シドニーの晴天を突き抜ける、
健やかで焦点のぼやけたサイケデリア
ここ10年間のインディー・シーンにおいて、オージーサイケがその存在感を飛躍的に高めてきたのは言うまでもない。Tame Impalaを筆頭に、PondやKing Gizzard&The Lizard Wizardなどのスターが輩出された。また、Psychedelic Porn CrumpetsやMethyl Ethelという、サイケデリックを下地にした音楽ジャンルをより酩酊度の高いサウンドへ再構築するバンドまで現れた。前者はストーナー・ロックを、後者はドリーム・ポップを換骨奪胎した。
そんなオージー・サイケ・シーンに新風を吹かせる4人組がシドニーから現れた。彼らの名はThe Lazy Eyes。2018年にハイスクールを卒業し、活動を本格化させた彼らの歩みの記録が、本作『SongBook』である。
『SongBook』に通底するのは、顔を突き合わせたセッションの快楽を追求する彼らの愚直な態度だ。このアルバムは純粋なサイケデリック・ロックのアルバムでありながら、その態度によって古めかしさを拒否している。そしてそれは、サイケデリック体験を巡る音楽の変遷を辿ることによって、単純なサウンド以上の意味を持ち始めるのだ。
つまり、ドラッグにおけるトリップ体験への接近を聴覚的に目指す試みから始まったサイケデリック・ロックの歴史を顧みれば、サイケデリック・ロックがその形を留めずにジャンル間を渡り歩くのは当然の帰結である。サイケデリックはあくまで「目的」であり、そこまでの道程となる音楽の呼び名はなんだっていい。酩酊しきった身体を表現した「トランス」という言葉が、一つのジャンルとして市民権を得ていることは、サイケデリック体験とその周辺にある音楽を巡る僕たちの根底にある意識の表れだ。
その点においてThe Lazy Eyesの愚直な態度、セッションにおける快楽を健やかに追求する姿勢には、鮮やかな裏切りの美学まで感じる。深く陶酔させてくれるだけの余地を、このジャンルはまだセッションの快楽の中に残していたのだ。そう気づかせてくれる。
『Songbook』では、同じフレーズがオクターブや音色の変化を伴ってユニゾンする場面が何度もある。(あくまで私のカウントでは)アルバムの半分の曲で、この手法が用いられている。6曲目「Starting Over」の後半1分は2本のファズギターが同じフレーズを反復させているだけだし、その次の7曲目「Fuzz Jam」冒頭の印象的なベースのリフを、後半に2本のギターが横から入ってきて強引にユニゾンする展開には心を掴まれる。
サイケデリック・ロックにおいて、この手法自体に新規性は無いかもしれない。しかしその昇天するような展開には、ヒートアップしきったセッション特有の、うなされるような激しい酩酊状態を想像せずにはいられない。シークバーが進むにつれてセッションは過激になり、彼らの焦点は深いファズとフェイザーのエフェクトによって歪められていく。
かくして彼らの健やかなセッションへの欲望は、ブラーな状態のままシドニーから世界へ突き抜けて行くのだ。出来ることなら、ここ日本でも彼らのセッションを生で感じてみたい。(風間一慶)
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