硬質で不器用な愛
時おり考える、自分がポストパンクと呼ばれる音楽のことが好きなのは、そのジャンルの中の多くのバンドが暗さを抱え、鋭いギターと性急なリズムの音楽を通し、自らを見つめるか、あるいは自身が置かれている社会を描くことで、鏡を見るようにしてそこに存在する自己を眺めているからなのかもしれないと。不安(それはしばしば唐突に訪れる)に対処するかのように、音と言葉を求め、そこに隠されたメッセージを探す。あるいはそこにあるであろうなにかを読み取ろうとする。そうしてその響きに中に答えや希望を見いだすのだ。音楽的な鋭さを持ったある種のポストパンクとは他者の体とそして心を揺さぶる内省の音楽なのではないだろうか? そんな思考の流れの末に出てくる言葉は「格好いい……」という単純なものになってしまうのだが、しかしその言葉が出てくるまでの、感情が生成される時間を自分は好ましく思っている。
デトロイトのポストパンク・バンド、プロトマーターはまさにそんなバンドではないかと思う(つまりは聞いた後に単純に格好いいという言葉を投げかけてしまいたくなるようなバンドだ)。これまでの5枚のアルバムで証明してきたように、彼らの音楽は暗く深く突き刺すようにして聞くものの心に迫ってくる。この6枚目のアルバム『Formal Growth In The Desert』でもその彼らの魅力は十二分に発揮されている。
たとえば強迫観念的なドラムビートに乗せられ、不安を抱え進んでいくことを強いられていくような「Elimination Dances」は止まることが許されない現代社会を連想させ、差し込まれるギターの音は抱えきれなくなった感情をまき散らすかのように広がっていく。ヴォーカルのジョー・ケイシーによるとこの曲は1950年代のティーン向けのダンスの教則本の「ダンスに負けるとタップ・アウトされる」というゲームについての章から着想を得たものらしいが、そのフレーズは始終せき立てられ余裕を失ってしまったかのように思える現代社会を描く比喩としても機能する。「The tap calls the time」と歌われるここでのタップはダンスの表現であるのと同時にスマートフォンを操作する指先を思い起こさせ、情報に踊らされ、余白を怖がるようにしてタイムパフォーマンスを追い求める世界がそこに描かれていくのだ。価値のあるもの、価値のないもの、瞬時に取捨選択を迫られて、我々の頭と心はへとへとに疲弊させられているのかもしれない。
そして暗い影の差すビートと憂いを帯びた鈍痛のようなギターに染められた「Graft Vs. Host」がある。ここで響くケイシーのバリトンヴォイスは10年半にわたってアルツハイマー病と闘ってきた母親の死を語る。しかしこの曲からは痛みや喪失感だけではなく、これからも続き進んでいく人生に対する力強いエネルギーや覚悟めいたものを感じられる。「The Author」ではそれがもっと直接的に歌われる。残された者が生きる時間と教訓、神から贈られた全てのギフトは時間によって奪い去られる。だから生きている間に愛を伝えなければならないと。
プロトマーターのこのアルバムに郷愁めいたものを感じるのは、あるいはここが出発点になっているからなのかもしれない。アメリカのスポーツライター/映像作家のJon Boisが書いた「17776」という遠い未来の世界で行われるアメリカン・フットボールの物語にインスパイアされたという「3800 Tigers」でプロトマーターは西暦3800年の世界のベースボールがどんな風に見え、感じられるのかということを表現しようと試みる(なんと凄まじい試みだろう)。ベースが唸り、打席へと向かうバッターを送りだすかのようにギターが炸裂し、“Eat Em Up Tigers”とケイシーが愛するデトロイト・タイガースを応援する言葉が叫ばれる(この言葉は2013年に亡くなったタイガースの伝説的なファン、ジェームズ・ヴァン・ホーンが広めたもので、敬意を表してここに引用したとバンドは言う)。この曲はアルバムの中で一番ぶっ飛んでいる曲であり、明らかにデトロイト・タイガースの曲でもある。しかしアルバム全体の流れの中で聞くと曲の中に郷愁の念が感じられるのだ。愛する球団、あるいはクラブを持った人間にとって、思い出や青春の記憶は常にチームと共にある。過去の出来事を語るスチュアート・ダイベックの小説にシカゴ・ホワイトソックスが出てくるように、プロトマーターの音楽の中のデトロイト・タイガースは遠い未来の世界でも存在し生き続けているのだ(加えて言うとこの曲の中でタイガースはホワイトソックスに連勝する)。1977年に生まれたジョー・ケイシーが、その年に初出場を果たし、現役を引退するまでタイガース一筋で19年間プレイした“Sweet Lou”(ルー・ウィテカー)の名前を叫ぶのを聞くと、そこに何か彼の子供時代の思い出が詰まっているようなそんな気がしてきてしまう。
『Formal Growth In The Desert』と名付けられたこのアルバムの中にあるのは硬質で不器用な愛ではないだろうか? 言葉以外のメッセージを伝えるようなサウンドとその中で紡がれる言葉がそんな思いを浮かばせる。これまで生きてきた時間の中にちりばめられた愛するもののカケラを集めるような、続いていく人生を生きるために断片化されたものを繋げるような、このアルバムはそんなアルバムのようにも感じられるのだ。(Casanova.S)