パンデミックがもたらした家族との時間、ハロルド・バッドへの想い
80年代に注目を集めたイギリスのグループ、ペンギン・カフェ・オーケストラ。クラシック、現代音楽、ワールド・ミュージックなどを融合させた彼らのユニークな音楽は、今ならポスト・クラシカルと呼ぶこともできるだろうし、近年アンビエント・ミュージックや環境音楽が再評価される中で聴き直すと発見は多いはず。中心人物のサイモン・ジェフスが亡くなった後、息子のアーサー・ジェフスが「ペンギン・カフェ」と名前を縮めて、新メンバーで再出発したのが2009年のこと。それ以来、自分たちなりの新しい表現を模索して活動を続けてきた彼らの4年ぶりの新作『Rain Before Seven…』は、パンデミックで活動自粛を余儀なくされたなかで制作された。
パンデミックがヨーロッパ全土を襲った2020年。アーサーは家族とともに、イタリアのトスカーナにある修道院を改築した家で難を逃れていた。そこで生まれた曲が新作に収録されているが、アルバムに閉塞感を感じさせないのは、アーサーが暮らしていた家がオリーブ畑に囲まれた自然豊かな場所にあり、自粛生活に息苦しさを感じなかったからだろう。オリーブ畑をトラクターが横断している様子を曲にした「Lamborghini 754」では、ミニマルな展開の中でストリングスが高揚感に満ちた旋律を奏でるし、16年連れ添って亡くなった愛犬に捧げた「Galahad」では、躍動感溢れるリズムと開放的なメロディーで愛犬が元気に疾走する姿を浮かび上がらせる。アルバムを通して、これまで以上にリズムが強調されているのは本作の特徴のひとつだ。
アルバムの制作にあたって、アーサーはファースト・アルバムの頃のサウンドに立ち戻り、当時のようにウクレレ、クアトロ(南米の弦楽器)、バラフォン(アフリカの楽器)など様々な地域の楽器を使うことを意識したという。なかでもバラフォンが多用されているが、アーサーが初めてバラフォンを使って書いた曲「In Re Budd」は、2020年にコロナの合併症で亡くなったアンビエント音楽の巨匠、ハロルド・バッドに捧げたもの。バラフォンとピアノ(バッドが好んだ楽器)が不思議なシンコペーションを奏でる。思えばバッドは、ペンギン・カフェ・オーケストラと同じく、ブライアン・イーノが主宰する《Obscure》から作品を発表していた。アーサーは父からだけではなく、バッドからもバトンを受け継いだのだ。
パンデミックの間、家族と親密に暮らすなかで、アーサーは父が生み出したペンギン・サウンドに再び向き合った。そして、父がそうであったように独創的なアイデアで様々な楽器や音楽性をミクスチャーして、飄々としたユーモアとエレガンスを感じさせる美しい音楽を生み出した。そういう音楽を作ることが、彼にとってパンデミックとの戦いだったのかもしれない。アルバムの1曲目「Welcome to London」は、パンデミックが収束して久しぶりに母国に帰った時の感動を曲にしたそうだ。アーサーがパンデミックの間も音楽を愛し、信頼して曲を作り続けてきたことが、このアルバムから伝わってきた。(村尾泰郎)