質の塊を浴びせられ続ける圧巻の一作
ルイス・コールは非常に誤解されやすい音楽家である。特に日本では、「テクニック信仰」という言説に結びつけられやすい。現在だと、今年の日本ツアーにもドラマーとして帯同したサンダーキャットや、交流もありコラボ経験のあるヴルフペックなどにも同じことを感じる。あまりにも技術が高すぎると、ある種の競技のように見られ、総じて舞台演出や出立ちが独特でコミカルであることも、そういったアーティストのクリエイティヴの部分や、アートとしての本質が曇って見られる要因だと思うのだのだが……。
ルイス・コールの4年ぶりとなる4作目のソロ・アルバム『Quality Over Opinion』。「意見より質」というタイトルからは、私の危惧する問題や、私のこのような要らぬお節介はどうでもいいよと、そのクオリティでひっくり返すという意志を感じさせる。それは、この作品でソングライティングに重きを置いていることからも感じることだ。
冒頭のタイトル曲では、荘厳なストリングスをバックに、一切の隙間が無いほどのマシンガントークで、ひたすらに能書きを垂れる。そこでは、彼のクリエイティヴをする上での自らへのストイック過ぎる戒めであったり、未知なるものを探究する上での手探りな感覚を、彼らしいユーモラスな表現で語っていく。
良い意味でいきなりかまされるこの作品だが、続く「Dead Inside Shuffle」は非常に軽快で、スティーヴィー・ワンダーを彷彿とさせるファンク混じりのポップ・ソングだ。この曲からも分かるが、歌唱に大きな比重を込めているように感じた。彼の音楽的な器用さは広く知られたことだが、前作以上にメロディが上下に行ったり来たりする歌メロは、並大抵の作曲家に書けるものではないし、並大抵の歌手では歌うことができないものだ。
そう考えた時に、彼が日本で支持を集める理由を間違えて認識していたことに気づく。彼の生み出す自由度の高いメロディは、ほとんどJ-POPでしか聴けないそれなのだ。星野源の近年の音楽にルイス・コールからの影響を感じるが、それは日本のポップ・ミュージックとルイス・コールとの親和性からくる必然なのだろう。
3曲目「Not Needed Anymore」はギターの弾き語りなのだが、高速フィンガー・ピッキングと彼のシルキーなファルセットが詰め込まれ、ミニマルな構成であるにもかかわらず異常な情報量が耳に流れ込んでくる。
この曲こそがメロディメイカーとしてのルイス・コールを最も端的に説明できる曲だと思う。それは今作が、前作『Time』(2018年)やノウワーでのハイパーな作風ではなく、優れたソングライターとして存在を知らしめた2011年の『Album 2』に、今作が回帰するよう作品に仕上がっているのも一因ではないだろうか。
ただ、前作からのファンを退屈させるようなこともない。盟友サム・ゲンデルを迎えた「Bitches」では、2人が関わると噂される覆面ユニット、Clown Coreを彷彿とする、スケールがデカいのか小さいのか判断に困るような、プログレッシヴなジャムが繰り広げられる。
「Falling in a Cool Way」や「I’m Tight」等の楽曲で聴けるような、高速BPMのタイトなビートと、ブリッブリなベースでグルーヴをドライブさせるような楽曲は、最早彼の名刺代わりと言えようか。「Let Me Snack」での嘘のような人力ダブステップには、冒頭で言ったことをと謝りたくなるほど笑ってしまった。やはりこの人とユーモアは切っても切り離せない上に、これが何より彼の作家性なのだ。
ルイス・コールはソロ作に関しては意外にも寡作家である。前作は4年も前になるし、その前は更に7年前に遡る。それだけソロ名義における熱量を感じさせるし、しかも今作は彼のキャリアを詰めこんだかのような作品であり、正に質の塊を浴びせられ続ける、圧巻の一作であった。(hiwatt)