Review

Vince Staples: Big Fish Theory

2017 / Def Jam
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カニエの『イーザス』さえ髣髴とさせる先鋭的サウンドの追求によって “アーティスト” としての成長も達成

24 July 2017 | By Daichi Yamamoto

いま本当にトップ・“アーティスト” といえるラッパーというと、それはもうケンドリック・ラマーと、このヴィンス・ステイプルズくらいだろう。そんなステイプルズのこの2作目はラッパーとしての異質さと、“アーティスト”としての成長の両方が垣間見られる作品である。まず本作にはいまどきのトップ・ラッパーの作品で見かけるヒップホップ・シーンの売れっ子プロデューサーの名前はない代わりに、同じブラック・ルーツの音楽でも5曲に参加したZack Sekoffを中心にハウスやデトロイト・テクノ譲りのダークで冷ややかなサウンドが並び、昨年のジェームス・ブレイクも招聘したEP「Prima Donna」で試みていた先鋭的なエレクトロ・ミュージックへの傾倒が本格的に形になった。更にはフルームやソフィーといったレフトフィールドな若手の名前も目を惹くし、本作を聴き終えた時には同じくハドソン・モホークやアルカを招聘しインダストリアルに向かったカニエ・ウエストの『イーザス』を聴いた時の心地さえ思い出してしまう。ただそんな中でも決してそれらのビートが主役にはならず、本作がしっかりとラップ・アルバムとして機能しているのは、ステイプルズのラップのスキルがあり、無気力なトーンの彼から吐かれる歌詞がビートに負けずにニヒリスティックで個性的だからである。

前作『Summertime ‘06』で“ファック・ギャングスタラップ”と言い放っていたステイプルズは本作でも、ドラッグやセックスを派手に描き物質主義的な現代のラップのそのアクチュアリティに懐疑的で(「Yeah Right」)、敬愛するRay J、そして本作でも印象的なボーカルを添える彼のベスト・コラボレーター、Kilo Kishと共に愛の虚無を歌う(「Love Can Be」)。ドラッグやアルコールからは距離を置くステイプルズは簡単に享楽に溺れることはないし、アメリカにおけるブラックの現状についても客観的な視点からの描写が常だ。

キャッチ―なシングルは皆無。客演のラッパーは贅沢にもケンドリック・ラマーとエイサップ・ロッキーと最小限。その代わりにデーモン・アルバーンやジャスティン・ヴァ―ノンも登場する。完全にオルタナティブな仕上がりだが、トップ・ラッパーでありながらヒップホップのクリシェからは距離を置き、アーティストとして先進的なサウンドの追及を止まないいまのヴィンス・ステイプルズに誰が追い付けるだろう? (山本大地)

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