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Charli XCX: BRAT

2024 / Atlantic
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What is “brat summer”?

03 September 2024 | By Daiki Takaku

インフレの波と情報の嵐の中、せめて足元の安全を確保しようともがく現代人の切実な叫びが聞こえはしないか。正解をよこせ。近道はどこだ。間違っている暇なんてない。判断に迷っている時間があるならAIに尋ねてみろ。でなければすばやく検索欄に打ち込め。正しく、効率良く、合理的に。私たちは自分に足りないものの重要性を伝える映像や文言が繰り返し表示されるディスプレイを眺め、ジムの予定をカレンダーに登録して、歯科矯正が終わるのはもう少し先らしいけれど、朝方の繁華街でナンパに精を出すアホ(とそれについていくアホ)を尻目に、マッチングアプリを開いて欲望を整列させておく。

同時にこんな声も聞こえる。私は違う。私の、私だけの個性が必ず存在する! でも間違いを犯している暇なんてないから、ここは一つ慎重に。舐めた人差し指を掲げて風を読むみたいに、タイムライン全体の動向を窺いつつ、どんな属性の人が自分を気にしているのか考えて、その上で自分しかまだ気づいていないであろうポイントを押さえて投稿する。あ、もちろんユーモアも忘れずにね。イイネがポツリ…ポツリ……。よし、今日も私は私でいられた。明日はNIKEと海外のラッパーがコラボした少し入手の難しいスニーカーを履いて出社しようかな。きっと同期のオシャレなあの子は、目を輝かせて羨ましがるだろうから。

卑しいだろう。狡いだろう。浅ましいだろう。そうやって世界が打算に埋め尽くされていくのは、なんだか面白くないだろう。純粋無垢に、他者の目なんて気にせず。無邪気でありたい。夢中になりたい。『brat』が2024年の夏の太陽を反射するとき、まず光を浴びるのはピュアであることが難しいこの現代にあってなおピュアでありたいと願う人々の欲望である。ここではダイエットマシーンに乗りながらワインを嗜む矛盾がスタイリッシュで(「360」のMV参照)、しがらみにまみれた大人の安直な懐古趣味もクールだ(「Rewind」)。パートナーの所属するバンドのフロントマンの元カノに対するあからさまな嫉妬(「Sympathy is a knife」)も、フェミニズムのアイコンたちの間に競争が存在していることを仄めかす(「Girl, so confusing」)のだってアリだし、かつて流行ったブランドにあえて自らを喩えた挑発(「Von dutch」)も、今は亡き天才と同時代に生まれた葛藤を吐露するナンセンスさ(「So I」)も肯定される。何より、このアルバムはパーティーのためにあり(Boiler Room & Charli xcx presents: PARTYGIRL Ibiza)、明日を忘れて朝まで続くダンスを厭わない。エゴイスティックで図々しいチャーリーxcxは解放の先導者だ。

だからそう、『brat』のイタズラな笑顔の前ではもっと多くのことが可能になる。「kamala IS brat」と一言投稿して世間を騒がせるのも、H&Mの2024年A/Wキャンペーンに起用されることだってそうだ。バカっぽい? 恥ずかしい? ダサい? 商業的すぎる? 関係ないね。“brat summer”は誰にも邪魔できない。

ここで一つ注意しておくなら、“brat summer”の熱狂の中で一度シラフに戻ってしまうのは危険かもしれないってことだ。なぜならそれは自分が流行に乗って大多数の正しさに乗り合わせているだけだと気づくことなのだから。いち早くギラついた黄緑色の配された商品を買ってSNSで“brat”とタグ付けして投稿し悦に浸るのは、“NIKEと海外のラッパーがコラボした少し入手の難しいスニーカー”への潜在的な欲望を自覚するようなものなのだから。でも、もしそうなったとしても安心して欲しい。チャーリーxcxは夢中なままではいられない不運な人々にも逃げ道を与えている。

『brat』にある周到に用意された痕跡、言い換えればチャーリーxcxの打算の数々がそれだ。ジャケットの鮮やかなライムグリーンはPantone 3570-Cという色で簡単に複製できること、「Sympathy is a knife」はテイラー・スウィフト、「Girl, so confusing」はロード、という具合に、リリックの対象は名前を挙げずとも予想がつくこと、Supremeがどれだけ権威的になってもスケート・ブランドであることを誰も忘れていないように、チャーリーは自らのバックグラウンドにアンダーグラウンドのレイヴ・シーンが存在するのが周知であると当然自覚しているであろうこと……。「360」のMVで「You have to be known, but at same time unknowable(よく知られていて、同時に謎めいていること)」という『brat』にあるテーマをあけすけに伝えていることからも明らかだが、つまりチャーリーxcxはメタな視点を持つことも肯定しているのだ(そう、例えばこの原稿みたいに!)。

言うなれば『brat』とは間違えられない現代にはびこる打算とピュアでありたいという欲望の繋がりを指摘するレコードであり、徹底的にメタな視点から考え抜かれたレコードなのだろう。ちなみに日本時間で本日(9月3日)午前5時頃、チャーリーxcxは「goodbye forever brat summer.」とSNSにポストしている。(高久大輝)

※サブスクリプション・サーヴィス等でアルバム名は『BRAT』と表記されているが、筆者の意向により原稿内ではジャケットの通り『brat』としている。理由は「“brat”だから」とのこと。


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