Review

小池喬: さばげー

2021 / 7e.p.
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“空白地帯”へ色を塗る

22 October 2021 | By Dreamy Deka

小池喬は愛知県瀬戸市を拠点に活動するシンガーソングライターである。そう書いたところで愛知県瀬戸市という土地がどこにあるのか、どんな街なのか、思い浮かぶ人はほとんどいないだろう。瀬戸市と同じく“愛知県の名古屋ではない街” に住む筆者が他県の人に自分の街を紹介する時は、“名古屋から1時間くらいのなんにもない街なんですけどねへへへ”などと言ってお茶を濁す。それがただ相手の頭の中に“名古屋近郊にある空白地帯” という地図を作り出すだけの儀式にすぎないことは分かっているのだが、一言で説明できる特徴もないので仕方がない。

小池喬の新作『さばげー』は、そんな空白地帯、大都市でもなく大自然もない、郊外ならではのポップミュージックとは何か、ということを追求し、一つのゴールにたどり着いたアルバムのように思う。都会から放たれるきらびやかで大げさな輝き。それを遠目に眺めながら探り当てていく、質実で少しいびつなリアリティ。そう書くと、このアルバムがずいぶんストイックな作品のように思われてしまうかもしれないが、人間はどこに住んでもご飯は食べるし恋もするし、秘密を抱えることだってある。一見平坦に思える街並みもよく見れば必ずいくらかの起伏が存在するのである。そんなささやかな人間の営みや街の光景を丹念にスケッチすれば、一編の歌にふさわしい、愛すべきドラマは必ず見つかる。このアルバムの楽曲たちは、そんなことを教えてくれるようである。

例えば、子供部屋でファミコンに興じた日々が生み出したかのような「survival」の耳になじむチップチューン的な意匠、「大工さん」が家の壁を壊す音とシンクロしたようなリズムは、日常生活の中に潜むロックンロールの火種をあぶり出す。あるいは、自分より人気のあるバンドマンを女の子に紹介するシーンを描いた「あいす」のユーモアにあふれた歌詞と、それに寄り添う美しい旋律の重層感は、はたから見れば情けないだけの光景も、その奥底には繊細で誰も触れることのできない感情が息づいていることを想起させる。そして自らが住む瀬戸市を「電車を降りることのない町」と表現しながらも「9月には茶碗を買いに行こう」と誘う、その名も「瀬戸のうた」。ここに刻まれた諦念と愛着が入り混じった感覚は、郊外にホームタウンを持つ誰もが抱く普遍的な、しかし名前のつけられないものではないだろうか。

7年前にリリースされた前作『宇宙のくしゃみ』は歌とギターだけのシンプルな作品だったが、今作では杉山明弘、亀山佳津雄、稲田誠をメンバーに迎えたバンドサウンド。抑制的なトーンの中に忍ばせた緩急がクセになる見事な演奏である。さらに掘嵜菜那、mmm、井出健介といったこれまた一筋縄ではいかないポップミュージックの名手たちがゲストとして参加した「コメットさんの再放送」、「恋のマニュアル」は、堀嵜、mmmのコーラスがそれぞれ小池のボーカルが孕む無垢と艶という両面性を引き出している。聴けば聴くほど小池喬の作り出した街の魅力に引き込まれていく今作。3回ほどリピートしたところで、瀬戸市がどこにあるのかが気になり地図で場所を確認したのだが、私が思っていたところとは全然違う場所だった。(ドリーミー刑事)

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