私よ、あなたよ、チアフルに生きろ!
デヴィッド・バーンのニュー・アルバムが《Matador》から出ると聞いた時は、正直言ってかなり驚いた。もちろん、《Matador》からは今作が初めてのリリースであり、そしてもちろんそのニュー・アルバムとは、オリジナルとしては『American Utopia』(2018年)以来となる本作である。
さて、ここで先にちょっと整理をさせてもらおう。このタイミングで日本ではちょうど《Luaka Bop》と《Beatink》がディールを締結、アニー&ザ・コールドウェルズの新作のリリースに合わせて《Luaka Bop》の旧作も展開されることになった。《Luaka Bop》はデヴィッド・バーンが89年に立ち上げたレーベルだが、2003年には既に経営から離れている。今回バーンのこの新作のリリースと重なったことから、《Luaka Bop》からのリリースのように思われているがそうではない。それどころか、今や企画にも運営にも関わっていないことを、この初夏に取材をした《Luaka Bop》のレーベル・マネージャーであるイェール・エヴェレフ氏から語られた。このインタヴューは非常に貴重な話が多く明らかにされているのでぜひ読んでみてほしいのだが、そこでの話によると、バーンは2003年に「引退するから」という理由で《Luaka Bop》の運営から退き、エヴェレフ氏に委ねることになったのだという。「引退」というのはもちろんレーベル運営のことを指していたのだろうが、その頃のバーン自身のリリース作品についてもちょっと複雑な状況にあったのは事実で、バーンの故郷であるスコットランドの映画監督、デヴィッド・マッケンジーによる『Young Adam』のサントラという扱いになった『Lead Us Not into Temptation』をなんと《Thrill Jockey》から2003年にリリース。さらに翌2004年には《Nonesuch》から『Grown Backwards』を発表している。つまり、彼自身、契約上は宙に浮いていたようなところがあった。もしかすると「引退」という言い方は、やや弱気になっていたことの現れだったのかもしれない。あくまで推測の域だが。
先のエヴェレフ氏との会話によると、レーベル立ち上げから約10年経過した頃=00年代初頭の《Luaka Bop》は《Virgin》(傘下の《Narada》)経由でのリリースだった。つまり、立ち上げ時が《Warner》傘下だったことを思い出すまでもなく、バーンはトーキング・ヘッズを含めても自身の作品を長らくメジャーからリリースしていたことになる。制作時期の前後はあるかもしれないが、《Luaka Bop》から離れた後、きっかけがどうであれ、そしてそれがサントラだったはいえ、シカゴの先鋭レーベル《Thrill Jockey》からリリースしたのは、彼自身がメジャーの窮屈な空気から逃れ、ある種のカンフル剤を求めていたからではないかとも想像できるのだ。そして実際、『Lead Us Not into Temptation』にはベル・アンド・セバスチャンやモグワイのメンバーが参加しており、そのベルセバなどを手掛けるトニー・ドゥーガンがミックスを担当している。バーンにとっては極めて珍しい座組みでの制作だった。
その後、ブライアン・イーノとの共作『Everything That Happens Will Happen Today』(2008年)を《Todo Mundo》から、セイント・ヴィンセントとの共作『Love This Giant』(2012年)を《4AD》からとコラボレーション・アルバムのリリースは他レーベルに譲っていたが、前作『American Utopia』、そしてそのサントラ(2019年)までは《Nonesuch》が彼のホームグラウンドだったことは記憶に新しい。しかしながら、この約7年ぶりに届けられたこのオリジナル・アルバムでバーンは再びリフレッシュの場を求めていたような気もする。その結果が、《Nonesuch》ではなく、《Matador》だったのではないか、と。
様々な理由が考えられるだろう。コロナ禍による制作停滞と価値観の揺り戻しもその一つかもしれない。単純に《Nonesuch》との契約切れかもしれない。《Nonesuch》との契約は続いていて、今回だけがイレギュラーなのかもしれない。だが、個人的に映画『アメリカン・ユートピア』を観すぎてしまったこともあるのだろうが(劇場で11回も観て、購入したDVDも今なお頻繁に家のスクリーンに映っているという盲目状態だ)、本作を聴いて感じるのは、不条理も憤りもあろうが、民族を超えた人間同士の繋がりを、いかにチアフルに、いかに朗らかに、誰になんと言われようと謳歌し、その喜びを多数の誰かと分かち合えるオープンな音楽にしたい、という一点にのみ集中しているのではないか、ということだ。もちろんそこに何らかのマインドセットが働いていたことは想像できる。けれど、こんなに聴いていて楽しい、作っていてもきっと楽しかったのではないか、と思える屈託のないポップ・アルバムが、それも、時には嫌味なまでのインテリジェンスを過去に発揮してきた、初老とも言える年齢のミュージシャンから届いたことが何より大きなテーゼだと思うのだ。
細かいことはここで書くまでもない。おそらくこのレヴューに辿り着いてくれた方なら、キッド・ハープーンがプロデューサーで、セイント・ヴィンセント、パラモアのヘイリー・ウィリアムズ、『アメリカン・ユートピア』のステージでも大活躍していたマウロ・レフォスコ、ザ・スマイルでの活動を中心に今や引っ張りだこの人気のトム・スキナーらが参加していることはご存知だろう。加えて、ニューヨーク拠点の現代音楽系のゴースト・トレイン・オーケストラによる室内アンサンブルも非常に重要な役割を果たしており、ポップなフックを持っている曲に素晴らしい厚みと陰影がもたらされているのは間違いなくブライアン・カーペンター率いる彼らの功績だ。そのゴースト・トレイン・オーケストラは2023年にムーンドッグの曲をとりあげたアルバム『Songs And Symphoniques: The Music Of Moondog』をクロノス・クァルテットとの共作でリリースしているのだが、このアルバム・リリース・コンサートにバーンが出演したことが今作での参加につながったのだという。
といった細かな情報は、もちろん本作を楽しむ上で時には必要だし、政治性社会性をダイレクトに抽出するより、個人の息吹の集積を重んじるような歌詞の内容もバーンの心理状況を慮るには欠かせないだろう。先行曲「Everybody Laughs」はもちろん、ヘイリー・ウィリアムスとのデュエットがマリアッチ風のメロディとアレンジの中で情熱的に轟く「What Is The Reason For It?」、ストレンジなAメロ、Bメロから、サビでわかりやすくメジャーコードに転調する「The Avant Garde」などカギとなる曲、キャッチーなフレーズを持つ曲はいつになく多い。ある種、トーキング・ヘッズの頃を思わせる邪気のなさがポップなリフ、メロディに現れているとも言えるし、実際に、例えば「My Apartment Is My Friend」の、“僕のアパートは僕の友達”という歌詞におけるアイデンティティ希求のテーマは、現在のバーンがライヴのレパートリーに取り入れている「This Must Be The Place」の頃と地続きであることにも気付かされるだろう。
だが、そんな解釈、深読みは、まあ、この際置いておく。この目がチカチカするほどカラフルなジャケットさながらに、とにかく気持ちが楽しくなるアルバムだ。それで十分。バーンのヴォーカルには昔からどこかすっとぼけた陽気さがあったが、ここにきて自分を恥ずかしがらずに曝け出そうとする気の置けなさが宿るようになった。これは、高い評価を得てブロードウェイでロングラン上演となった『アメリカン・ユートピア』効果だと私は思っている。
トーキング・ヘッズの再結成をいまだに期待している方には申し訳ないが、本作はそんな絵空事の何万倍も素晴らしく、何億倍も現在に生きる我々に活力を与えてくれる作品だ。喜びを実感したい。そんな人には迷わず聴け、とだけ伝えておく。この文章を書いている前日、大阪で開催された本作の先行視聴会に足を運んできたが、あの場で私はどれほど全身で踊りたかったことか! 私よ、あなたよ、踊れ! チアフルに生きろ! (岡村詩野)
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Yale Evelev(Luaka Bop)
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レーベル・マネージャーに訊く《Luaka Bop》の紆余曲折と未来
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