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灰野敬二 + 蓮沼執太: う      た

2025 / windandwindows / ユニバーサルミュージック
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「歌」の始原が潜む

08 September 2025 | By Shinpei Horita

2017年にイベントでの共演をきっかけに、《京都ロームシアター》での『ミュージック・トゥデイ・京都』(2018年)、渋谷《WWW》(2021年)、神戸《横尾忠則美術館》(2023年)と断続的にコラボレーションによるパフォーマンスを披露してきた灰野敬二と蓮沼執太、二人の音楽家による初の作品。本作では蓮沼がほとんどの楽器演奏と歌詞を手がけ、その音楽と言葉に対して灰野が瞬発的にメロディーを発声させることで1枚のアルバムが完成したという。

蓮沼執太という作家は、既に多くの人が知る通り、ソロ・アーティストでありながら他者との共同作業にも重きを置いている。蓮沼執太フィルやタブラ奏者、U-zhaanとの共作はその中でもよく知られているものであるし、近年でもジェフ・パーカー、コーネリアス、グレッグ・フォックス、そして灰野敬二といった多彩なゲストを招いた『unpeople』(2023年)、大貫妙子、KIRINJI、青葉市子などこちらも多数のゲストを招きつつ音楽を担当しているNHKの番組『デザインあneo』における展開など、他者とのコラボレーション自体が音楽であり作曲行為であるような活動を一貫して続けてきた。またそれは音楽だけにとどまらずデザイナーや詩人、ときにはビールの醸造所まで。彼は興味の赴くままにフラットな姿勢で他者を迎え入れていく。そこから起こる思いもよらない展開や刺激を楽しんでいるように思える。そしてライブでの共演を機にセッションを重ねてきた灰野との共同作業はそのような活動スタイルの一つの到達点と言えるのではないだろうか。

そんなコラボレーションの極地と言える本作。何より印象的なのはやはり灰野と声、そしてメロディーであろう。灰野敬二の歌と聞いて多くの人が思い浮かべるのは歌というより咆哮であったりうめき声のような発声だろう。しかし1曲目「空」や2曲目「休」、ラストに収録された「潜」では、蓮沼の奏でる電子音、そして彼特有の俯瞰した視点で環境を見渡すように書かれた歌詞に、呼応するように優しさすら感じるほど丁寧に歌われている印象だ。その一方で「噴」や、声がループする「溢れ出る微笑みの雫たちがおりてくる」、「指」といった曲では灰野の声やメロディーがより異質なものとして音とぶつけられているように感じた。音とメロディーと言葉が、循環しながらそれぞれが衝突と呼応を繰り返しながら変化していく。当然これは録音作品であるのだが、有機的に変化する時間が再生ボタンを押した瞬間その都度新しく立ち上がってくるような生々しさがある。

そしてそんな手触りはアートワークにも表れている。おそらく灰野と蓮沼であろう二人の口元だけが写された印象的なジャケット。これはタイトルである「うた」を発音したときの口の形であり、シンプルでありながらも本作が音と声を発する身体と強く結びついた作品でもあることを意識させられる。これを見た時に私が思い浮かんだのは「阿吽の呼吸」という慣用句だ。言葉を交わさずとも、息が合っている状態を指すこの言葉は、本作における二人の関係を表すのにもぴったりの言葉であるが元はサンスクリット語に由来を持ち、万物の始まりと終わりを意味する仏教用語でもある。なおジャケットになぞらえて見ると最初の音は「う」で口を閉じているので、ここでは始まりと終わりが逆転している。『う      た』のなかに万物の始まりと終わり、あるいは終わりから始まりがある。これは最初にジャケットを見た時に浮かんだ単なる思いつきではあるが、身体と強く結びついた本作における灰野の声には、少なくとも歌の始原を感じさせるものがある。(堀田慎平)



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