決して癒されることはない
スピリチュアリズムと音楽について考えることがある。神聖な儀式や祭事で土着の音楽が演奏されることは古今東西の史実であり、それが世界各地のポップ・ミュージックのアイデンティティとして現在にまで息づいている実感はある。一方で、ニュー・エイジのような1980年代に出現したばかりの音楽は、聴くだけで「スピリチュアル」という曖昧なイメージを喚起する。不思議なことに、クリーンで浮遊感のあるシンセサイザーと、音場の広さを演出するリバーブぐらいのミニマルな構成要素でもそれは成立してしまう。そこに危うさを感じることもあり、日本の某宗教団体の教祖はシンセサイザーに没頭して宗教音楽を作っていたことは有名だし、近年ではダライ・ラマのニュー・エイジ作品も記憶に新しい(後者に関しては音響作品として非常に素晴らしかった)。
「スピリチュアル・ジャズ」のように、直接的にスピリチュアリズムを表現するものもあり、代表格のサン・ラは宇宙を崇高なものとするある種の宗教の教祖であったし、アリス・コルトレーンも東洋思想に傾倒していた。
宗教的であったり思想のこもった音楽が悪だと言うわけではなく、その時代背景において必然性と重要性を持って生まれたものもある。ただ、現代においてはその音楽がもたらす作用に意識的である必要があるし、近年はパーソナルなマインドスケープを共有する内省的な作風や、自然崇拝ではなく自然主義的モチーフを扱った禅的思考の音楽が求められ、旧譜で再評価されている作品も同じ傾向にある。
コール・スーパーことジョセフ・リッチモンド・シートンは、2010年頃からテクノ/ハウスのプロデューサーとして名を上げ、恐らくDJの仕事が彼の収入の多くを占めていると思う。だが、アルバムというフォーマットでリリースしてきた3作では、アンビエントやエレクトロニカでの表現が多い。それらの中に感じるスピリチュアリズムには、彼のバックボーンが大きく影響している。
現在はロンドンを拠点とし、生まれもロンドンであったが、アーティストの両親と暮らしていたテラスハウスが高速道路の側にあったことが原因で、喘息を発症。それから祖母の住むノース・ヨークシャーの田舎に移り症状は緩和し、木がモチーフになった物語や神話に親しみ、ツリーハウスに憧れた少年時代だったという。
「木は自分の一部であり、知恵であり、呼吸であり、呼吸は生命を維持するものである。それは私が幼い頃に強く感じたことだ」
彼がこう語るように、その自然主義的スピリチュアリズムは彼の作家性の核となるものだ。
一昨年、彼は盟友のParrisと共に《Can You Feel The Sun》というレーベルを立ち上げた。この名前からも分かるように、2人はナチュラリズムをテーマにしたテクノ・レコードを発信している。その中でも、『Cherry Drops II』に収録された「Tree Song」は、彼のアルバムで見せる作風とテクノを接続することで、スピリチュアリズム観の拡張を感じさせるものである。
自らのレーベルから初めてのリリースとなるフル・アルバム『Eulo Cramps』だが、これまでの3作と同様にアンビエントやエレクトロニカが軸ではあるが、そこからテクノへと裾野を広げるせめぎ合いが面白い。DJという、その空間と人々を自分のペースで掌握する行為を神秘的だと語るDJは多いが、彼も規則的に鳴り続けるビートに部族の儀式音楽に通ずるものを見出したのではないだろうか。
アルバムの中でも特筆すべき楽曲は、やはり先行リリースされた2曲で、最初にリリースされた「Illumina」にはジュリア・ホルターを招聘。歪なキックを軸に、可能な限り集めたのであろう大量の打楽器と、グリッチやクリックなどの電子的なものまでをコラージュしたマトモスを想起させる超カオティックなビートで、その情報量に思わず顔を顰めるが、複雑でありながらも音場は非常にミニマル。そんな忙しないビートと、シマーなリバーブのかかったホルターの幽玄なウィスパーヴォイスには奇妙なギャップがある。だが、シートンによるエディットの巧みさも去ることながら、多くのコラボレーションを経験し、その楽曲に奉仕した歌唱を得意するホルターによるイタコの如き憑依芸により、見事な調和を見せている。
もう1曲の「Sapling」では、シートンの相方であるParrisや、ロレイン・ジェイムスの最新作にも起用されるなど、ロンドンのアンダーグラウンド・シーンに現れた新たな歌姫、エデン・サマラが招かれた。この曲には、芸能山城組が『AKIRA』のサウンドトラックで示した、民族音楽に潜むフューチャリズムを引用しているように感じた。それはトライバルなビートにも顕著ではあるが、シートンのテクノDJとして培った演出力によりその感覚が具体化されている。クラブ・ミュージックを主戦場とし、規則的なビートの上で自由に歌い上げるサマラに、より自由度を与え新たな可能性を見出した手腕は流石の一言に尽きる。
また、アルバム全体を通してサックスとハープが印象的に用いられており、ランダムなビートのグルーヴにもフリー・ジャズへの接続を試みていることが感じ取れる。この試みこそが最大のトピックだと言ってもいい。そのサックスを彼の父親が演奏していたり、「Years in the Hospital」という喘息が酷かった幼少期を回顧したタイトルの曲があったり、「Sapling(苗木)」や「Goldwood」といった木のモチーフが曲のタイトルにも含まれている。
このアルバムは「木」を自らのメタファーにして、彼が生まれる前から現在までを振り返る自分史的作品で、複雑に暗号化されたスピリチュアリズムが内在する、聴いても決して癒されることのない極めて個人的な作品だ。(hiwatt)
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