1974年、渋谷、叫ぶ記憶
先月チャーリー・ワッツが亡くなった時、追悼記事を書くにあたっていくつかのかつてのストーンズ関係の海外の文献を読みながら、彼らのライヴ・アルバムを久しぶりにまとめて聴いた。ストーンズには多くのライヴ・アルバムがあって、中でも69年11月下旬のニューヨークはマディソン・スクエア・ガーデン公演を収めた『Get Yer Ya-Ya’s Out!』(1970年)が私は大好きなのだが、それには一つの大きな理由と、いくつかの小さな理由がある。大きな理由は、もちろんブライアン・ジョーンズが亡くなった後であり、「オルタモントの悲劇」の起こる直前という非常にナイーヴな、だがバンドとして明らかに成熟期に入っている時期のライヴであること(だからギターはミック・テイラー)。いくつかの小さな理由は、チャーリーがジャケットにたった一人で(厳密にはポニーと一緒に)写っているバンドとしては極めて珍しいアートワークということと、そして、1曲目冒頭に司会者のMCが大きく反響するように収録されていたり、「Sympathy For The Devil」の始まる前が最もわかりやすいが、観客の声が結構ハッキリと聞こえるところだ。
冒頭に司会のMCが収録されている昔のライヴ盤は少なくないし、ストーンズのライヴ・アルバムでもこれに限ったことではない。だが、とりわけ『Get Yer Ya-Ya’s Out!』の、音質やバランスをほとんど顧みないラフな録音には、言葉で表わすことがナンセンスと思えるほど臨場感がある。そしてそれは時として、「カッコいい」というあまりに稚拙な、でも、もうその一言しか選べないような迫力が私たちから言語化を奪ってしまうのだ。ちなみに、そんな「カッコいい」の一言が強烈な破壊力を持つこの『Get Yer Ya-Ya’s Out!』が、実はブートレグ対策としてリリースされたというのもこのアルバムを好きな小さな理由の一つである。
そんな『Get Yer Ya-Ya’s Out!』の持つ、ブートレグ以上にブートっぽい音の荒さとそれゆえに滲み出る人間力、生で演奏することのエネルギーとそれを直接享受することの豊かさ。このエクスネ・ケディ・アンド・ザ・ポルターガイストによるライヴ・アルバムもそれを痛切に感じさせてくれる1枚だ。そもそも、コロナ禍でスタジアムやホールなど大きな会場で浴びるように音楽を聴く機会がなくなっている現在、こうした作品が“発掘”されたことにはとても大きな意味がある。実はこのエクスネ・ケディという名前は、どこかで聞いたことがあるようなないような……少なくとも私はこの人のこれまでの作品を1枚も持っていないが、ともあれ、このライヴ音源を室内で大音量でかけた時の、「うわー、音悪いなー」とか「観客の声が大きすぎて演奏聞こえないなー」などと苦笑しつつもつい口に出してしまうこの感じが自分でもたまらなく好きで、あほかと言われるのを覚悟で、それでも「ロックっていいなー」と叫んでしまうのだ。チャーリー・ワッツならきっとわかってくれるんじゃないかとか自分に言い聞かせながら。知らんけど。
ここには1974年に“渋谷第一体育館”で行われた、エクスネ・ケディのワールド・ツアーの東京公演の模様がシューティングされている。“Please, please, please welcome! Exne Kedy!!!”というMCの紹介に導かれて、ギターが轟き、フィードバックさせた音が会場の天井を突き刺し、そしてドラム、ベースが覆いかぶさって演奏がスタート。始まってしまうと、もうアンサンブルの細かなところなどはほとんど聞こえてこない。それより、客席の叫びや掛け声の方がはるかに近くにあって、客席で録音されただろうことがわかるような非常にバランスの悪い実況盤だ。
しかし、なぜ我々はライヴでキャー!とかウォー!などと叫ぶのだろう。ジュリ〜!とかチャーリ〜!などと名前を呼ぶのだろう。小さなライヴ・ハウスならまだしも、ホールやスタジアムで叫んだところで届かないのはわかっていても、我々の多くはなぜだか声をあげてしまう。ここでも、多くの客が爆音演奏が始まってからもなお「エクスネ〜!」「ケディ〜!」と声をあげているのが聞こえてくる。もちろん、叫ぶことで体感的なカタルシスが得られるから……などといった科学的な根拠を求めているのではなく、大音量の生演奏を目の前で浴びた時に、どうしても思わず声をあげてしまいたくなる、その衝動に対して冷静な答えや意味づけや解釈など無用だということ。それが全てであるということをこの作品やストーンズの『Get Yer Ya-Ya’s Out!』は教えてくれるのだ。
1974年といえば、それこそストーンズになぞらえるなら、『It’s Only Rock’n Roll』が発表された年で、日本人の目線でいくと予定されていた来日公演が中止なった翌年にあたる(73年、デヴィッド・ボウイは無事に初来日を遂げている)。スワンピーな音作りからいったん離れ、より規模の大きなロック・バンドとしてのストレート・エッジな一つのスタイルを形にした時期でもあるだろう。73年〜74年頃は、録音技術の進化のみならず、ライヴ・パフォーマンスの在り方も多様化してきていた時代で、大人数のオーディエンスを相手に、どれだけスペクタクルなショウで楽しませることができるのかも徐々に問われるようになっていた。エクスネ・ケディなるミュージシャンのライヴ・イン・ジャパンとなるこの作品もそうしたダイナミズムが演奏の柱になっているし、実際に、ヒートアップが止まらない客たちの様子と、それに応えるかのように最初からエネルギー全開となっているエクスネとザ・ポルターガイストの熱気がやけにリアルに刻まれた、そんなアルバムだ。言ってしまえば、味わうべきは、音楽性だのアレンジだの歌だの録音だのではなく、そこにいること、そこで起こっていること、そこで味わえることの息吹、ただそれだけである。だが、ただそれだけのことが、いかに尊いことか!
蛇足を承知で書くと、音楽的にはアート・ロック、ニュー・ロック、ハードロック、グラム・ロックなどが気炎をあげていた時代らしい骨太なロック・サウンドだ。メロディアスでハーモニーもちゃんとあるので一緒に歌える曲も多い。ウォッカ・コリンズの「Sands Of Time」(前年である73年にリリースされていたアルバム『Tokyo – New York』収録)のカヴァーもある。当時、サディスティック・ミカ・バンドのようにクリス・トーマスがプロデュースでもしていたら、この音源も埋もれずにすんだだろうし、第一もっと知られた存在になっていたかもしれない、なんて妄想もできてしまうほど、実によく“できた”ライヴ・アルバムだ。この作品を教えてくれた井手健介には心から感謝したい。
なお、アナログ・レコードとCDとが同時発売だが、CDのラストには客電がついてからの場内アナウンスまでが収録されている(レコードには未収)。ライヴは演奏が終わって場内が明るくなってもそこでしばし余韻を味わってこそ。アナウンスの最後の一言までしっかり逃さない、そんな粋なマナーのようなものの大切さを気づかせてくれるのも本作だ。推薦文を寄稿した坂本慎太郎は、「まさか捏造ではないと思いますが、歴史の改竄にはどんな理由があろうとも許されざる行為。発売元には更なる調査を求めます。」と綴っている。けれど、私は、この作品の出どころやエクスネ・ケディなる人物の実態がこれ以上調査されないよう求めます。ロマンはロマンのまま歴史の彼方に置いておく方が美しいから。きっと。(岡村詩野)