ウクライナ×ロシアの音楽家のコラボレーションが孕む “不定形”さ
予感があった……などと言うのは慎むべきだろう。ロシアのDJ/プロデューサー、ButtechnoことPavel Milyakovと、ウクライナ、キーウ在住のヴォーカリスト、Yana Pavlovaがコラボ作『Wandering』をリリースしたのは、ロシアによるウクライナ侵攻がはじまる約3か月前のことだった。その音楽は、前作『Blue』の幻想的な雰囲気が悪夢に転じたような衝撃的なもので、破壊された都市や不毛な大地を思い浮かべさせるサウンドスケープには「なぜこんなものを作るのだろう」と呆然とするしかなかった。そうしているうちに、破壊された都市のイメージが世界を覆うようになった。
2月24日以前のことを思い出してみよう。COVID-19の世界的な流行のなか、ネット上では“ソビエトウェイヴ”や“ポスト・ソビエト”などと呼称される旧ソ連圏のシンセ・ポップやポストパンクが支持され、2020年にはベラルーシのダークなポストパンク・バンド、Molchat Domaの「Судно(Sudno)」がTiktokを通してヴァイラル・ヒットとなった。この“ソビエトウェイヴ”の流行について識者は、共産主義下のディストピア的なイメージがジェネレーションZの閉塞感やCOVID-19下での終末論的な雰囲気と結びついた……などと分析したが、彼らの誰も、その直後にウラジーミル・プーチン──「ソビエト崩壊は大きな過ちだった」と公言する男──が超大国復権に動き出すとは予想できなかっただろう。まさに不快なジョークのような展開だが、死んだと思ったもの/アートの中にだけ存在すると思っていたものが幽霊として蘇ったのである。
Pavel Milyakovもそうした“ポスト・ソビエト”の流れに位置づけられるミュージシャンだったはずだ。Milyakovの活動は多岐にわたるが、同じく社会主義体制下の文化を題材にとるデザイナー、ゴーシャ・ラブチンスキーとの共同作業も含め、そのくぐもったハウス、チープなシンセ・ポップ、アンビエント……などには常に不穏さ、冷たさ、ある種の辺境的ないなたさが漂い、MVには彼が幼少期から見てきた均質な集合住宅のイメージが映し出された。2020年に発表された『Masse Metal』は、革命後の近代化を題材にとったコンセプト作品であり、ロシア構成主義を思わせるジャケ、機械音を思わせるビートに軍靴の足音などがコラージュされた。こうしたディストピア的な雰囲気はアンビエント/エレポップ作品である『Blue』にも顔を出していたが、それがより激烈な形で表出したのが、『Wandering』といえるだろう。そこで媒介となったのはメタル・ミュージック――それもエクストリームな形態のメタルだった。
アルバム2曲目の「Mountains & Woodlands」では、スラッジ/ドゥーム・メタルのスタイルを決定づける歪んだギターが一定の周期のもとで振り下ろされるなか、Yana Pavlovaが異様に引き延ばされたヴォーカルを乗せる。『Blue』ではときに軽やかな歌声を聞かせていた彼女だが、ここではもはやそのヴォーカルは聴きとり不能な呪文のようなものに変化している。ドロップ・チューニングされたベースとディストーション・ギターによって形成された 「C」(ド)のドローンは、たとえばその「C」を曲名に明記したSunn O)))の「Frost(C)」(2019年)やメルヴィンズ『Lysol』(1992年)の濁った色彩感を即座に連想させるが、スラッジ・メタルがその歪んだギターに対するフェティシズムを隠さないのに対し、「Mountains & Woodlands」はあたかも中心を避けるようにそれを配置して聴き手の集中を逸らす。ヴォーカル、ギター、ベースはけっして有機的なグルーヴを生み出すことなく、その背後ではブラスト・ビートが我関せずとBPM200以上で暴れ回る。トラックは明確な展開を持たず、突発的な盛り上がりと沈静を繰り返して彷徨い(wander)ながら、なしくずしに収束していく。
面白いことに、こうした明確な全体像を把握されることを拒むような、統合を拒むようなサウンドは『Wandering』に限ったものではなく、近年のいくつかの優れた電子音楽、R&B/ジャズの作品に共通するもののように思える。そうした感覚の「先駆者」とも思えるDean Bluntの諸作や、Bluntの媒介を受けてR&Bをアブストラクト化したようなTirzahの『Colourgrade』、あるいは、今年の電子音楽の大きなトピックであるHuerco S.の『Plonk』、以前レビューしたマンチェスターの異才、Nahi Mittiの『Aisaund Sings』や、ONYの『Children Of The Apocalypse』、また、いささか取り留めなく膨大なリリースを続けるクレア・ラウジーやサム・ゲンデルの作品などをこの範疇で見ることができるだろう。
ここに列挙した作品はおもに非商業的なインディ・アーティストによって、それぞれ多種多様なシーンから現れたが、「デコンストラクテッド」「アンビエント」「イーサリアル」といった重要なキーワードと一面を接しつつ、どこか綻んだような、壊れたような面持ちを共有している。それがいったい何を意味するのかはいまいち掴みかねているのだが、逆にいえば、この不確定で茫洋とした世界において「確固として統一された」「定型の」音楽はまだ可能か? と挑発的に問うこともできるだろう。つまり、不定形さは聴く者の側にすでにあったのではないか、そして、それに耐えられない者がときに「失われた一体性」(*1) や父権的秩序を反動的に要請するのではないか……と考えるなら、『Wandering』のような個人の複雑な表現に耳を傾けることにもいくらかの「善」があるかもしれないとも思えるのだ。そう思うことで、不幸にも戦時のサウンドトラックとなってしまったこの作品を掬い上げたいというのが本当のところなのだが。(吸い雲)
*Pavel Milyakov は開戦直後からウクライナ国旗をアイコンに掲げるなど、同じくロシア出身のKate NVなどと並んで反戦姿勢を明確にしているアーティストでもある。この『Wandering』はMilyakovのレーベル《psy x》のbandcampでデジタル・アルバムとして購入できるが、本作はじめ《psy x》のリリースに支払われた代金はその全額がウクライナ支援のために寄付されることになっている(https://crackmagazine.net/2022/03/buttechno-to-donate-all-bandcamp-proceeds-to-ukrainan-charities/)。なお、コラボ相手であるキーウ在住のYana Pavlovaはもともとネット上で情報発信を行なっておらず、動向は不明である。無事を願うばかりだ。
*1 ウクライナ侵攻──あるいはロシア「統一」──の完了時にロシア国営放送が放送を予定していたとされる文書「ロシアの攻勢と新世界の到来」(https://web.archive.org/web/20220226051154/https://ria.ru/20220226/rossiya-1775162336.html)