み合わせていく規則性、リズミカルな感触も自然と姿を表すし、ハーモニックな響きには心地よさも宿っている。6曲目と7曲目の冒頭はほぼ同じだが、7曲目に長尺で応用させていく発展性・構成も面白い。いや、6曲目と7曲目の関係だけではない。このアルバムは1曲目から実にさりげなく聴き手の歩調をリードしていくのだ。
だから、そう、この作品の構造上のテーマはきっと“展開”、あるいは“発展”。もっと言ってしまえば“ストーリー”だ。一般的なギター(に限らないが)・インプロの特徴でもある、1曲ごとのテクニカルな表現性に頼るのではなく、肉体が本音で求める変化に、ある種の筋書きとたっぷりの叙情性、少々のユーモアで応えたような。そう考えると、鉛筆、菜箸、木片といった道具の使い方は、《Nonesuch》のエクスプローラー・シリーズのアフリカ音楽編に倣ったかのように実に邪気がない。
音の風景がガラリと変わるのは、透明感とアンビエンスが後退した9〜11曲目。弦の摩擦から生じるキーンと耳をつんざくノイズと、濁りのある中域とが混在し、それまでのコンフォタブルな空気とは逆さまの不協と不穏を伝えていく。道具の使い方もやや挑発的で荒っぽい。だが、この9〜11曲目で聴かせる、ある種古典的とも言えるノイズ・ギタリストとしての作法に一定の抵抗を見せるかのように、ラストの12、13曲目では再びハーモニックな響きを取り戻す。もちろん、それまでの演奏による熱量がそこに加わっているので、美しく心地よいタッチながらも序盤〜前半のような慎重な肌理の細かさとは違い、躍動的なエネルギーと、終盤であることを感じさせるささやかな晴れやかさを纏った展開だ。冒頭とエンディングは確かに呼応しているようだが、時間経過によるフィジカルな息吹の変化が一つの物語を作り上げている。確かに一聴すると展開さえも寡黙な、奥ゆかしい作品かもしれない。だが、まるで小説でも読んでいるような雄弁な情緒性が最後には身体に残る。極端に言えば、家を離れ、様々な出会いや危機、哀感に触れては、旅を終えてまた家に戻るような、例えばそんなある種のストーリー・プロットがここにあると言ってもいいかもしれない。いや、実は13曲目で終わりではないような……つまりは一定のフォーミュラへの信頼も懐疑も込められた厳しさもあり……。これが夏の午後にふと思いついて録音した即興作品であることがまこと信じられない。
様々な道具を用いての創意工夫のあるギター・アルバムであり、ギター・インプロの新たな領域を広げた作品であると同時に、数多のメランコリーを孕んだ物語的な作品でもある。メロディやリフだけに頼らず、そしてもちろん歌詞は一切ない中で、だが決してエピキュリアン的な官能に陥ることもなく、即興で豊かな物語を綴っていく。確かにフレッド・フリス、ヘンリー・カイザー、秋山徹次、内橋和久……様々な先達が浮かぶだろう。けれど、優河、ROTH BART BARONなど歌ものアーティストのバッキングをつとめ、自らもストイックにヴォーカル・アルバムでの可能性を諦めない、そして、ボブ・ディランやビル・フリゼールら大先輩から、ブレイク・ミルズやサム・ゲンデルら同時代の同志たちまで絶えず他者からの刺激を受け続ける岡田拓郎でしかない。ギターは、ポップ・ミュージックは、演奏は、曲は、音楽は……一体どこまで自由になれるのだろうか。(岡村詩野)
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