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Childish Gambino: Bando Stone and The New World

2024 / RCA
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チャイルディッシュ・ガンビーノが模索する、世界の終わりの先

21 August 2024 | By Nao Shimaoka

ハワイ島の沿岸線を一周するハイウェイ=マーマラホア道路(ハワイ・ベルトロード)の長い道のり、山から降りて毎日の登下校で車窓から見る早朝の空はいつも濃霧で真っ白だった。その約30分の片道、手のひらに収まる小さなサイズのiPhoneでDatPiffからいつも聴いていたのは、チャイルディッシュ・ガンビーノのセカンド・アルバム『Because the Internet』(2013年)かミックステープ『Kauai』(2014年)だったことは今でも覚えている。これといった印象的な記憶があるわけではないが、私の中でガンビーノの音楽にはこういった断片的な瞬間の残像が結び付けられている。

しかし、このような瞬間が持つパワーこそ偉大なのかもしれない。ガンビーノは、子どもの時に『美女と野獣』を映画館に行って観た際、予告で流れた『ライオン・キング』のシーンに心を打たれ、どうすればその時のような感情や瞬間を人に与えることができるかを常に考えていると言う。アクター、ミュージシャン、コメディアン、プロデューサー、と多彩な顔を持つドナルド・グローヴァーことチャイルディッシュ・ガンビーノは、実際に過去作でそれを強く意識してきたように思える。

インターネット世代の孤独とジレンマを描写したコンセプト・アルバム『Because the Internet』、2年間に渡るソーシャルメディアでの沈黙を破ってリリースした『Awaken, My Love!』(2016年)では、ナーディなラップ・キッズから、70年代ファンクに陶酔するミステリアスな男に変貌したことで世間を驚かせた。その後は瞬く間に名刺代わりの作品となったドラマ・シリーズ『Atlanta』のプロダクションに集中。そして2018年に『Saturday Night Live』で初披露した「This Is America」では、大衆に消費され続ける黒人のポピュラー文化と、黒人に対する警察の暴力や彼らの日常に蔓延る理不尽の対比を映してみせた。さらにコロナ・パンデミックが始まったばかりの頃(2020年3月)、ロックダウンで静まり返ったある日の夜中に突如投稿したリンク先のサイトでループ配信した『3.15.20』(客演クレジット一切なしの謎のアルバムで、突如ハードなヴァースと共に登場した21サヴェージのインパクトに勝るエキサイティングな瞬間は、これ以来あっただろうか)は、今年の5月に完成版『Atavista』としてリリース。こうして過去約10年間の足跡を辿ると、彼はこうした瞬間を生み出す演出が上手いことがわかる。そしてついにドナルド・グローヴァーは、自身のオルターエゴ=チャイルディッシュ・ガンビーノに別れを告げる準備ができたようだ。

同名義最後となる5作目のアルバム、または公開予定映画のサウンド・トラックという『Bando Stone and The New World』で、本当にチャイルディッシュ・ガンビーノに終止符が打たれるのだとしたら、その意味合いは合致しなくもない。今作がリリースされる前、7月1日に映画のトレイラーが公開された。バンド・ストーンと名乗るシンガーに扮するドナルド・グローヴァーは、見覚えのある黄色のハワイアン・シャツにショーツを身にまとっている。「Telegraph Ave」のMVのときとかなり似た服装だ。同MVで突然タコのようなエイリアンに姿を変えたガンビーノと、それを見て困惑するジェネイ・アイコがいたカウアイ島が舞台のようでもある。似たような服装で同MVと同じようなエンディングを迎える「Lithonia」のMVも、過去のシーンとの類似性を感じさせた。

序盤でガンビーノは、自己顕示欲をぶちまけていく。カニエ・ウェストの『Yeezus』インスパイアなオープナー「H3@RT$ W3RE M3@NT T0 F7¥」で、ガンビーノは全員が悪魔で自分は神様であり、また、自分は新たなスパイク・リーだと誇示。続く「Lithonia」では、バンド・ストーン(ステージネーム)の本名であろうコディ・ラレーの視点で、自身がいかに過小評価されているかについて00年代風ロックに乗せて歌っていく。前半のハイライトは間違いなく、アマレイの粘り気のあるヴォーカルとフロー・ミリのラップが楽しいトラップ・ソング「Talk My Shit」だ。終盤に向かってアルバムの方向性がやや迷走しているように聞こえるのは残念だが、ドレイクに向けてディスを送る「Yoshinoya」は、今作で最もペンが鋭いストレートなラップ曲として突出している。

そしてやはり、ガンビーノの音楽に欠かせないのはロマンティックなサマーソングだ。スティーヴ・レイシーがプロデュースで参加している「Steps Beach」は、彼の柔らかく伸びやかで甘いヴォーカルが作品に一瞬の静寂をもたらす。ルドウィグ・ゴランソンが参加する7分を超えるジャズ「No Excuses」は、チェロやサックスの織りなすハーモニーが美しく、アルバムを最も極上なムードに到達させる珠玉の一曲である。また、最終曲「A Place Where Love Goes」で「パーティはどうでもいい、ただダンスがしたいんだ」と歌っているのも、「俺たちはただパーティがしたいんだ」と「This Is America」で歌っていたガンビーノと対比して考えさせられる。

過去のチャイルディッシュ・ガンビーノのMVや映像作品に置いてしばしば表現されていたのは、愛を渇望し歌やダンスで他人を引きつけようとする孤独な姿だった。実際これまでダイナーで知らない女性の目の前で不気味なダンスを披露し(「Sober」)、リアーナ演じる恋人=コフィに向けて歌い踊り(『Guava Island』)、もしくは、ループし続ける観覧車にクマの人形と座り実存的孤独を表現してきた(「3005」)。しかし、今作で語られるのは、ファザーフッドを通して得た完全な愛である。無条件の愛を与えてくれる息子へ綴った「Real Love」。さらに「Can You Feel Me」では今回の映画にも出演している実の息子=レジェンドとABCの歌に合わせて共にこう歌う。「グラミーには出席しない/家族と過ごしていたいから/君は神からの授かり物/僕の存在意義は愛」

映画『Bando Stone & The New World』のトレーラーにて、ジェシカ・アラン演じる人物に魚釣りやハンティングはできるかとバンド・ストーンは聞かれると、「歌なら歌えるよ」とジョーク交じりに答え、アランは「使い物にならない」と言う。思い返せば目まぐるしく変化する現代社会でただ歌を歌う人物像は、ガンビーノの音楽において一貫したテーマだっただろう。そして映像のテロップは尋ねる、「世界が終わる時、あなたは何?」。今回のアルバムを最後に、おそらくチャイルディッシュ・ガンビーノにさよならを告げることになるが、まだ私たちは、バンド・ストーンが出す答えを見届けなければいけない。(島岡奈央)

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