オヴァルは寄り道し続ける
「うぬぼれているかもしれないけれども、まだ存在しない音楽というものを常に探し続けることだね」
オヴァルことマーカス・ポップが2016年発表の『Popp』を提げての来日の際、筆者は幸運にも彼に取材をすることができたのだが、上記の発言はその取材の最後の「あなたの音楽家としての信条は何か」という問いに彼が答えたものである。この発言を聞いたとき筆者は、オヴァルのサウンドが常に変化し続けてきた理由がやっとわかった気がした。こう言ったら彼に即座に否定されてしまうかもしれないが、マーカス・ポップは音楽に夢を見続けていた、だからこそこれほどまでに様々な寄り道をしてきたのだ、と。
3人組のポップ・バンドとしてオヴァルをスタートさせながらも、『Systemisch』(1994年)や『94diskont.』(1995年)では、CDの盤面に故意にダメージを与えることで生まれるノイズを用いてテクノロジーのある種の欺瞞を暴き出し、メロディを「デザインの要素」と言い切ったマーカス・ポップ(とはいえ、幾重にも層を成すホログラムのような音の中からぼんやりとメロディのようなものが立ち現れる「Do While」は極めて音楽的だ)。その後はマーカスのソロになり、クリストフ・シャルルとの『Dok』(1998年)や誰でもオヴァルになれるというソフトウェアと同名作『ovalprocess』(2000年)をリリースするが、2001年の『ovalcommers』以降は、エリコ・トヨダとのユニット=ソーでのアルバム『SO』(2003年)はあったものの、しばらくオヴァルとしてのリリースが途絶えてしまう。ようやく9年の沈黙を破って発表した2010年の『O』では、マーカスは90年代にやっていたサンプリングをアレンジしていく方法論だけではなく、実際に楽器を演奏して、自分が音楽家/作曲家になることに挑戦。緻密な電子ノイズと色彩豊かな生楽器の演奏を止揚し、見事にポップへと着地させる。6年後の『Popp』では90年代のクラブ・ミュージックを90年代のオヴァル・サウンドで脱構築し、さらにヴォーカルとビートをかつてなく大胆に導入。思考を最適化することを拒むような、ユニークなダンス・ミュージックを作り上げた。その寄り道はさらに脇に逸れ、2020年の『Scis』では、ピアノ、木管楽器、ストリングスといったアコースティック楽器をビートメイキングのループの要素として用い、極めて複雑なのにもかかわらず驚くほど聴きやすいダンス・ミュージックへと深化させていく。さらに2021年の暮れにリリースした『Ovidono』は、マーカス・ポップと女優のヴラトカ・アレックによるプロジェクトではあったが、ローマの詩人であるオウィディウスと平安時代の歌人である小野小町の詩/歌の朗読とピアノ・パートを並置し、90年代のオヴァルの手法とエレクトロアコースティック的手法を組み合わせながらエディット。同作のこれまでにない没入感から考えれば、このプロジェクトを当初は「ASMR 2.0」と呼んだということにも十分納得がいく。このように大まかにこれまでのキャリアを振り返ってみたが、その進化には改めて驚かされるばかりだ。
そんなオヴァルが、ドイツのフランクフルトにある《Deutsches Romantik-Museum》(ドイツ・ロマン派博物館)のグランド・オープニングのために、デジタル・アーティスト、ロベルト・ザイデルとのオーディオ・ヴィジュアルのコラボレーションを機に作り上げたという新作『Romantiq』をリリースした。前作『Ovidono』でピアノと詩/歌の朗読をエレクトロアコースティック的手法などを用いて融合したことは前述した通りであるが、より広範囲の「ロマンティック」の定義を追求したという本作からは前作以上に不可思議で情感的なサウンドが響いてくる。ミニマリズムを下敷きにしたような「Rytmy」(リズムという意味だろうか)では、ピアノの反復を、ギター、ヴォイス、管楽器、弦楽器、あるいはそれらをすべてシミュレートしたようなディストーションで包み込みながら、叙情的なメロディのようなものを浮かび上がらせ、グロッケンを用いた「Glockenton」では管楽器と電子ノイズを巧妙に配置し、チルアウト・ルームとは似て非なるミステリアスな空間を構築する。さらに「Elektrin」ではパーカッションと電子音の連なりの背後から突然くっきりとしたフルートのメロディを現出させたり、「Okno」ではグロッケンを思わせるパーカッションの連続体をオーケストラのサンプル(?)で覆い尽くしてみせる。一音一音は親しみやすいのに、それらがオヴァルの技術知によって編み直されると、どこへ向かうのか想像がつかなくなるのだ。そのダイナミックで予測不可能な音像は、本作の聴き手がこれまでに行ったことのない場所やどこか遠い場所へ行くことを肯定してくれるようでもあり、何よりも、まだ存在しない音楽というものを常に探し続けたいという彼自身を強く肯定しているように感じる。そして、その真摯な姿勢は筆者には極めてロマンティックに映るのだ。
きっとマーカス・ポップはこれからも様々な寄り道をしながら、自身の音楽を変化させていくだろう。次に彼がどんな寄り道をするのか、今から楽しみでならない。(坂本哲哉)
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