レッチリがジョンの元に戻ってきたアルバム
メンバー全員の顔と名前を覚えているバンドがどれだけあるだろうか。しかも、現役で活動中のバンドとなれば、その数はより少なくなるだろう。しかし世界には、チリ・ウィリ・アンド・ザ・レッド・ホット・ペッパーズのメンバー全員の名前を覚えているという猛者もいるだろうから、これは反語としてそこまで機能していないかもしれない。
いずれにせよ、レッチリことレッド・ホット・チリ・ペッパーズのメンバーは、アンソニー・キーディス、フリー、チャド・スミス、そしてこの度10年ぶりにバンドに復帰したジョン・フルシアンテの4人である。
ビートルズの登場以来、メンバー一人ひとりのキャラが立っていることがバンドの理想的なあり方とされてきた。レッチリはその理想像をさらに強化したバンドのひとつだ。バンド活動に従事する者は、この理想像を巡って右往左往させられている。バンドをやっている人間が「ギターの人」などと呼ばれるとシュンとしてしまうのは、レッチリが「バンドたるものかくあるべし」と強く印象付けたことに遠因がある。
ともあれ、ジョンの復帰に世界は沸いた。先行カットされた「Black Summer」は、ジョンとフリーの二人の合奏から始まる。二人がステージ中央に歩み寄って演奏する姿が頭に浮かんでくる。そこにアンソニーが加わって、歌をたっぷり聴かせ、チャドのスネアロールを合図にバンド全体の演奏が改めてスタートする。アルバムの冒頭にふさわしい粋な演出だ。
ジョンの復帰により、他の3人のテンションのバク上がりしているのがわかる。たとえば「Aquatic Mouth Dance」のフリーなんて、気合が入りまくりだ。いくつになっても上達の歩みを止めない勤勉なベーシストの姿がある。他方、ジョンはやや控えめだといえる。彼のセンスが大爆発していた『By The Way』に比べると物足りないと感じる人もいるかもしれない。
ジョンが在籍していた時のレッチリというと、倍音がギラギラした、硬めの音作りという印象があった。今回は中域から低域がみっちりつまった、ふくよかな音で、ロック一辺倒というよりもファンクやソウル的なサウンドに片足突っ込んだような音作りとなっている。チャドのスネアも鼓膜のみならず胃袋にもずしんと響く。かつてなく「下半身モヤモヤ」感覚が強く表れている作品だ。
『Unlimited Love』の素朴で飾らないサウンドに、『ザ・ビートルズ:Get Back』によってイメージが刷新された『Let It Be』を連想した。『Get Back』に登場する関係者のうち、最も印象的だったのは、ジョージが連れてきた謎のお友だちだ。あの日に日に増えるブッディスト風の人たちである。『Unlimited Love』の生々しい音像には、あたかも謎のお友だちとしてレッチリのレコーディングに立ち会っているかのような臨場感がある。
数あるレッチリの武器の一つとして、シングル曲の明快さが挙げられる。キッスやヴァン・ヘイレン、あるいはラモーンズやディーヴォといったバンドに通ずるコミカルさがレッチリの美点だった。しかし今回はそうしたケレン味が控えめで、渋みが勝っている。中学生の脳天をかち割るような曲はないかもしれない。血湧き肉躍るような必殺のリフも見当たらない。しかし、中学生の脳天をかち割る役目をいつまでレッチリに求めるつもりなのかという疑問も浮かぶ。
目鼻立ちがはっきりしないアルバムかもしれない。突出して派手な曲はないけれど、粒揃いではある。全17曲、1時間13分と収録時間は長い。アテンション・エコノミーが猛威を振るう時代に最後まで聴き通すことは、かなりの気合と根性を要する。余談ではあるが、今回アナログ盤の各面に相当するプレイリストを作成して、擬似的に盤面をひっくり返すような聴き方をした。そうすると各面の1曲目にはキャッチーな曲が配置されていることに気がつく。該当するのはそれぞれ「Black Summer」「Poster Child」「These Are the Ways」「Veronica」の4曲だ。
『Unlimited Love』は、ジョンがレッチリに帰ってきたアルバムであると同時に、レッチリがジョンの元に戻ってきたアルバムといっても差し支えないだろう。ジョンを触媒として、バンドは生き生きとした感覚を取り戻した。
レッチリを愛聴するようになったのは2000年のこと。当時13歳。それから20年以上が経過した。音楽の趣味もずいぶんと変わった。ここ10年ほど、あまりレッチリの熱心なファンではなかったかもしれない。しかし、そんな人間であっても暖かく迎え入れてくれるような懐の深さを、『Unlimited Love』に感じるのであった。(鳥居真道)