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Nick Hakim: Cometa

2022 / ATO
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身元不明のフォーク、その親密さとサウダージ

26 November 2022 | By Ikkei Kazama

ジャンルに振り分けられる遥か前から、私たちの意識は途轍もない密度で混濁している。ニック・ハキムの紡ぐ音楽に触れるたび、私はこの揺るがしがたい前提に立ち返らざるを得なくなってしまう。インディーR&Bにフリーフォーク、60’s~70’sのサイケポップ、ボサノヴァ、クラシカルな男声ジャズ・ヴォーカル。まだ足りない、足りるはずがない。その混濁を抽出できるような言葉が、一体幾つ残されているのだろうか。

とはいえ、ニック・ハキムの作品を貫いているテーマは決して曖昧ではない。2017年のデビュー・アルバム『Green Twins』ではソウルフルに、2020年に発表された前作『WILL THIS MAKE ME GOOD』ではドラッギーに、その閉塞的な心象風景を深いシャウトを交えながら表現していた。そして、ロイ・ネイザンソンとの共作を挟みつつ、新たに届けられた最新作『Cometa』ではフォーキーなサウンドへと舵を切ったのだ。

一聴してまず感じるのは、その声の近さ。エリオット・スミスの名曲「Speed Trials」(1996年)やアンジェロ・デ・オーガスティン『Tomb』(2019年)などで聞くことができる、声を左右のチャンネルに割り振って包み込むようなサウンドスケープを作り出す手法が全編にわたって用いられている。アレックス・Gがピアノで参加し、エイブ・ラウンズがドラムを担当した「Happen」で、ハキムは焦燥しきった声を裸のまま晒している。フォーク・ギターを手に取り軽い調整を始めるパートから幕を開けるエラード・ネグロの参加曲「Slid Under」では、掠れて劣化したテープから漏れ出るような自身のコーラスには一瞥もくれてやらずに、黙々と爪弾き歌う孤独な彼の姿が確認できるだろう。本作の軸となっているのは、間違いなくハキムの弾き語りだ。

そのフォーキーな歌の幹は、彼の自在なアレンジによってうねうねと肉付けされ、私たちが触れる頃には極めてモダンなポップスの形へと整えられえている。可憐な歌声と芯の通ったドラミングの対比がスリリングなオープニング・トラック「Ani」や、所在なさげなフォーク・ギターのループに足腰の強いなブーンバップのビートが合流する「Something」。マーヴィン・ゲイを敬愛するハキムのファルセットが密室的に響く「Feeling Myself」は、2014年にセルフリリースしたEP『Where Will We Go Pt. 1 & Pt. 2 EPs』から顔を覗かせていた実直なニューソウルへの愛情が、彼のベッドルームの中で着実に醸成されていたことを声高に示している。南米をルーツに持つ両親の薫陶を受けた彼の多層的なルーツは、『COMETA RADIO』と銘打たれたNTS Radioのプログラムの選曲からも伺える。彼が参加したTerence Etc.のデビュー作『V O R T E X』(2022年)が、サイケ・フォークとネオソウルを往復する好作だったことも記憶に新しい。

こうしたテクスチャーに目を向けると、前作までと同様、やはりその混濁しきった複雑かつ多層的なハキムのサウンドに感嘆するほかなくなってしまう。しかし、どれだけオブスキュアであろうと『Cometa』は親密さを失わずに、深い夢の底から私たちの懐にまで滑り込んでくる。本作のbandcampのキャプションにあるように、本作は漂うようなハキム自身の恋愛体験がインスピレーションとなっているのだ。「甘美な天使が/僕の世界に降りてきた」と冒頭で歌い、その生活の変化をドラスティックに吐露する「Happen」。パートナーの不在を残された匂いと共に名残惜しむ「Perfume」と、灰になったはずの自分の恋慕が燻る様を突きつけるラストの「Market」。彼の焼き付いた恋心は、痛々しいほどビビッドに描写されている。そしてそれは彼の密室的なイメージとも時折共振し、その混濁しきったアンビバレンスが彼自身の鮮烈な体験に由来していたことを、私たちはついに理解するのだ。

混濁しきったサウンドに、掻き乱された心象。思えば、澄み切った感情で世界と対峙できる者が一体どれくらいいるのだろうか。皺だらけの笑顔も、泣きはれた瞼の色も、一つの言葉で正確に表せる術など本来的にはあるはずがない。『Cometa』はその複雑な表情を、複雑なまま私たちの前に提示してくる。できることなら太陽の落ちた時間に、密やかにそのサウンドを感じてほしい。暗闇で人肌を探し求めるハキムの歌声は、沈静を願うあらゆる人々に温かな孤独を約束する。(風間一慶)

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