Review

Skrillex: Quest for Fire

2023 / OWSLA / Atlantic
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壊れた心を抱えた男が見つけた音楽的な平穏と成熟のレコード

18 March 2023 | By Ryutaro Amano

ここのところ、死が経験しえないものであること、経験できることといえばそれは他者の死でしかないことについてよく考える。

他者の死を経験することは、自らが刻一刻と死に確実に向かっていることへの恐怖を強める。ひとはいつか死ぬ、という当然で不可避の真実を、何度でも突きつけてくる。

でも、それ以上に、その喪失がもたらす自己の変化にこそ、耐えがたいものがある。死が不可逆であるように、他者の死による心の変化も不可逆で、他者の死が引きおこした精神の屈曲をもとの形に、それを経験する前のようにまっすぐに戻すことはできない。だから、ひとは、壊れて折れ曲がった心を抱えたまま、そのことになんとか折り合いをつけながらうまくやっていく(cope with)ことくらいしかできないのである。

スクリレックスことソニー・ムーアは、母を亡くしたこと、それによって抱えこむことになったメンタル・ヘルスの問題を今年1月、35歳の誕生日を迎えた日に明かした。それは2015年、ロラパルーザへの出演の2日目の出来事だったという。肉親の死という経験したことのない喪失に対して、彼はアルコールに溺れることで痛みをやわらげて乗りきっていたのだそうだ(“I never ever coped with it … I drank the pain away and kept going”)。

しかし、それが限界を迎えたのだろう。2022年、その時に進行していたプロジェクトをすべてストップさせ、デトロイトのムーヴメント・エレクトロニック・ミュージック・フェスティヴァルとタンパのサンセット・ミュージック・フェスティヴァルへの出演をキャンセルした。2022年はこれまでで一番きつい年だった、気力と目的を人生において初めて失った、と悲痛な思いを吐露している

キャンセルの理由は、アルバムの制作によるものではなく、自分自身のことに取りくんでいたからだった(“It we because I was working on myself”)。2022年に彼が向きあっていたのは、ライヴや制作ではなくて、取り戻しえない喪失と自身の心の痛みや変化で、実際、2022年にスクリレックスはソロの新曲をリリースしていない。

プロデューサーやDJとして致命傷になるかもしれない停滞を選んだスクリレックスは、多大な犠牲を払って、この4、5年で初めて、ようやく平穏を見つけられたという。そんな苦難を乗りこえて届けられたのが前作『Recess』(2014年)から実に9年ぶりになるアルバム『Quest for Fire』だった、という前提を確認しておくことは、無駄なことではないだろう。

『Recess』やそれ以前のレコードで聴けたアグレッシヴに激しく暴れまわるブロステップの太いワブル・ベースは、ここにはもうほとんどない。ディプロとのジャック・Üでも見せていた攻撃性や耳をつんざく電子音は、「Hydrate」や「Inhale Exhale」、「TOO BIZARRE (juked)」、「Supersonic (my existence)」などで時に控えめに認められるくらいだ。

『Quest for Fire』に代わりにあるのは、柔軟さと洗練である。エレクトロニック・ミュージックの領域を大股で横断、渉猟しながら、ミスター・オワゾからフレッド・アゲイン、フロウダン、フォー・テット、イーライ・ケスラー、ノイジア、100 gecsのディラン・ブレイディ、ポーター・ロビンソンまで、多様なプロデューサーたちやアーティストたちを招いて、スクリレックスは彼らと戯れている。あくまでもソリッドにねらいすましたハウスをベースにしながら、ドリルや2ステップ/ガラージ、ダブステップ、ジャングル、トラップ、ジャージー・クラブなど、新旧のダンス・ミュージックのエレメントを見事な手さばきで自分のものにしているのだ。そして、その中で生まれたバンガー「Rumble」がこのアルバムを代表するトラックであることは、言うまでもない(ここに「Baby Again」が含まれなかったのは、残念ではあるものの)。

ただ、オープナーの「Leave Me Like This」や「RATATA」のヘヴィさ、宇多田ヒカルとの「Face My Fears」によく似た「Good Space」のヴォーカルを切り刻んだ派手なドロップには、スクリレックスらしい手つきが強く刻印されている。自身の作家性を手放し、現在の潮流におもねった日和見主義的なダンス・トラックなどではまったくないことが、どの曲を聴いていてもよくわかるのだ。

とはいえ、スクリレックスというプロデューサーと彼の音楽には、ブロステップのあの音の凝り固まったイメージが、あまりにも固着しすぎていた。それは、大きな成功の代償かもしれない。けれども、彼はそもそもポスト・ハードコア・バンドのフロム・ファースト・トゥ・ラストでの活動でキャリアを始めたのだったし(スキットの「Warped Tour ’05 with pete WENTZ」がそのことをはっきりと思いださせる)、その嗜好やある種の器用さ、音楽的なポテンシャルはかなり幅広いものであるはず。固定化されたイメージは、それを低く見積もって萎縮させるものでしかないだろう。

だからこそ、『Quest for Fire』とその翌日に発表したポップな『Don’t Get Too Close』は、彼の内に潜性していたサウンドの可能性を平穏さとともに大いに解放して、作家像を刷新したものだと言える。そのことに彼の喪失の経験が関係していると考えるのは、この素晴らしいダンス・レコードをあまりにも物語化しすぎているだろうか?

あらゆるダンス・ミュージックは――アルコールもきっとそうだろう――、あなたのメンタルが抱える痛みを一時的に忘れ去らせてくれるかもしれない。歓喜と忘我のビートに身を委ねることによって、その中であなたという主体の輪郭を溶かすことによって。けれども結局、それはその場しのぎの応急処置的なものでしかない。夜が明けた時に、あるいは昨夜と同じ格好で、ぐちゃぐちゃになったベッドの上で、汗と煙草のにおいと二日酔いの鈍い頭痛とともに目覚めた昼過ぎに、痛みはまるで亡霊のようにあなたのもとに回帰してくる。

スクリレックスが『Quest for Fire』で表現しようとしたのはそういうことではないのではないかと、引きしめられたダンス・ビートに身を浸しながら思う。つまり、この15のダンス・トラックは、痛みを抱えながら、亡霊とともに、それに折り合いをつけてなんとかうまくやっていこうと試みている(そうせざるをえない)者が踊るための音楽に聴こえるのだ。

ラスト・トラックでビビ・ブレリーは歌う。一緒に来たやつらと、まだここにいる――。これは、もとにはもう戻らない壊れて折れ曲がった心を抱えた男がようやく見つけた音楽的な平穏とよろこびの証し立てであり、精神的な成長と成熟を刻んだレコードである。(天野龍太郎)

※フィジカルはアナログ・レコードのみ(2023年3月現在)


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