不確実さの中に、まだいること
優れたアルバムや映画は時間を溶かす、といつだって思っている。逆に言えば時間を溶かすような、アルバムや映画は魅力的である。その魅力的な作品は、時間芸術であるがゆえに、エンディングに向けて進んでいく運命にありながら、終わりの気配を微塵も感じさせないのだ。というより一方向に進んでいないというのが正確かもしれない。そういう作品はまさに時間という人々を縛る不可避的なものからの唯一の逃亡手段として機能することだろう。人々の、「時間を忘れてしまうような」という凡庸かもしれないが、美しくシンプルな感想はこの上ない褒め言葉であると私は信じている。
超越性、というよりもむしろ交わり、それか重なり合いと表現したいようなその感覚から、過去や未来が、決定されることはないという煌めきやロマンティシズム、そして、時間の不明瞭な感覚、体験が生み出される。そのことは、ダニエル・シュミット『デ ジャ ヴュ(原題:Jenatsch)』(1988年)の時間往来、あるいはリチャード・リンクレイター『ビフォア・サンセット』(2004年)の同時に存在する瞬間の話が、未来と過去の曖昧さを、“明確”に語ってくれたことで証明されただろう。それらは、過去も未来も手放さず、何も確定されない不確実さの中で生きることを選ぶ人間たちの映画である。
恋愛の記憶や官能的な交わりを綴ったR&B作品にも、同じような、その感覚を拾うことがある。そこに存在する無数の、過去の音楽や恋愛の記憶、訪れるかもしれない未来への期待は、人々の想像と与え合いを決して邪魔はしない。それは、例えばシャーデーからブラッド・オレンジの作品に至るまで内包されていたもののようにも思える。ある記憶とある記憶がふとした時に重なり、思いもよらない未来が生み出されること。そのことによって、空間に複数の瞬間が、時間が散らばること。そういう不確実性の美しき煌めき。エリカ・デ・カシエールの新作『Still』を聞いてみても、まさに同じような煌めきを感じた。
今の彼女はすっかり時の人である。NewJeansの作曲をはじめ、変わりゆくポップ・ミュージックのサウンドを、ひしひしと予感させた先導者。今回のアルバム『Still』のジャケットはパパラッチに追われる自らの姿をイメージしたらしい。その中で、あくまで飄々としながら、自らのスタンスや趣味性がブレないところは、クールという一言で片付けられてしまうかもしれない。ただ同時に、彼女は美しき不確実性の中に佇む表現者でもある。
不確実性のイメージは、まずもってサウンドに表れる。思えば、2019年のファースト・アルバム『Essentials』は、今聞いてみても、R&Bとクラブ・ミュージックを内省的かつミニマリスティックに折衷させた先鋭的な作品であるが、全体に幽玄な感覚が漂っている。それはおそらく、歌声そのものの実態のない感じが手伝っているのだろう。エリカ・デ・カシエールの歌声は、彼女が昔から聴いていたというディスティニーズ・チャイルドやアリーヤの輪郭がはっきりした歌声よりも、むしろ囁くような、透明感のある歌声であり、絶妙な掴みづらさを湛えている。同じように、時にはっきりしたり、しなかったりするメロディーも揺らいでおり、全体のアトモスフェリックな感触に働いている。あらゆるところに、かつてのR&Bやソウル、ハウス・ミュージックの記憶を散りばめながら、それらは曖昧な境界線の中で、交わり、溶け合っている。目の前のこととかつての記憶を交差しながら歌う彼女の、どうにも掴みきれないような実体と共に。
確かにその時に比べて本作は、いくらかポップスとしての輪郭がはっきりしており、私たちの視界に映る彼女の姿も、より現実味のあるものになったのかもしれない。しかし、彼女は未だ不確実さの中にいる。『Still』は、ドラムや弦楽器の生音を主としたサウンドのテクスチャーと、機械的な装飾、サンプリングの両立の中に、従来のフォーミュラに支配されないような瞬間をチャーミングに散りばめている。アフロビーツ調のアップテンポからゆったりしたバラードまでの距離は短く、感情の抑揚は静かな激しさを湛えており、次の展開を予感させないようなハズしと誘惑に溢れている。
彼女のパーティーに招かれる「Right This Way」の入りの違和感や、「The Princess」のような曲の後に、「ice」のような曲が来ることの軽快さ。後半はしっとりとした時間も多く見られるが、壮大に登場する「Ex‐Girlfriend」のような変則的なナンバーも仕込まれている。Shygirlが参加したこの曲は、その名の通り官能的な“元カノ”についての歌だが、電話のベルに不確実な未来を期待する様と、過去に囚われる姿が入り乱れる。失恋について歌う、ブラッド・オレンジが参加した「Twice」の、揺らぐようなメロディーの中で起こるヴォーカルの重なり合いはどうだろうか。彼女の掴みづらい声に誘導されながら、境界を曖昧にするようなサウンドは波のように溶けて揺れながら、複数の瞬間を同時に存在させ、未来を創造(想像)する。
不確実さの中にいることを、彼女は選んだ。数々の瞬間を散りばめ、交わらせながら。彼女は自分をアーティストと括られることにも抵抗があるらしい。その中で、上昇するような最終曲「Someone」は、自らの可能性を祝福しているかのようにも聞こえる。彼女は不確実さを愛しているのか。否定などできないだろう。そのことに、とても元気をもらえるし、そういうものが可能性の種を撒き散らしているのだとしたら、それは呆れるほどにクールなことだ。(市川タツキ)