愚かで清らなガソリンに火をつけろ
2021年最後の発見と後悔は、12月に名古屋の金山《ブラジルコーヒー》で観たメシアと人人である。ロックバンドのイメージとは程遠い、愛嬌にあふれたルックスの青年と、ヤニ臭い練習スタジオよりも洒落たカフェの方が似合いそうな若い女性。この京都からやって来たというチャーミングな二人組が、ライヴが始まるや否や狂ったような轟音ギターをかき鳴らしながら歌い叫び、無慈悲にドラムを叩きつける姿に、一発でぶちのめされてしまった。しかも演奏に耳を澄ましてみれば、果てしなく無軌道で無鉄砲のように思えるこのツーピースのリズムは、実はクールにコントロールされており、ジョイ・ディヴィビジョンやヴェルヴェベット・アンダーグラウンドを彷彿とさせる引き算のグルーヴがある。そしてシャウト混じりに歌われるメロディにはキュアーからピクシーズ、さらにはブルーハーツからブッチャーズまでもが息づくような最上級のエモさが凝縮され、ベースの不在を感じさせない練度の高い演奏からは、彼らがこれまで積み重ねてきた努力の重みもずっしりと感じさせた。つまり、たった二本の絵筆で描かれた世界の中に、私の好きなロックンロールのほぼすべてが凝縮されていたのである。こりゃすごいバンドに出会ったぞ……と興奮すると共に、すでに10年近くも活動しているという彼らを今まで見逃してきた我が身を深く恥じずにはいられなかった。そしてもうこんな思いをする人は私で最後にしたいという一心で、「アルバムがリリースされたら何か書かせてください!」とTURN編集部に懇願した結果が、このレビュー記事なのである。なので読者の皆さんにおかれては、この続きを読む前に、まずは何らかの手段でCDを手に入れて再生ボタンを押してほしい。さあ早く。そう今すぐに。
それにしても、あの夜の彼らの何が私をここまで駆り立て、突き動かしたのか。その理由を考えながら、このアルバムを繰り返し聴いている。確かにライヴよりも少しだけ音数が増えてより完成度を高めたサウンドは、彼らの芳醇な音楽の世界をさらに広げている。例えば「boke」のジャングル・ビート、「machine gun」のソフトロックの香りすら感じさせるメロディ、そして「kukuru」におけるクラウトロック的宇宙感覚……など。
しかし彼らの表現を特殊かつ特別なものたらしめるのは、これだけ豊富な音楽的ボキャブラリーを操ることができる技術と才能を持ちながらも、アンダードッグとしての絶望の深さと眼光の鋭さがまったく失われていないところにある。「バンドをやってる僕の顔 醜いでしょ ブサイクでしょ」「バンドをやってる僕の体 臭いでしょ」と迫りながら「バンドをやってる僕の歌 綺麗だろ 綺麗になりたい」と結ぶ「band」のつんのめるようなリリシズムが、すれっからしの私の中にもわずかに残る、愚かで清らなガソリンに火をつけるのだ。
そしてこうして原稿を書いているうちにもまた彼らのライヴが観たくなってくるわけだが、リリース・ツアーは京都市内ライヴハウス16箇所を半年間を回るものになるとのこと。京都の大学で結成され、《ボロフェスタ》の運営にも携わる彼ららしい企画だが、このぶっ飛んだアイデアと過剰なまでの愛こそが、この作品の根底にあるもののような気がしてならない。
セックス・ピストルズの初ライヴの観客はたった42人だったというのは有名な話だが、革命とは常に少数の人間が始めるものである。たった二人ぼっちで、このクソみたいな……というかクソそのものの世界に爪痕を残してやろうというメシアと人人の試みが成功しないはずがない。ひたすら無責任に、私はそう信じている。(ドリーミー刑事)
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