アンビバレントなポップ・アマルガム
例えばピーター・グリーナウェイ、フェデリコ・フェリーニ、ベルナルド・ベルトリッチ。巨匠と呼ばれる映画監督が撮った名作を観るたび、その美に圧倒されると共に、もう二度とこんな作品たちが作られることはないだろう、というセンチメント混じりの諦念を抱いてしまう。マーケティングによって数値化することができない、貴族的で偏執的、時に傲慢ですらある作家の美意識に巨大な資本が投下される時代はとっくの昔に終わっている。
1988年のファースト・アルバム『アバ・ハイジ』から数えて4作目という極めて寡作なシンガー・ソングライター、浅井直樹の新作『らせん・分身・スペクトル』には、こうした映画作品と並べて語りたくなる底知れなさがある。そして自らの内的世界のみにフォーカスした優雅で独善的なまでの美しさは、せせこましい損益分岐点の呪縛からも、うつろいやすい道徳からも、経年による肉体的変化からも、音楽は完全に自由になれることを証明しているようでもある。
『アバ・ハイジ』の幻視的な世界観がより凝縮され、前作『BEATDELIC』のポップネスがより鮮やかに弾けた全14曲が収録された本作。ポップ・ソングの常道であるパーソナルな心情、あるいは人間関係の描写から遠く離れ、あらゆる音は浅井の脳内に浮かぶ異世界を映し出すために機能する。コーラスで参加した、奔放な歌声が魅力のかなふぁん(kiss the gambler)でさえ、その個性と技術の全てを精緻な設計図に捧げているようである。
この脳内世界に果てしない奥行きと解像度の高さをもたらし、アルバムの核心となっているのが、ポエトリー・リーディングによる二曲だ。
“新しいひらがなが落ちていたので それを交番に届けてまいりました”
という謎めいたフレーズから始まる「人魚はスラムで海を売る」と、宮沢賢治を召喚して引力の存在に疑義を挟む「すべての花に猛毒を」。両者に共通するのは、時間も空間も重量も絶対的なものではないという相対性理論の文学的証明だ。時間は常に直線的に進み、私もあなたもその上に乗せられて、どこかの地点で消えていく。私たちが隷従する運命も、浅井の世界の中では当たり前ではない。そんな奇天烈な世界観を確信に満ちた語り口で表していく様は、生成AIによって作り出されたおとぎ話のような異様さに満ちている。フォークロアなギターと電子音が大胆に組み合わされたプログレッシヴなアレンジも、この世界に立体的な現実感をもたらす。
かくもビザールな世界を確立する一方、これはギター・ポップの傑作でもあるという聴後感しか残らないのは、それに拮抗するほどの強度があるソング・ライティングの賜物だ。ザ・スミス、ドゥルッティ・コラム、モノクローム・セットといった80年代ポストパンクやサイケ・ポップからの影響が色濃く表れた瑞々しい輝きに満ちた歌とギター。先行配信された「真空ガール」をはじめ、一度聴けばつい口ずさみたくなるメロディがひしめいており、前作からわずか2年でこれだけのクオリティの曲が14曲も揃えられたことに驚いてしまう。それでいて歌詞においては誰も立ち入ることのできない言語感覚が炸裂。シュールな押韻で聴き手をケムに巻き、異世界へと連れ去っていく。自らの感情を安易に受け渡さず、聴き手の共感というものにおもねらない、アンビバレントな孤高こそが本作の輝きだ。
そして前作よりフィジカルな力強さを増した演奏と大胆なアレンジも、作品のプロフィールを混乱させるのに一役買っている。例えば20年後、ブラジル風のギターにアシッドなベースが絡む6曲目「異邦人」から、ニール・ヤングのようなヘヴィ・ギターに皷や尺八が組み合わされる7曲目「Like a Spider」への流れを聴いて、この作品が、いつの時代のどのような文脈で作り出されたものなのか、言い当てることは難しいだろう。さらにそこに浅井のヴォーカルが加わることで、その混沌は一層深まる。これだけの創造性を前に、もはや年齢という数字に意味がないということは承知の上だが、これが50代も半ばを過ぎたシンガーの声とは到底信じられない。『アバ・ハイジ』の時代から冷凍保存されていたような伸びやかな歌声は、『らせん・分身・スペクトル』という遺伝子情報の保存と伝達のあり方を示唆するようなタイトルに、超現実的な凄みをもたらしている。(ドリーミー刑事)
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