歌の力を信じ冒険に挑んだ“うたうたい”の跳躍
歌声を聴いて鳥肌が立つなんて、あと人生で何回あるだろう。そう思わせるまでに、優河の歌は特別だ。聴く者を一瞬で惹きつける、深く深く響く低音。優しく伸びていく高音。そして、滑らかなベルベットのような、よどみのない声。そんな彼女の歌声はこれまでも“唯一無二”であると絶賛されたが、本作ではそれ以上に、彼女の、歌に対するその想いの揺るぎなさ、そしてオープンな姿勢を強く感じることができ、強く心揺さぶられてならない。
ファースト・アルバムである前作『Tabiji』(2015年)に比べると、本作では空間いっぱいに楽器の音が大胆に散りばめられ、重なり合い、その途方もなく壮大なサウンドにただ圧倒されるばかりだ。また、そのサウンドの実験性の高さも驚きだ。例えばドラムの音。表題曲「魔法」や「岸辺にて」などの多くの曲では様々な角度から打楽器が聴こえるようにミックスされ、それがとてもドラマティックだ。また、エレクトリックなサウンドもふんだんに使われ、特にエレガントなエレピが主役の「夜になる」はグルーヴィーなビートも相まって、優河の新境地を切り拓いている。
こうした変化のキーマンは、多くの曲のアレンジを手掛けているベース/シンセサイザー他の千葉広樹だろう。ジャズ・ベースを軸に、電子音楽からポップスまでこなすマルチな視点から生み出されたアレンジは、所々意図的な際どさも感じられる。が、そんな中で彼女の歌は、時に器楽的な響きすら持ちながらも、驚くほどまっすぐにメロディを届けてくるのだ。歌がこんな風に聴こえるなんて、まるで化学反応、いや、まさに“魔法”のよう! 彼女の歌は、きっとこうした楽曲の中にあることをあえて望んだに違いない。そんな多様で刺激的な楽曲だからこそ、聴き手は一層彼女の歌に引きつけられてしまうのだ。その点では、本作は“歌モノ”でありながら、その“歌モノ”ポップスの範疇や可能性を拡張していると言える。そのあり方はボン・イヴェール『ボン・イヴェール』(2011年)を思い起こすものでさえある。
なお、本作で豊かなリヴァーヴの美しい、流麗なギターを聴かせているのは岡田拓郎だ。また前作から引き続き、同じく元・森は生きているの増村和彦、谷口雄も、1曲ずつ本作に参加。かたやニーナ・シモンやカレン・ダルトンなどを影響源として挙げ、ライブではレナード・コーエン「ハレルヤ」(1984年)、そしてスコットランド民謡「The Water Is Wide(広い河の岸辺)」などのトラッド・ソングまでもカヴァーし、“歌”の歴史の系譜と向き合いその中に自分を位置付けようともしている優河。そんな彼女と、彼らのような、歴史の体系を丹念に紐解きそれを更新しようとするポップ・ミュージックの担い手が共鳴しあっていることは、大いに頷ける。
本作の楽曲には別れが歌われる歌詞が目立つ。ただ、別れを受け入れることは新たな出会いの裏返しだ。彼らだけでなく、haruka nakamura、神谷洵平などの多くの新たな仲間を得、彼らとの化学反応に身を委ねることで、優河の歌は扉を開き、彼女は“うたうたい”として見事に跳躍を果たした。新しい“歌”のスタンダードを生み出す存在として。(井草七海)
■優河オフィシャルサイト
www.yugamusic.com
※「ニーナ・シモンやカレン・ダルトンなどを影響源として挙げ・・・」引用元
oto machi | INTERVIEW「優河」 http://otomachi.net/interview_yuga/