坩堝を渡る6人乗りの宇宙船
シンガーソングライター松井文、折坂悠太、夜久一の三者からなる、のろしレコード。もとはそれぞれの音源を出すために松井の呼びかけで始まったDIYレーベルで、これまでの同名義でのリリースは結成後すぐに出された『のろしレコード』(2015)のみ。それも、3人のソロ曲と合奏曲「のろし」を収録したスプリット的な作品だった。4年ぶりの今作では同じように曲を持ち寄りつつも、山梨の《星と虹レコーディングスタジオ》で録音合宿を決行。バンド・メンバーとして“悪魔のいけにえ”=ハラナツコ(Sax)、宮坂洋生(コントラバス)、あだち麗三郎(Dr)が加わり、クレジットによれば、松井はアコースティック・ギターとバンジョー、夜久はエレクトリック・ギター、折坂はマンドリンのみと、3人の楽器もそれぞれ分担されている。ライブの編成そのままのように思えるから、いわばこれは、はじめのコンセプトから作り込まれたバンド・アルバムだ。
昨年『平成』でまばたき一つしないようなシビアさで時代を見つめた折坂が、ここでは1曲目「コールドスリープ」からひたすらに逃避を歌っている。その直接的な理由についてはインタビューでの本人の言葉に譲るとして、間奏で高らかに鳴る旋律は言わずもがな宮沢賢治「星めぐりの歌」だ。曲自体は折坂による新曲だが、クラシカルな旋律の引用は共同プロデュースを務めるあだち麗三郎がソロでよく行うアプローチで、あだちが今年7月に出したアルバムのタイトル(『アルビレオ』)も『銀河鉄道の夜』にちなんでいた。底なしの濁流を見つめる夜久の「深い河」もまた、ガンジス河にまつわる遠藤周作の同名小説を想起せずにはいられない。それぞれ時代性と強く結びつきながら“ここでないどこか”に救いを求める人々を描き続けた両作家は、3人の歌の血肉であるフォーク/ブルースの先人たちとともに、ドメスティックな参照点として本作に明確な意思を与えている。ちょうど「さなぎ」に仕込まれたサンバのリズムや「ダイジョーブ」のセカンド・ラインのように、方方の宗教性が境目もないほど溶け合ったアマルガム的なありさまこそが、この国の最深部に在る土台(ルーツ)そのものかもしれないと。
一方、はじめに述べたとおり本作はやはりバンドのアルバムである。筆者は今年、折坂の代表曲「よるべ」を独奏、合奏、重奏とあらゆるヴァージョンで耳にしているが、冒頭の夜久のギターとハラのサックスによる不協和音めいた響きは、そのどれにもない斬新なアプローチだ。シリアスな導入に対して、アウトロであだち・ハラ・宮坂が繰り広げるアンサンブルは歌手のマイクを奪わんばかりの躍動感にあふれていて、つい手に汗を握りながら聞き入ってしまう。夜久と折坂による、「道」を柔らかなアメリカーナたらしめるエレクトリック・ギターとマンドリンのプレイも白眉だろう。そして、松井に加え総勢5人のコーラスが「大丈夫ー!」と叫ぶ「ダイジョーブ」は言ってしまえば切羽詰まった反語の歌で、同じように反語的な解釈ができる「コールドスリープ」と対になっているように思える。逃避だろうが虚勢だろうが、いやそういうものだからこそ、乗り合わせのバンドワゴンがよく似合う。そのダイナミズムを丸ごとパッケージしたようなこの豊かなフォークロックは、孤独と多様の沼の中を歩きまわる人々に届けられた何よりの福音なのだ。(吉田紗柚季)