越境の延長としての非越境
なんてストイックなんだろう。アルバムからの先行シングルの一つであった「Cachaça」を聞いた時、他ジャンルへの目配せを微塵も感じさせないサンバが心に残り、その実直な姿勢に感銘を受けた覚えがある。
ブラジル南部の内陸部にあるクルス・アルタという町で生まれたGabriel da Rosaは、音楽を始めとした芸術全般に明るい両親の下で育ち、20代前半をName The Bandというパワー・ポップ・バンドのギタリストとして過ごした。彼の興味が本格的にブラジル音楽へと移るのはバンドの解散後、LAに渡ってDJとしての活動を本格化させてからだ。そうして出会ったのが《Stone Throw》のレーベル創設者、Peanut Butter Wolfであり、そこからリリースの機運が高まった結果生まれたのがソロ・デビュー作『É o que a casa oferece』、というわけだ。近年コラボレーターとしての活躍が目覚ましいPedro DomやアジムスのドラマーであるIvan Contiらが参加し、このプロジェクトは進められた。
ラジオ局で働いていた父の影響でAntônio Carlos Jobimやカエターノ・ヴェローゾに触れていた幼少期を経てパワー・ポップやパンクに傾倒、そしてアメリカへと渡ったタイミングで自国の音楽に再び向き合う。この視点の交差は、幾重にも文化の相対化を育み、かえって非越境的な創作へとGabrielを誘ったようにも思える。
「Bandida」でのサックスとクイーカのさりげないミックスや「Dona Chica」での荘厳さを抑えたストリングスの合流など、非越境的な要素はいたってシンプルに、肩の力を抜いたまま表現されている。「Jasmim Parte 1」のMVで、クラシックギターを抱えたままスケートボードに乗って移動しているシーンが象徴的だ。足元ではボードをゆったりと操作しながらも、上半身はなおもギターをホールドしたまま。少し窮屈でありながら風通しの良さを感じさせるその姿は、本作の仕上がりにどこか似ている。
加えて、本作の秀逸なプロダクションにも触れたい。ビースティ・ボーイズのエンジニアを務めたMario Cの参加によって、演奏自体はストレートなボサノヴァでありながら、各部の聞こえ方が従来のものにはない仕上がりに。「Idiossincrasia」では右に歌メロとユニゾンするローズ・ピアノを、左にジャズ・ギターを振るなど、丹念にトラック全体を磨き上げている。トーンを落とした楽曲が並ぶアルバム後半の中でも、とりわけメロウな「So You Can See Me」では、弾き語りを軸としつつも、シェイカーやフレクサトーンといった飛び道具が入れ替わり立ち替わり登場する。このような「遊び」を楽しめるのも、チャンネルを絞ってトラックを磨き上げようとした、殊勝な意図の賜物だろう。
このようなプロダクションの妙味は、シンプルな構成の楽曲へのアクセントとして機能し、本作の風通しの良さを担保している。堅牢な住まいに設けられた勝手口のように、スムースな導入を果たすことによって、我々はボサノヴァと出会い直すことができるのだ。高密度な愛が注がれた本作は、肩肘を張らずに芳醇な響きと向き合わせてくれる、ある意味で最良の「入門盤」なのかもしれない。(風間一慶)
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